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【さよならごつこ】杜野凛世の510を考える

   以前Note書いたときに「後で考えます」とか言って放置してたので投稿させて頂きました。よろしくお願いします。

(1)シャニPと凛世の直線距離が510km?

   今でも正しいと思われている説です。
   この説の根拠として挙げられるのが「シャニPのいる聖蹟桜ヶ丘から直線距離で510km離れた所に初詣で賑わう神社がある」という物。
   実際283プロの事務所の元ネタとなっている桜ヶ丘中央ストアーから509km離れた所には鳥取県倉吉市の賀茂神社がありますが、ここでは約420m足りません。

   某ブロガー様はこれを凛世が移動していたからだとしていましたが、果たして本当にそうでしょうか?

桜ヶ丘中央ストアーと倉吉市の賀茂神社を結んだもの。
約420m足りません。

  というのも、もし本当にガシャ演出の時の凛世とシャニPの位置を直線距離で結んだとすれば矛盾点がいくつか出てくるのです。ではその矛盾点とは何か。一つずつ確認していきましょう。

①凛世がいた場所と考えられる神社が存在しない

   ガシャ演出時、凛世の後ろには鳥居や露天などが並んでいましたね。つまり、凛世がいる位置は神社の鳥居の前でなくてはなりません。

建物の色が変わっていたりするのはシャニマスではよくあることなので
あくまでここでは『鳥居がある』という点に着目します。

  そしてなにより、直前まで凛世がいた場所はコミュ内で大きな川沿いの道だと明示されています。

【さよならごつこ】『遠きにて』より

   コミュ内の情報からまとめると凛世がいた地点の条件は
川沿いの道に面していて
・なおかつ道沿いに鳥居がある神社の前
ということになりますね。

では先程述べた賀茂神社がこの条件に当てはまるか地図で確認してみましょう。

  ご覧の通り、賀茂神社は倉吉市内を流れる河川(小鴨川)からかなり離れているのがわかると思います。どう見ても川など流れておらず市街地の中です。
   しかし、『これは凛世が移動したからだ』という意見もあるのでまずはそれに従って考えてみましょう。

   まずは桜ヶ丘中央ストアー(=事務所)と直線で510kmとなり、なおかつ前述した条件のうち、まずは川沿いという点を満たしている場所を探します。  

この地点より西側が510kmとなる範囲です
後々重要になるので覚えておいてください。

  続いてこの地点と賀茂神社がどのくらい離れているのか確認しました。

   約800mも離れています。徒歩にしておよそ14分。普通に考えると凛世がここまで移動したと考えるのは難しいのではないでしょうか。

  それでも、凛世がここまで移動したのだと仮定しましょう。しかし、まだ問題点は残ります。条件二つ目の川沿いの神社と言う点が満たせる場所が存在しないのです。

   以下はGoogleMap先生の力をお借りして賀茂神社周辺の神社を調べた物です。なんと510kmとなる場所より西の川沿いには神社がひとつもありません
   東側に行けば田内神社や村上神社などもありますが、それでも山側であり川沿いとは考えにくいです。
   一方の西側にある神社はほぼすべて住宅街の中。水の表記があってもそれは用水路。運営がわざわざ大きな川沿いの道を背景にしているくらいですから、さすがにそこが用水路の傍だとは考えにくいでしょう。

   となると、510が本当に二人の直線距離だった場合、凛世がいた地点を確定させるためにはシャニPの位置を考える必要が出てきました。

②シャニPのいる位置を特定するのは困難

  ではシャニPはあの時どこにいたのでしょう?もう一度イラストを振り返って見ましょう。
   【さよならごつこ】のイラストは、シャニPの携帯の中に、画面通話中の凛世が描かれているイラストです。つまり携帯の画面以外で描かれているのがシャニPの今いる場所です。

事務所としている人も見かけましたが、
どう考えても屋外であり住宅街の中です本当にありがとうございました

   また、コミュ内のシャニPの動きを整理すると以下のようになります。

①事務所の備品を買いにコンビニへ行く

②帰り道で獅子舞を目撃(神社の近く?)

③帰り道で花火を目にする

④凛世からの着信に気づいて電話に出る⬅️イラストはここ

   つまりシャニPはまだ帰り道の途中。事務所へ戻って来てはいないのです。そのため、事務所(=桜ヶ丘中央ストアー)をシャニPのいる場所と仮定するのは間違いだと断言できます。

   ではシャニPがいる場所はいったいどこなのか?
   これに関してはもう右下のタイルなどを頼りに現地で実際に見つけるしかないと思います。というのも、聖蹟桜ヶ丘は駅の東西及び南側に住宅街が広がっており、コンビニも駅や事務所周辺に多く存在するためです。が、最近のシャニの傾向からしてここが架空の場所である可能性も強いと思われます。

   凛世のいる位置もシャニPのいる位置も特定できず手詰まりとなってしまいました。
   流石にこれではこのnoteを書いた意味がありませんので、ここからは私の考えを紹介していこうと思います。

   ここで重要になってくるのが、[510]の後ろの部分、『ひかりさす』の存在です。

(2)思い出アピールの法則と『ひかりさす』

   最初に確認しておかなくてはならないのですが、凛世(というかシャニマス)の思い出アピールの名前には一定の法則が存在します。簡潔にいうと「[   ]の中は、後ろの部分と必ず関わりがある」というものです。

   例えば【十二月短編】
[   ]の中は『ともに』。後ろと繋げて読むと「(貴方さまと)[ともに]よい年になりますよう」となります。

   例えば【われにかへれ】
[   ]の中は『赤い』。後ろの『青い』と共にコミュの中で出てきたかき氷の色、ひいては混ぜることで『むらさき』になります。

   この法則に従って【さよならごつこ】の思い出アピールを読むと、『 510』と『ひかりさす』は何かしら関係があると言うことになります。

   これを距離だとした場合、510がひかりさす?ひかりさす510?何かが省略されていると考えたところで、一向に答えが出ないと思います。

ではこの510は一体何なのでしょうか。

   結論を先取りすると、510というのは歌番号なのではないかと言うのが私の答えです。
そのためにも、まずは『ひかりさす』から探ってみましょう。

   『ひかりさす』と似たような言葉に『あかねさす』という言葉があります。

あかね‐さ・す【茜さす】
(中略)
[2] 枕
① 赤い色がさして光り輝く意から、「日」「昼」「光」「朝日」等にかかる。
万葉(8C後)二・一六九「茜刺(あかねさす)日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも」
※源氏(1001‐14頃)行幸「あかねさす光は空にくもらぬをなどてみ雪に目をきらしけむ」
② 紫色、蘇芳(すおう)色との色彩としての類似から、それぞれ同音の「紫草(むらさき)」および地名「周防(すおう)」にかかる。
※万葉(8C後)一・二〇「茜草指(あかねさす)紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る」
顔が赤く照り輝いている意で、「」にかかる。紅顔、紅頬(こうきょう)の意のほめことば。一説に、赤心、すなわち真心のある意でかかるという。
※万葉(8C後)一六・三八五七「飯(いひ)喫(は)めどうまくもあらず行き行けど安くもあらず赤根佐須(あかねサス)君が情し忘れかねつも」

精選版 日本国語大辞典より引用

  『枕』というのは枕詞のことで、和歌の冠(=第一句目)に置かれることの多い修辞法です。
   『あかねさす』を枕詞とした和歌で有名な物と言えば万葉集20番の『あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る』という和歌でしょうか。国語の教科書などで目にした方も多いかと思われます。

   【さよならごつこ】の『ひかりさす』というのは、この『あかねさす』をもじったものだと私は考えます。というのも、この枕詞、あまりにも凛世のコミュと共通しているからです。

・『むらさき』といえば、先程【われにかへれ】で記したコミュのタイトルでもあり、赤と青(かき氷の色でありシャニPと凛世の比喩でもある色)の混色でもある。【さよならごつこ】にも赤い南天と青い空という表現が存在するが、この表現は【われにかへれ】との関連性が以前から指摘されているものである。

・『光』といえば、四番目のコミュである『常磐』において強調されていた「光の三原色(赤,青,緑)」やコミュ内の演出などが想起される。

・もうひとつのかかる言葉である『』に関しても、凛世のコミュにおいて『シャニP』のことを指す言葉である。

一番わかりやすい物では【さよならごつこ】のコミュタイトル
ここでの君=シャニPであり、シャニPと暫く離れる凛世の寂しさが語られていた

・さらに、顔が赤く照り輝いているという意味や紅顔というのはさよならごつこのガシャ演出の凛世の表情の変化を思い起こさせるものである。

凛世のガシャ演出。
恋する乙女の表情と言うことで評判高い訳ですが
これは是非その目で見てもらいたいのでリンク埋め込んでおきます。


   このように、今回の凛世コミュに繋がりの多い『あかねさす』が『ひかりさす』をもじったもの、つまり和歌の一句目だとすれば、510という数字が表すものは必然的にただ一つとなります。それが歌番号なのです。

   例で出した『あかねさす……』なら万葉集の20番、有名な『しのぶれど……』の和歌なら百人一首の40番(元となった『拾遺集』では622番)、と和歌集に乗っている和歌には必ず最初の和歌から歌番号が振られています。

  ではなぜ『あかねさす』ではなく『ひかりさす』なのでしょうか?
   まず第一にあかねさすでは、日没時を含めた日中に使われる言葉となります。しかしガシャ演出の際は真夜中、年が変わった頃。そのため、このまま使うのは躊躇われるでしょう。
   そこで重要となるのが『光』です。凛世は水色感情においてシャニPのことを『自身を導いてくれる月』だと表現していました。『光さす』の『光』とは月の光、すなわち月光のことだと考えられます。

   さらに、ガシャタイトル『助詞のように、街灯り』を考えてみても、「街灯り = 光 = シャニP」となります。

【十二月短編】『夜、と呼べばはいと言ふ』より

   このコミュにおいても凛世は、「街灯りがプロデューサーになった」と語っています。

【十二月短編】『夜、と呼べばはいと言ふ』より

   このように、凛世にとって『光』とはシャニPのことと考えても過言ではありません。

   つまり、『光さす』とは、遠く離れた所にいるシャニPと通話できたことでぼんやりと霞んでいた(*【さよならごつこ】『遠きにて』参照)凛世の心に、文字通り光が射したとも捉えることができましょう。その二人を繋いだのが見上げれば同じ所に浮かぶ夜空の月の光であり、同じ空の下で輝く街灯りだったのです。

   だからこそ『あかねさす』ではなく『ひかりさす』でなくてはならなかったのでしょう。


(3)まとめ

①[510]がシャニPと凛世の直線距離を指している説
   凛世がいる神社を特定するための条件は「大きな川沿いの道に面していて、なおかつシャニPのいる聖蹟桜ヶ丘某所から、510.0~510.9km離れた場所にある神社」となる。しかし、条件に該当する神社は某ブログで明示されていた賀茂神社を含め、現実に存在しない
   また、シャニPのいた位置は事務所など固有の場所ではなく抽象的な住宅街の中であり、特定することは困難である。
   もしこれが本当に直線距離だとするのであれば、まずはシャニPのいた場所を特定することが先決である。

②[510]が歌番号だとする説
   『ひかりさす』が枕詞である『あかねさす』をもじったものだとすれば、『ひかりさす』を和歌一句目と考えることができるため、和歌にふられた歌番号ということで辻褄があう。
   『あかねさす』を捩ったものだと考えることのできる理由としては、「『あかねさす』のかかる言葉が、『むらさき』『光』『紅顔』『君』と凛世のコミュに関係の深い言葉ばかりである」という点や、「凛世のコミュ内において、『光 = シャニPを指す言葉』である」点などが挙げられる。

   以上考察してきましたが皆様はどうお考えでしょうか。何度も凛世の神社がどこか調べてきた私としましては、直線距離説は流石に無理があるのではないかと言う結論です。かといって自身の考えた歌番号説に関しても決め手にかけるため、正直な所お手上げというところではあります。

   ここまでご静読ありがとうございました、それではまたお会いしましょう。


[おまけ]
   直線距離の場合聖蹟桜ヶ丘周辺からではどうやっても該当する所がないため否定せざるを得ないのですが、(事務所の外観のモデルの一つとなっている)しみずビルのある府中駅前周辺から510km離れた川沿いの神社を探すと、北栄町の北野神社が該当します
  ただしシャニ作中の事務所は聖蹟桜ヶ丘にある設定のため、これと矛盾すると考えて本編ではあえて紹介しませんでした。