見出し画像

ガザからの声 〜ハニーンさんに聞きました〜

はじめに

これは、ハニーン・ハンマードさんのインタビュー記事です。

ハニーンさんが「ただの数字」ではなく名前と顔のある人であることをひとりでも多くの人に知ってもらうために、ご本人と一緒に書きました。

パレスチナをどこか遠く感じながらも、もはや全貌を把握することもできなくなった死者数やタイムラインに流れてくる遺体の写真に心を痛めている方に、それから、どれだけ声をあげても行動しても悪くなってゆくばかりの状況を前に立ち竦みそうになっている方に、お読みいただけますと幸いです。

ハニーンさんは現在、パレスチナのガザ地区にいます。2023年の11月15日にイスラエル軍の侵攻によって家を失って以来、幾度も強制退去を強いられ、現在(2024年7月12日)までに7度の移動を繰り返してきました。小さなお子さんふたりをつれての避難生活は、9ヶ月目に入ろうとしています。

私がハニーンさんとやりとりをするようになったきっかけは「ガザから脱出するために、そしてそれまでの日々を生き延びるために、クラウドファンディングのプラットフォームGoFundMeを通じて経済的な支援をお願いできないでしょうか」という旨のメッセージをいただいたことでした。(*1)

まったく知らない方からのメッセージだったら、見なかったことにしていたかもしれません。ですが、私はハニーンさんのことを知っていました。Xでフォローしている複数の方が以前から紹介されている方で、少額ながら寄付をしたこともありました。

悩んだすえに(このとき考えた様々なことについては、また別の場所で書きます)これまでよりも一歩踏みこんだ形でサポートすることに決めました。

ご本人とやりとりをするなかで、ハニーンさんがかつて大学でジャーナリズムを専攻していたことを知りました。ひょっとしたら、伝えることを得意とする方なのかもしれない。であれば、ハニーンさんの伝えたいことを日本語に訳して届けるお手伝いができるかもしれない。そう考え、自分が小説を書く人間であることを話したうえで「一緒になにか書いてみませんか?」と提案しました。すぐに「やりましょう」というお返事がかえってきました。

ハニーンさんの置かれている状況は過酷です。すべてを失い、GoFundMeからの支援が唯一の収入となった今、寄付がない日は食べるものを買うことすらできません。安全や安心にはほど遠い環境のなか、2歳と9歳のお子さんたちをひとりで守らなければならず、身体も心もとうに限界を超えています。そんな厳しい状況にありながら、ご自身やガザのことを伝えたい一心で、時間と労力を費やしてインタビューに応えてくださいました。

そうして形になったのが、こちらの記事です。

これまでガザで生き延びてきた、この先も生き延びたいと願っている、ひとりの人間としての、ハニーンさんの言葉です。
 
・記事は全文無料です。本文の最後に<購入手続きへ>というボタンがありますので、ハニーンさんを応援してくださる方は、そちらから記事をご購入いただけますと幸いです。売り上げは、GoFundMeを通じて全額ハニーンさんに寄付します。
また、<ハニーンさんへのインタビュー>の終わりにGoFundMeへのリンクを貼りました。そちらもあわせてお願いいたします。(サイトは日本語非対応ですが、使い方は難しくないです。簡単な解説も載せております)

・ハニーンさんとのやりとりは機械翻訳の助けを借りながら英語で行っています。ご本人の希望により、こちらの記事は日本語訳のみの公開といたします。
 
*1:現在、ガザにいる大勢の方々が、クラウドファンディングのプラットフォームGoFundMeを通じて資金援助を募っています。
イスラエル軍の侵攻により、ガザではインフラが破壊され、物流が止められ、公的な支援が入ることが困難な状況が続いています。国外へ脱出する(*2)ためにも、物価が高騰するなかで食料や飲み水を手にいれるためにも、お金が必要です。個人が、SNSなどを用いてSOSを発信せざるを得ない状況へと追いこまれているのです。
*2:検問所を越えてエジプトに出るためには、大人一人あたり$5,000が必要だそうです。(これは3月の時点での金額です。現在はさらに高くなっているとも言われています)

ハニーンさんへのインタビュー

  
ーまず、自己紹介をお願いします。 

「ハニーン・ハンマードと申します。31歳です。イエメンで生まれ、人生の大半をパレスチナ(ガザ)で過ごしてきました。2児の母で、長男のアーダムは9歳、次男のノアは2歳です」

「これがわたしです」と最初に送ってくださった写真です。

 ーご出身はイエメンだったのですね。

「はい。うちの両親は、奨学生としてイエメンの大学でアラビア文学を学んでいたんです。そこで出会い、恋に落ち、結婚しました。卒業後もしばらくイエメンで教師として働いており、そのさなかにわたしが生まれました。わたしの名前『 حَنين(ハニーン)』は、パレスチナから遠く離れて暮らしていたふたりが、家族や故郷を懐かしむ気持ちをこめてつけたものなんですよ」

 ー「ハニーン」とは、どういう意味ですか?

「『憧れ』です」

ー素敵な名前ですね。ご両親のさまざまな思いが詰まっているように感じられます。  
 イエメンからパレスチナへは、いつ移られたのですか?

「1994年です。その年にイエメンで内戦が勃発したため、故郷に戻りました」

ーそうだったのですね……。

「父も母も、わたしをふくむ8人の子どもたちのために多くの犠牲を払ってきました。子育ては苦労の連続だったはずですが、両親はいつもわたしたちの願いを叶えようとしてくれました。わたしはふたりにとって初めての子どもだったため、特に甘やかされて育ちました」

ーごきょうだいのことを教えてください。

「みんな素晴らしい人たちで、それぞれに美しい夢と野望を抱いています。わたしたちはとても仲が良く、おたがいを愛しています。
 なかでも特別なのは、すぐ下の妹のディーナです。わたしにとってディーナは、妹であると同時に友人でもありました。彼女のことが大好きで、もうひとりの自分のように思っています。幼いころのわたしたちはいつでもどこでも一緒にいて、よく双子と間違われました。それほど強く結びついていたし、そっくりだったんです。幸せな子ども時代でした。
 ですが、わたしが11歳のとき、ディーナは病気になりました。わたしたちの人生は一変しました。ディーナは性格ががらりと変わり、別人のようになり、わたしを嫌って離れていってしまいました。わたしの心に大きな影響を与えた出来事です」

妹さんたちと一緒に


ハニーンさんとディーナさん

ー次は、ハニーンさんご自身について質問させてください。
 今回の侵攻が起きる前、なにか趣味はありましたか?

「服をデザインしたり作ったりするのが好きでした。ちょうど、長年の夢だった自分のプロジェクトを立ち上げようとしていたんです。でも、その夢は叶いませんでした。侵攻によってすべてが破壊されました」 

「作品を見てみたいです」とお伝えしたところ「昔のものしかないのだけれど……」と言って送ってくださった写真です。「この写真は、妹の携帯電話に残っていたものです。わたしの携帯があれば最近の写真を見せられたのですが。子どもたちの食べ物を買うために売ってしまって、もう手元にないんです」

ー得意なことはありますか?

「子どもが大好きです。子どもたちとコミュニケーションを取るのが得意で、それを活かして保育士として働いていました」 

ー保育士! 私も近い業界で働いているので、共通点がみつかって嬉しいです。
大学ではジャーナリズムを専攻されていたそうですね。どうしてジャーナリズムを選ばれたのですか?

 「わたしには信念があり、言葉を扱うのが得意で、自分の国を愛しています。これらの資質をもって、パレスチナの姿を世界中に伝えたいと思っていました。当時のわたしは、自分はジャーナリスト以外の何者でもないと信じていました。でも結局、その道には進みませんでした」

―なぜでしょう? 

「この国では、ジャーナリストは常に命の危険に晒されることになるからです。いつ殺されるとも知れない職業です。子どもたちを置いていくことはできません」 

ー実際に、今回の侵攻が始まってから、多くのジャーナリストが殺害されています。イスラエル軍はジャーナリストを狙って殺しているのだと、いくつもの本や記事で読みました。本当に、あってはならないことですが……。

 ー大学を卒業した後は、何をしていましたか?

「卒業後すぐに、生涯を連れ添いたい相手と結婚しました。それから2年後に、保育士として働きはじめました」

ーおつれあいのHさんは、どんな方ですか。

「親切で、広々とした、美しい心を持つひとです。あらゆる意味ですばらしい、世界一の夫です。わたしたちは多くの困難をともに乗り越え、情熱的な恋をして、結婚しました。彼は素晴らしい父親でもあります。あんなにも子どもたちを大切にする父親は見たことがありません」

 ―Hさんのことが大好きなんですね。

 「彼の優しさと、わたしたちを守ろうとする気持ちが好きです。子どもたちとの接しかたが好きです。彼の勇気と、すべてのひとを愛する大きな、思いやりに満ちた心が好きです。いつも笑っている顔が好きです。好きなところをあげだしたらきりがありません。……彼が恋しいです」

 ―Hさんは、今は……?

「シオニストの占領軍が彼を連れ去り、わたしと子どもたちから彼を奪いました。彼が今どうしているのか、わたしにはわかりません。無事であることを神に祈り、1日も早く再会できることを願っています」

―……もしできるようであれば、そのときのことを詳しくお話しいただけないでしょうか。

「思い出すのは辛いです。無力感に呑まれそうになります。でも、構いません。お話しします。わたしも、この不公平な占領についての真実をたくさんのひとに知ってほしいので。

 夫は、ハーン・ユーニスに地上侵攻があった際に連れ去られました。ひどく寒い冬の、真夜中のことでした。2分以内に退避するよう勧告され、わたしたちは靴も履けずに裸足で外へと飛びだし、どこに行くのかもわからないまま走りました。
 4時間ほど路上で眠りました。その後夫が、ラファにいる友人のところに身を寄せる場所を確保してくれました。夫はわたしと子どもたちをそこに連れていくと、自分は食料や衣服など必要なものを取りにハーン・ユーニスに戻ると言いました。着のみ着のまま避難してきたわたしたちは、文字どおり何も持っていなかったのです。わたしはそんな危ないことはやめて、怒るよ、と言って止めようとしたのですが、彼は聞かずに行ってしまいました。それきり、今日まで戻っていません。
 夫がどうなったのか、しばらくのあいだわかりませんでした。
 どこへ行ってしまったのか、生きているのか死んでいるのか、何も知るすべがなく、頭がどうにかなってしまいそうでした。
 彼を探し続け、みんなに尋ねてまわりましたが、誰も答えてはくれませんでした。誰も何も知らなかったのです。
 今から一週間ほど前に、刑務所から釈放された人から、夫が占領者によって投獄され、そこで侮辱と拷問を受けていると聞かされました」

 ー……ごめんなさい。なんと言ったらよいのか……言葉がありません。1日も早くHさんがハニーンさんたちのところに戻られることを、私も心から願います。

ーお子さんたちのことを聞かせていただけますか?

「長男のアーダムは9歳。わたしの人生の希望です。美しく、礼儀正しく、とても勉強熱心で、いつもクラスで一番なんですよ。わたしは彼を誇りに思っています。
 でも、侵攻はアーダムをすっかり変えてしまいました。父親を失い、教育を奪われ、終わりのみえない苦しい生活が続くなかで、彼はいま精神的に苦しんでいます」

―アーダムさんのことが心配です。長期にわたって恐怖とストレスに晒されつづけるうちに、ほとんど口をきかなくなってしまったと伺っています。 

「母親のわたしとすら話そうとしないこともしょっちゅうで……。アーダムはとても繊細な子なんです。もう限界を迎えています。この子を失ってしまうのではないかと、わたしは怖くてたまりません。アーダムのためにも、一刻も早くガザを離れたいです」

―弟のノアさんのことを聞かせてください。
 
「小さなノアは2歳半。わたしの人生の喜びです。とても賢くて元気いっぱい、手のつけられないほどのいたずらっ子です。今や、わたしの気持ちをなぐさめたり励ましたりしてくれるのは、彼だけです。そのノアも、ミサイルの音に怯えてわたしから離れようとしません。幼すぎて、戦争というものの意味がわかっていないようです」

* ↓こちらは、ハニーンさんから毎日細やかな聞き取りをされているrinaさんのポストです。GoFundMeで集まったお金で、ノアさんの靴を買うことができたときのこと。くるくるまわって喜ぶノアさんの姿に、こちらまで嬉しくなります。でも、この靴、なんと$100もしたそうで……。
 rinaさんがハニーンさんから聞いてくださったところによると、ガザでは今(他のあらゆる品がそうであるように)靴が不足しているそうです。物流が止められているし、ほしいものがあっても、高すぎて手が出せない。靴を買うことができない人たちが、数時間歩くためにお金を払って靴を借りる、ということが起きているそうです。

―人間以外の生き物と暮らしていたことはありますか?

 「Karazaという名前の美しい猫を飼っていました。でも、占領軍によって奪われてしまいました。わたしも子どもたちも、あの子が恋しくてたまりません。ノアはいつも『Karazaはどこ?』とわたしに尋ね、彼女に会いたくて泣いています」

―大切な家族だったのですね。

はい。我が子の一人のように思っていました。家族みんなで世話をして、とても可愛がっていました。Karazaという名前をつけたのは、アーダムです。Karazaがうちに来たのは、ちょうどノアが生まれた日だったんです。自分に妹ができるのだと思っていたアーダムは「女の子なら名前はKarazaがいい」と言っていました。生まれてきた赤ちゃんが男の子だと知ると「だったら、赤ちゃんじゃなくて猫の名前をKarazaにしよう」と。……占領者にKarazaを奪われたときは、自分の体の一部がもぎ取られたように感じました。

―……あの、「奪われた」というのは具体的に、どのようなことがあったのでしょうか。Karazaは殺されてしまったのですか。それとも強制退避の最中に離れ離れになってしまったのですか?

「ガザの北部から南部へと強制退避させられた際、占領軍の検問所を通らなければなりませんでした。イスラエルの兵士が、わたしが抱えたキャリーケースを奪おうと挑発してきました。そのなかにKarazaがいたのです。抵抗しましたが、乱暴にキャリーケースを引き剥がされました。
『これは持ち出し禁止だ。それにお前、子どもがいたら猫に餌をやっている余裕なんてないだろう』
 その後、Karazaがどうなったかはわかりません」

 ―……酷すぎる。こんなこと、一刻も早く終わらせたいです……。

―この軍事侵攻が起こる以前の生活について教えてください。

「幸せで、比較的平和な日々を送っていました。子どもたちが幸せになれるよう、夫婦で子育てに奮闘していました」

 ―典型的な1日はどんな感じだったのでしょう?

 「朝起きて、朝食を準備し、アーダムを学校に、ノアを保育園に送ります。その後、自分の準備をして幼稚園で働きます。仕事の後は家に帰り、家族のために昼食を準備します。昼食後は子供たちや夫と一緒に一日の出来事を話しあい、少しテレビを見ます。その後、アーダムの宿題につきあいます。勉強の後、夫がわたしたちを短い散歩に連れて行ってくれます。散歩の後は家に帰り、夕食をとってから眠りにつきます」

 ―侵攻前はどんなところに住んでいたのですか?

 「ガザの北部に住んでいました。海のある街です。あの海が大好きでした。とても懐かしいです。
 わたしたちはその街で、清潔で暖かい家に住んでいました。シンプルではあるものの愛情と温かさでいっぱいで、わたしたちにとっては大きなお城のようでした。
 11月15日、占領軍がその家を破壊しました。とても苦労して手に入れたわが家だったので、本当に辛かったです。いつかより良い家を与えてくださるよう神に祈っています。でも、家族がみんな出かけていて助かったのは不幸中の幸いでした」

 ―今はどこに住んでいますか?

 「テントに。とても生活なんて呼べたものではありません。環境は不衛生で、食べ物はすぐにハエにたかられてしまいます。そこらじゅうネズミや危険な虫だらけで、夜になれば野良犬や爬虫類も出てきます。日中のテントのなかの暑さは酷いものです」

20センチほどの大きさの、毒のある虫。虫にはみなさん本当に悩まされているそうです。虫刺されで真っ赤に腫れあがった腕や脚の写真も見せてもらいました。痛くて痒くてとても辛いとのこと……。

 ―現在の生活の状況について教えてください。

 「悲惨のひとことです。侵攻は、わたしたちからすべてを奪いました。夫を失い、お金を使い果たし、食べ物も水もありません。GoFundMe 経由で得られる援助がなければ、子どもたちに食べさせててゆくことはできませんでした」

 ―今回の侵攻以前に、日常生活のなかで暴力に脅かされたことはありますか?

 「ええ、何度も。わたしたちは常に暴力と恐怖の中で生きています。イスラエルが絶えず戦争を仕掛けてくるため、わたしたちは本物の安全を感じたことがありません。とはいえ、過去のどの侵攻も、現在のこの侵攻ほど残酷ではありませんでした。今起きていることは、人間、石、木々……すべてのものに対する無慈悲なジェノサイドです」

 ―いま一番困っているのはどんなことですか?

 「困ることばかりですが、いっとう大変なのは、子どもたちのために食べ物を確保することです。ふたりが食べ物をほしがるのに何も買えないと、本当に辛いです」

 ―現在はどのように1日を過ごしていますか。

 「朝起きると、まずテントを掃除します。料理用の薪を集め、それから飲み水を汲みにいきます。これが一番嫌な仕事です。人が多すぎて水を手に入れられない日もあるからです。水汲みのあとはパンを焼いたり、保存の効く食べ物を作ったりします。その後は、子どもたちと過ごします。一緒にすわって話を聞いたり、遊んだりすることで、少しでも苦しみを忘れさせようとします」

 ー食材は、どんなものが手に入るのでしょう?

 「主に豆類(レンズ豆、ひよこ豆、缶詰のエンドウ豆など)を食べています」

 ーどのように調達されているのですか?

 「避難民のための市場のような場所があるんです。ただ、なにもかもが、ものすごく高くなってしまっています」

*物価は平時の10倍にまで高騰しているとのこと。つい先日「GoFundMeのおかげで久々に子どもたちに鶏肉を食べさせることができました」と喜んでいらっしゃったハニーンさんですが、お肉を食べたのは約9ヶ月ぶりだったそうです。アーダムさんとノアさんの栄養状態について、いつも心を痛めていらっしゃいます。常にお子さんを優先されているようなので、ハニーンさんご自身の身体も心配です……。

 ―お子さんたちは、毎日どんなふうに過ごしているのですか?

 「アーダムは……彼は、一日中なにもしません。誰とも話したがらず、いつも一人で座っています。話しかけるようにしているのですが、応えてくれるときもあれば、拒否されてしまうときもあります。
 ノアはやんちゃで、いつも他の子どもたちと遊んでいます。遊び道具がなにもないのでボールを買ってあげたかったのですが、残念ながら、探しても探してもみつけることができませんでした」

 ―今いる場所には、少し前までいた場所が攻撃に晒されて緊急的に避難してきたのですよね。状況はましになりましたか? 今も身の危険を感じていますか?

「ガザに安全な場所はありません。わたしたちは毎分死に直面しています。イスラエルは安全な場所があると主張していますが、それは嘘です。彼らには慈悲がありません」

―占領や暴力に脅かされずに暮らせるとしたら、どこに住みたいですか?

 「エジプトに行きたいです。エジプトは世界の母です。美しい国で、人も親切です。3度訪れたことがありますが、とても楽しい時間を過ごしました」

 ―1日も早く、ハニーンさんたちがガザからエジプトへと脱出できることを願っています。

 ーインタビューを終わりにする前に、ひとつ聞かせてください。
 ハニーンさんにとって、幸せとは何ですか?

「ひとことで言えば、『安全であること』です」

―この記事を読んでくれた方に、メッセージをどうぞ。

「ここガザでは、苦しみが増すいっぽうです。わたしたちは飢えで死に、魂が滅び、身体も疲弊しています。どうかわたしたちに寄り添って、この困難を乗り越えるための力を貸してください。
 この記事を読んでくださったみなさんに、わたしたちに慈悲と憐れみを向けてください、手を差し伸べ、できる限りの手段をもって助けてください、とお願いします。
 わたしたちもあなたと同じ人間です。どうか、この光景に慣れないでください」

 *

ハニーンさんとご家族をサポートするクラウドファンディングはこちらです。

・サイトは日本語非対応です。
・オレンジ色の"Donate Now"(寄付をする)ボタンを押して、飛んだ先のページで任意の金額を入力してください。いっけん25ユーロ以上でないと寄付できないように見えますが、金額の欄に直に数字を打ち込めば、5ユーロから可能です。
・Tip(GoFundMeに渡る手数料)は、スライドバーを左右に動かして変更できます。(0も可)。
・匿名で寄付したい場合は「Don't display my name〜」にチェックを入れてください。

 クレジットカードが使えない、海外への直接送金が不安、GoFundMeの使い方がわからないなど、お困りのことがあれば、聞き手の糸川まで気軽にお問い合わせください。

Itokawa.noe@gmail.com

X: @Itokawa_Noe

  検問所を越えてガザから脱出するためには大金が必要です。それまでの日々を生きてゆくための食費と生活費や、ハニーンさんの抱えている甲状腺の病気の薬を買うためのお金もかかります。GoFundMeがハニーンさんたちの唯一の収入源で、これが途切れてしまうと生きてゆくことができません。たくさんの方が少しずつ出しあうことで、どうにか繋げてゆきたいです。
 何卒よろしくお願いいたします。 

久しぶりにバナナが食べられた日。ご機嫌なノアさん。

聞き手による追記

 
インタビューのなかで、踏みこんだ質問をしなければならなければならない場面が何度かありました。
おつれあいが戻って来なかった日のことや、Karazaと引き離されたときのことについて「詳しく話していただけませんか」と聞くのは胸が痛みました。
ですが、ハニーンさんは一度も私を責めませんでした。
苦しいけれど、みなさんに伝えたいから話します。
泣きながら答えたけれど、自分の内側にあったものを解放することができました。
そんなふうに仰られながら、懸命に言葉を探してくださいました。
祈りであると同時に叫びでもあるこの言葉が、どうかひとりでも多くの方に届きますように。
 
避難勧告地域からの強制退避、アカウント凍結などにより、メッセージのやりとりが中断されることもありました。にもかかわらず、常に忍耐強く、心のこもった言葉で応じてくださったハニーンさんに、深く感謝しています。
1日も早くおつれあいがご家族のもとへ戻られることを、みなさんが安心して暮らせる環境に移動できることを、切に願っています。
 
いつか、解放されたパレスチナでハニーンさんに会いたいです。
私からも、お力添えをお願いいたします。

* 

7月21日追記:

Xにて、その後のハニーンさんのことを日記のような形で書き連ねています。よろしければ引き続き、一家を見守っていただけますと幸いです。



また、ハニーンさんのご実家であるハンマード家のみなさんも、別口で支援を募っていらっしゃいます。

ハニーンさんのGFM同様、脱出のための資金と、それまでのあいだの生活費を募ることを目的したものです。
詳細は、翻訳家の佐藤まなさんが、こちらのツリーで紹介されています。


ハンマード家のみなさんは、12人がひとつのテントで暮らしています。
GoFundMe上では少しずつ貯まっているように見えるお金も、じっさいは大家族が生きてゆくために使い果たしてしまっているとのこと。
次女のDinaさんの病気のために薬代が月400ドルかかり、これをどうにか工面するために食費を削っているとも伺いました。
生活費が尽きてしまってとても不安だというSOSが、連日届いています。

もしも可能であれば、ハニーンさんともどもご家族についても、シェアや寄付にお力添えいただけますと、非常にありがたく存じます。

今回ハニーンさんにインタビューをするきっかけとなったのが、Creamy Emiさんによるインタビュー記事「ガザからの手紙」でした。

チャリティのためのグッズを作る方や、目を引くイラストで支援を呼びかける方を見ながら、そういった特技をもたない自分にできることはなんだろう……とずっと考えていました。Emiさんの記事を拝読したのは、そんな矢先のことでした。
血の通った温かい言葉が行き交う「ガザからの手紙」を読んで、私はすぐにモハメドさんとヤザンさんのことが好きになりました。同時に、こんなふうに信頼関係を築きあげて上手にお話を伺うことができるかはわからないけれど、少なくとも文章方面でのお手伝いならば私にもできるかもしれない、と気がついたのです。

ハニーンさんからお話を伺う際にも、Emiさんの記事をお手本とさせていただきました。質問の内容やタイトルなどが似通ってしまいましたが「じゃんじゃん真似してください!」と快諾してくださったEmiさん、本当にありがとうございました。
(この記事についても、もしも「自分もやってみようかな」と思ってくださる方がいらっしゃれば、どうかじゃんじゃん真似してください)

 EmiさんはXでも日々、#ムハンマド日記 というハッシュタグでムハンマドさんの近況を伝えてくださっています。こちらも是非。


ムハンマドさん、ヤザンさんのGoFundMeにもご協力いただけますと幸いです。

ちなみにEmiさんは、MOEさんの記事を参考に「ガザからの手紙」を書かれたとのこと。こちらも素晴らしい内容でした。あわせてお読みいただくことで、ガザの過去と現在を、そこで生きる人たちのことを、より具体的にイメージできるようになるのではないかと思います。

私はハニーンさんとそのご家族をサポートすることに決めました。
ハニーンさん以外の方への支援に関しても、可能な範囲で話題にしたり寄付をしたりしています。
ですが、GoFundMeを用いてクラウドファンディングを呼びかけたりSNSを通じて外と繋がったりすることができているのはごく一部の方に過ぎず、その向こうには比べ物にならないほど多くの、SOSを発信することさえできない方々がいることも伝え聞いています。
何を選んでも、どんな行動をとっても、これでいいのだろうかという葛藤が尽きません。
今はとにかく、ご縁があって繋がった方が命を繋ぐための支援に注力するつもりです。
同時に、この問題を根本から解決するためにも引き続き、できることをやってゆきます。
 
この状況に対して、個人にできることなんてあるのだろうか?
そう思われる方は、パレスチナに連帯する市民の方々が作成された「Olive Journal」を訪ねてみてください。
今からパレスチナを知ろうという方にもおすすめの、丁寧で優しいサイトです。自分のペースと温度で取り組めることが、必ずみつかります。

この記事ではガザの話に終始しましたが、同じく占領下に置かれているヨルダン川西岸地区でも、これまでもずっと日常だった抑圧と暴力がいっそう激しさを増し、毎日人が殺されています。
1日も早くこの理不尽が終わることを願ってやみません。

即時にして恒久的な停戦を。パレスチナの解放を。
その日まで、私の持っているひとりぶんの力で、できることを続けてゆきます。

本文は以上です。お読みくださりありがとうございました。
もしよろしければ、記事の拡散や購入といった形でご協力いただけますと幸いです。

ここから先は

0字

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?