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ガザからの声 〜ムハンナドさんに聞きました〜


はじめに

  ハニーンさんと作ったインタビュー記事を公開してから、約2週間が経ちました。

 記事をお読みくださった皆様、拡散や購入、サポートといった形でご支援くださった皆様、本当にありがとうございました。
 お送りいただいたメッセージやSNSで拡散していただく際に添えてくださった言葉は、すべてハニーンさんにお伝えしています。とてもお喜びで、つい昨日も「日本のみなさんが応援してくださるおかげで強くなれます」と仰っていました。私からも、心からのお礼をお伝えさせてください。
 引き続き、ハニーンさんをよろしくお願いいたします。

 さて、今回投稿するのは、ハニーンさんの弟のムハンナドさんのインタビューです。 
 ムハンナドさんは今、大切なひとたちを守るためにガザで力を尽くしています。控えめな声を、その向こうにある強い思いを、どうか聞いてください。

・現在パレスチナのガザ地区では、イスラエルの軍事侵攻によって強制退避を余儀なくされた一般の方々が、個人として寄付を募らなければ生きてゆけない状況に追い込まれています。詳しい事情は前回の記事の「はじめに」と「聞き手による追記」に書きましたので、併せてお読みください。

記事は全文無料です。本文の最後に<購入手続きへ>というボタンがありますので、ムハンナドさんを応援してくださる方は、そちらから記事をご購入いただけますと幸いです。売り上げは、プラットフォームGoFundMeを通じて全額ムハンナドさんに寄付します。
 また、<ムハンナドさんへのインタビュー>の終わりにGoFundMeへのリンクを貼りました。そちらもあわせてお願いいたします。(サイトは日本語非対応ですが、使い方は難しくはありません。簡単な解説も載せています)


ムハンナドさんへのインタビュー


現在のムハンナドさんと、侵攻が激化する以前のムハンナドさん

 ―こんにちは。まずは、みなさんに自己紹介をお願いします。

「ムハンナドと申します。年齢は28歳。生まれも育ちもガザで、アル=アズハル大学の歴史科を出ています。8人きょうだいのうち唯一の男子で、家族の命と生活を守ることが今の自分の大切な務めです」

―お姉さんのハニーンさんからご家族のことを伺っています。ハニーンさんが一番上のお姉さん、その下がディーナさん、3番目がムハンナドさんで、さらに5人の妹さんがいらっしゃるのですよね。みなさんは、どんな子ども時代を過ごされたのですか?

「今経験しているこの戦争(*)ほど過酷ではなかったものの、子どものころにもしょっちゅう戦争が起きていましたね。でも、家族との優しさや幸せに満ちた記憶もたくさんありますよ」

 *ムハンナドさんの使われた”war”という言葉を、そのまま訳しています。

 ―よろしければ、いくつか思い出話を聞かせてください。

 「両親とはいつも一緒にビーチに行きました。私が家族でたったひとりの男の子だったこともあり、とても可愛がられていました。
 2012年に両親、ハニーン、ディーナ、私の5人でとエジプトに旅行したことも、忘れ難い思い出です。ピラミッドや紅海など、エジプトの由緒ある名所を訪ねました。私にとって、今のところ最初で最後の旅行となっています。人生で最も幸せな日々でした。
 その旅行をのぞいては、生まれてからずっとガザ市(*)で過ごしてきました。ガザは包囲された小さな都市で、外に出ることが非常に困難です。天井のない監獄という喩えがよく用いられますが、じっさいにそのように感じています」

 *ここでの「ガザ市」は、「ガザ地区」全体のことではなく、都市の名前、Gaza cityの訳語です。

 ―ご家族の他に、大切なひとはいますか?

 「まず、愛する女性がいます。この戦争が終わったらプロポーズするつもりでしたが、彼女と暮らすために建てた家が破壊され、貯めていた結婚資金も生きるために使い果たしてしまいました。
 それから、Hazemという仲の良い友だちがいるのですが、彼は現在、占領軍の監獄に囚われています。1日も早く解放されることを願ってやみません。
 もう一人、Ahmedという親友がいます。彼はこのジェノサイドで殉教しました。彼は私のすべてでした。彼と連れ立って出かけなかった日は、一日たりともなかったほどです。
 Ahmedは、私が飼っていたAceという犬の名づけ親でもあったんですよ。Aceとも、とても悲しい別れ方をしました」

―そのお話を、もう少し詳しく伺ってもよいですか?

 「2023年の11月に叔父の家が爆撃されました。Aceはその際に、崩れた家の下敷きになって死にました。瓦礫の下に埋もれてしまったせいで、埋葬することができませんでした。思い出すたびに心が痛みます。
 叔父の家に住んでいた、いとこやその子どもたち13人も、みんな一緒に殺されました。ほとんどが子どもや女性でした。一家全員が家族の歴史から消え去り、誰も残りませんでした。叔父の家と私の家は隣どうしで、叔父の家が爆撃された際に我が家も破壊されました。
……あまり思い出したくありません。多くの親戚、近所の人、同僚、友人が殺され、今も殺されつづけています」

 ―辛いことを思い出させてしまってごめんなさい。本当に、どうしていまだにこんなことが続いているのか……。止められないままここまできてしまっていることが、悔しくてなりません。

Aceさんとムハンナドさん

―侵攻が激化する以前の生活について、いくつか質問をさせてください。
 ムハンナドさんは大学では歴史学を学ばれていたのですよね。なぜ歴史を選ばれたのですか?

「歴史が好きだからです。歴史は私たちの文明の一部であると同時に、現在と未来の一部でもある。歴史を学び、知ることが、国を発展させることにつながると考えています」

「大学で撮った最後の写真です。ここに写っているキャンパスも、完全に破壊されてしまいました」
*1月中旬の時点で、ガザにあった4つの大学はすべてイスラエル軍によって爆破されています。

―卒業後はどのような道に進まれたのでしょう?

「ガザは非常に失業率が高く、歴史の分野では職を得ることができませんでした。それで、香料とスパイスの店をひらきました。どちらも常に需要のある商品なんですよ。私の店は小児科の隣にあり、子どもをつれたお母さんたちがよく立ち寄ってくれました。ですが、その店も破壊され、なくなってしまいました」

―もしも自由に仕事を選ぶことができるとしたら、どんな職業につくことを望まれますか?

「人を助ける仕事がいいですね。国際的な、あるいはローカルな機関で、人道支援にかかわる仕事をしたいです」

―侵攻が激化する以前の1日のルーティーンは、どんな感じだったのでしょうか?

「ごくふつうですよ。朝起きて、午前8時から午後4時まで仕事をして、その後は運動をしたり、本を読んだり、友達と散歩にでかけたりしていました。ガザはご存知のとおり沿岸都市なので、夕方は友達と一緒に海で過ごすことが多かったです。サッカーも楽しかったですね」

 ―パレスチナにはサッカー好きが多い気がします。人気のスポーツなのですね。

 「はい。友人たちと、いつも広場や路上でサッカーをしていました。国際試合を観戦するのも好きで、バルセロナやエジプトのアル・アハリといったチームを応援していました。
 今と比べると、関心の対象も生活も、ずっとシンプルで美しかった。……戦争がすべてを破壊するまでの話です」

―本当に、なにもかもがことごとく破壊されてしまって……。SNSを見ていると、見渡すかぎり瓦礫と化した光景が毎日流れてきます。あの崩れ落ちた建物ひとつひとつがムハンナドさんたちの生活そのものだったことを思い、改めて胸が張り裂けそうです。
……ムハンナドさんは、おうちも爆撃で失われていますね。

「はい。とても美しい家でした。大切なひとと住むために、実家の隣に新しい家を建てたばかりだったんです。彼女との結婚のためにすべてを費やしてきました。満ち足りていました。占領軍はそれを一瞬で破壊し、瓦礫の山にしてしまいました」 

―現在は、どちらにいらっしゃるのですか?

 「ガザ地区の中部、デイル・アルバラという地域に。避難民でひしめきあうキャンプの一角で、家族全員がひとつのテントに押しこまれるようにして暮らしています。テントのなかは酷い暑さになるのですが、電気がないため、ただ耐えるしかありません。劣悪な環境のせいで家族はみんなとうに限界を超えており、それに対して自分に何もできないことが、とても苦しく、悲しいです」

 ―現在の生活について、詳しく聞かせてください。

 「きわめて困難な日々を送っています。まず、飲み水を手に入れることがとても大変で、もし機会が訪れたとしても2時間並んで待たなければなりません。そうやってようやく調達した水にも、衛生的な問題があります。入浴用の水も高価なうえ、塩分濃度が非常に高いです」

 ―身体を洗うためには、海水を使うしかない状況なのですね……。

 「はい。そのせいで皮膚病にかかってしまいました。私たちは深刻な水不足に陥っています。占領によってガザに水が供給されなくなっていることが原因です」

 ―水だけでなく、食糧や医療も不足していると伺っています。

 「包囲のせいであらゆるものの供給が不足し、物価が以前の何倍にも跳ね上がっています。私は昨年の10月以来働くことができていないため、GoFundMeを通じて友人たちの助けを借りなければ生活してゆくことができません。不衛生な水と食料のせいで私たちはさまざまな病気にさらされており、治療や投薬が必要です。家族のなかには肝炎にかかってしまった者が何人もいます」

「私たちはこの苦しい状況に慣れてしまった。飲めば伝染病などの病気にかかるリスクのある不衛生な廃水をほんの少し手に入れるために、少なくとも2時間も列に並んでいる」

 ―現在は、どのような1日を過ごしていますか?

 「朝8時に起床し、まず少量の水を、それから食料を調達します。なんとか手に入る食べもののほとんどが、状態が悪かったり、健康によくないものだったりします。また、常にガスを利用できるわけではないため、薪を集めなければならないこともあります。まずここまでに、非常に時間がかかります」

 火を熾すムハンナドさん。
「焚き火を用いた調理が続いたせいで母が呼吸器を痛めてしまった際、GFMを通してサポートしていただいたお金でストーブとガス管を買うことができました。ですが、封鎖下では常にガスが利用できるわけではありません」

 「水と食料をどうにか確保したあとは、携帯電話を充電しに行きます。ソーラーパネルを用いて発電している人から 、電気をわけてもらうのです」

 ―充電するのにお金がかかるのですか?

「はい。私たちは、家族で8台の携帯電話と2つのバッテリーを共用しています。充電するための費用は一回につき、携帯電話が3シェケル(*)、バッテリーが4シェケル。つまり、充電のためだけに1日に約32シェケルかかります。場合によっては1日に2回充電しなければならないこともあり、その場合は、10ドル以上が必要になります」

*2024年7月30日現在、1ドル=約3.7シェケル=約153円

 「通信インフラの破壊によってインターネット環境が非常に悪くなっていることにも、しょっちゅう悩まされています。
 私の一日には休息がありません。すべての時間を生きるためだけに費やしているせいで、収入を得るために働くことができずにいます」

 ―いま一番辛く感じていることは何ですか?

 「我が家から離れたところで暮らさざるを得なくなっていることです。家や街が破壊されてしまった今でもなお、そう感じます。私たちは生まれ育った地域から追い出されました。
 毎日のように友達や親戚、隣人を失いつづけていることにも、深く傷ついています」 

―昨年の10月以前に、暴力によって身の危険を感じたことはありますか?

「それ以前も、私たちは経済的な包囲と断続的な爆撃にさらされていました。ほぼ毎月のように小規模な軍事侵攻がありました。しかし、今起きているこれはまるで次元が違います。これは前例のない血生臭い戦争です。虐殺です。死者と負傷者の数は15万人を超えており(*)そのほとんどは女性と子どもです」

*原文ママ。記事の最後に注釈をつけています。

―お姉さんのハニーンさんは、以前いた場所から退避勧告を受けてムハンナドさんたちが今いる場所に逃げてこられたのですよね。より安全な地域のはずだからと。ですが、ムハンナドさんのXでの投稿を見ていると、みなさんは依然として命を脅かされつづけているようで……

「『人道地区』などというものは存在しません。あれはすべて、占領軍による嘘偽りです。私たちは常に危険に晒されています。占領軍は民間人であろうと関係なしに攻撃してきます。そのせいで私は、何度も命を落としかけました。テントのなかにいるときでさえ、爆撃によって破壊された車や建物の破片が飛んできて怪我を負う可能性があります」 

 7月13日のムハンナドさんの投稿。
「カーン・ユニスのアル・マワシで、私たちは恐ろしい虐殺に遭いました。避難民のキャンプ地で数十人が死亡、負傷しており、そのほとんどは子どもと女性でした。この地獄から私たちを救ってください」
 この後も爆発に巻きこまれかけるなど、ムハンナドさんの命は脅かされ続けています。7月28日には、テントから数百メートルのところでまた虐殺が行われたとのこと……。

―もしも、どこでも好きな場所で占領の恐怖や暴力に晒されずに生きられるとしたら、どこで暮らしてゆきたいですか?

「不正義、抑圧、暴力から離れて生きられる場所であれば、どこでもいいです。ラファの検問所を通ることができればガザを出てエジプトに行けますが、そのためには、大人1人あたり5,000ドルの費用がかかります」

 ―1日も早く脱出資金が集まることを、そして、みなさんが愛する故郷を離れなければならなくなった根本的な原因である占領が終わることを、心より願っています。
 ムハンナドさん、苦しい状況が続くなかここまでお話を聞かせてくださって、本当にありがとうございました。

 最後にひとつ質問をさせてください。
 ムハンナドさんにとって、幸せとはなんですか?

「安全に暮らせること、誰からも傷つけられないこと、殺されないこと、愛する人たちを奪われないことです」

―この記事を読んでくださった方に、メッセージをどうぞ。

「私たちをひとりにせず、どうか私たちの話を自由な世界に伝え続けてください。それが私たちに希望と強さをもたらしてくれるのです。あなたの人道的および経済的なサポートは、私たちが生き延びるための大きな助けとなってくれています。
 日本で暮らす自由な皆様に心からの感謝を申し上げるとともに、よりいっそうのご支援をお願いいたします」

ムハンナドさんとご家族をサポートするクラウドファンディングはこちらです。

 ・サイトは日本語非対応です。
・オレンジ色の"Donate Now"(寄付をする)ボタンを押して、飛んだ先のページで任意の金額を入力してください。いっけん25ユーロ以上でないと寄付できないように見えますが、金額の欄に直に数字を打ち込めば、5ユーロから可能です。
・Tip(GoFundMeに渡る手数料)は、スライドバーを左右に動かして変更できます。(0も可)。
・匿名で寄付したい場合は「Don't display my name〜」にチェックを入れてください。

 クレジットカードが使えない、海外への直接送金が不安、GoFundMeの使い方がわからないなど、お困りのことがあれば、聞き手の糸川まで気軽にお問い合わせください。
Itokawa.noe@gmail.com
X: @Itokawa_Noe

 大家族が検問所を越えてガザから脱出するためには大金が必要です。それまでの日々を生きてゆくための食費と生活費や、医療費もかかります。GoFundMeがムハンナドさんたちの唯一の収入源で、これが途切れてしまうと生きてゆくことができません。たくさんの方が少しずつ出しあうことで、どうにか繋げてゆきたいです。寄付が難しい場合は、記事の拡散やシェアも非常にありがたく存じます。
 お心寄せを、何卒よろしくお願いいたします。

7月19日、ムハンナドさんが「瓦礫の上の私たちのテント✌️🇵🇸」という言葉を添えて投稿された写真です。「私たちは、自分たちの家が破壊されてできた瓦礫の山とさえ共存を試みています」

 

聞き手による追記

 ハニーンさんと作った記事を公開した直後の7月13日、ムハンナドさんとも一緒にインタビュー記事を作りましょう、という話になりました。
 その数時間後、ムハンナドさんはアル・マワシで虐殺に遭遇してしまいます。
 なんとか逃げ延びるも、翌14日には、現場から数百メートル離れた場所で吹き飛ばされた遺体の一部が木にひっかかかっているのを見てしまったそうで……

 15日にひとまずインタビューのもとになる質問リストを送ったものの、その日はお返事がありませんでした。
 17日に、メッセージが届きました。

「送ってくれた質問に答えられていなくて、申し訳ない。あまりにも酷いものを目撃し続け、ショックから抜け出しきれずにいる。昨日は私のすぐ隣で車が爆発した。怪我人と死者が大勢出た。状況は日毎に悪化する一方だ」 

 その後19日に「今夜こそ質問に答えます」とだけ言われたものの、じっさいに回答が届いたのは、22日のことでした。

 精神的な苦痛、体調不良やストレスによる不眠や日々の重労働からくる疲労、劣悪なインターネット環境など、さまざまな原因に阻まれながらも振り絞るようにして聞かせてくださった言葉を形にしたのが、本記事です。

 ムハンナドさんからお話を伺うなかで、戸惑ったことがありました。
 ハニーンさんのお話と比べて、登場する方々の顔が見えづらいと感じたのです。
 ご家族にせよ、最愛の女性にせよ、ご友人にせよ、語られるのは主にムハンナドさんとの関係性のみ。伺ったお話から一人一人の顔やお人柄を感じとることは、困難です。
 ですが、やりとりをかさねたり、ムハンナドさんご自身の日々の発信を拝見したりするうちに、ああ、この方は意図的にこういう語り方をされているのだ、ということが、少しずつわかってきました。
 ムハンナドさんは、語ること/語られることに伴う苦痛や、その語りが公になることで生じる危険を、とてもよくご存知なのでしょう。だからこそ、大切なひとたちを守るためにご自身が盾になり、自分以外の方の個人的な話はなるべく伏せたままにすることをよしとされているのです。
 やりとりをはじめたばかりのころ、「ムハンナド」が「剣」を意味する言葉なのだ教えていただきました。
 なるほど確かに、ムハンナドさんには、勇気や力強さを連想させる「剣」がお似合いです。でも同時に、「盾」のひとでもあるのだろう。私はそう思っています。

 自分や大切なひとたちが「数字」ではないことを伝えるために、顔を見せる語りを選択したハニーンさん。
 大切なひとたちを守るために、顔を見せない語りを選択したムハンナドさん。
 どちらのお話も、生き延びるための手段として、覚悟のもとに語られたものです。
 ともに遠くまで届いて具体的な支援につながることを、聞き手として願ってやみません。

*聞き手がこのようにインタビューを「解釈」をするのは、本来ならば好ましいことではないように思います。ですが今回に限っては、直にお話を伺った者として、こぼれ落ちてしまうものもなるべく掬いあげてお伝えすべきだと考え、こうした形をとりました。(この追記も、ムハンナドさんに内容をチェックしていただいた上で公開しています)

*ムハンナドさんのお話にあった「死者と負傷者の数は15万人を超えており」という箇所について:瓦礫の下に埋もれてしまっている方があまりにも多すぎるため、正確な被害を数字として把握することが困難な状況が続いています。参考資料として、ガザ保健省による最新の報告を共有させてください。

 2024年7月28日の投稿。
 死者39,324人、負傷者90,830人と発表されています。

 本文は以上です。お読みくださりありがとうございました。
 よろしければ、記事の拡散や購入といった形でご協力いただけますと幸いです。

*ムハンナドさんとのやりとりは、機械翻訳の助けを借りながら英語で行っています。ご本人の希望により、こちらの記事は日本語訳のみの公開といたします。

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