大嫌いな占いについて

朝のニュースのおかげで、私達日本人は占いに半ば強制的に触れながら暮らしている。
どうも私はこの占いが嫌いなのである。子供の頃から嫌いで、確かその頃は、ネプチューンが心配そうにゲストを気遣いながら司会をする番組がはやっていた。


占いが嫌いな理由としては、占い師が取る高慢ちきな態度やボリ過ぎな相談料金などが挙げられるが、中でも最大の理由は、占い師が全然訳のわからない根拠を自信ありげにのたまって占いしくさってるからだ。

最も占いの根拠として使われるのは、生年月日だろう。次によく聞くのは血液型、あとは占星術なんていうのがあります。

出ました、占星術。なんだ星を占う術って。星の位置関係でいったいなにがわかるのだろうか。

占い師は大抵このような内容を言う。3月に生まれたあなたは35歳の時に火星が木星に近づくから恋愛運が昇り調子になります、などと。なんだそれは。火星が木星に近づいたら、なぜ恋愛が捗るんだ。誰が決めたんだ。木星が決めたのか。僕に火星が近づく間は35歳の人だけ恋愛運アップだよ、って木星サイドから事前に発表があったのか。え、違います、35歳の3月生まれだけで他の月生まれは含まれません、だって。あんなでかい星にそんな細かな1ヶ月の差がわかるか。地球の10倍もでかいんだぞ。地球の公転の1ヶ月の差にどうやって気付くんだ。


とにかく私には、根拠がめちゃくちゃな占いの訳がわからない。わからないものは否定する人間のセオリーに則らせて頂き、ここに嫌いであると宣言するのであった。

しかし、よくわからないから嫌うというセオリーは、それはそれで野蛮な発想である気がする。そういう発想は私は良くないと思うので、改めなければいけないところであると瞬時に反省した。

食わず嫌いは良くないと反省した私は、占い本を何冊か読んでみた。読んで実態を調べたところ、占いの中には面白い形式があると発見した。

占いは占星術などといった、あるシステムを元に運勢を判断するものが大半であり、テレビで取り上げられるものは大抵これに当てはまる。ミステリアスでテレビ映えするからだろう。

だが調べたところ、占いの中には自己啓発に似た手法で運勢を上げようとするものもあった。運勢を上げるというよりは、その人自身の幸運の感じ方を変えるものだ。どちらかというと心理学に近い考え方かもしれない。

幸運の感じ方を変えるというとオカルト臭くなるが、私はきちんと理論に基づいていると判断した。それはどういうものか。子供を例に説明をしてみる。


子供がお年玉を、初めて会った親戚から1,000円貰ったとする。高校生あたりなら大して嬉しがりはしないだろう。「あざす」ぐらいの反応だと思う。

だがもし、貰った子供が小学1年生だったらどうだろう。きっと狂喜乱舞の反応をする。もうなんか嬉し過ぎて、貰った瞬間の反応なんかスマブラ参戦海外の反応動画みたいになるだろう。さもすれば嬉ション、果てには嬉ゲロをしてしまうかもしれない。

不意に1,000円が貰える。同じ幸運であるにも関わらず、なぜ2人の子供には喜びに差があるのだろうか。それは2人の幸福感が違うからである。

高校生にとって1,000円を貰う事は些細な収入であり、小学生1年生にとって1,000円を貰う事は莫大な事件である。金額が同じでも小学生1年生が感じた幸福感は高校生よりとても大きい。


では、この幸福感の差を意識的に生み出せたらどうか。私の発見した占いではこうした着想の元に、幸福の感じ方を変える方法を指導しているものがあったのである。心理学的根拠に基づいた占いであり、これなら根拠がはっきりしている。これなら占い嫌いの私もニッコリである。

たしかに、自分の感覚を変えて幸福のハードルを下げる事が可能なら、ほんの些細な事でも幸福に満たされていると感じられるだろう。些細な幸せで嬉ゲロする程の人間にもなれるかもしれない。そこまでの幸せ敏感体質になったのならば、人生はとても豊かになるだろう。周りがゲロまみれになるデメリットはあるが。


世の中の占い本には出鱈目を書いているものが多い。自分勝手に決めたルールでやりたい放題やり、今星期のムーンパワーがなんだとかサイコパワーがどうしたとか語る本が山ほどある。

しかし、占い師の中には占いを通し、理論に基づいたやり方で人を幸せにしようとする勉強家もいるのである。

中にも胡散臭い見た目のもいるが、それはテレビの占い特集とかで話題になりやすい様に外面をミステリアスに装って、営業努力をしているのである。占い師も売れたいだろうから仕方ない。根が勉強家なら胡散臭くても応援しようかなと思う今日この頃であった。

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