東野圭吾ファンになるかならぬか

先日、知り合いから小説を10冊ほど頂いた。埼玉から青森まで遠出する用事があると話した際に「良かったら暇つぶしに」と、読み終わった物をくれたのだ。

中には聞き馴染みのない作家の小説数冊と運に関する文庫本が1、2冊あった。どれも普段なら買ってまで読む事は無いなと思いながら、パラパラと眺めてる内に東野圭吾の小説が5冊もある事に気が付いた。(万が一読んだ人から呼び捨てにしてんじゃねぇよと怒られたら嫌なので人物名には全て敬称を付けようとも思いましたが、敬称漏れが発生するかもしれないので予め全て敬称略とさせて頂きます)

小説なんて高校の時の朝読書で北方三国志を読んで以来、一切触りもしていないし、本屋にも滅多に行かないので一切興味もなかったが、それでも東野圭吾の本が物凄い面白くて人気である事は知っていた。恐らく知らず知らずの内に夕方のワイドショーなどの特集で脳に人気であると刷り込まれたのだろう。あと、電車のドアに貼ってあるシールなどで。

刷り込まれた私はワイドショーの操り人形よろしく、まんまと東野圭吾の『マスカレード・イブ』から読む事にした。シリーズ1作であり映画化もされた『マスカレード・ホテル』が一緒に入ってあったにも関わらず、本の分厚さに物怖じしたのでページ数が少ない『マスカレード・イブ』から読む事にした。シリーズ2作目から読むのってどやねんという葛藤も私の中にあったが、その葛藤を物怖じと天秤にかけた所、物怖じの重みで葛藤は一瞬で飛んだ。オリンピックの室伏の鉄球ぐらい飛んだ。物怖じも飛ばす際、若干モノマネして叫んでいた。


結果的に『マスカレード・イブ』から読んで正解だった。主人公ふたりのキャラクターを短編の中でイメージしやすかったし、新田の初々しさ溢れるエピソードゼロを予め読んでいなければ、恐らく『マスカレード・ホテル』序盤で私は新田を嫌いになり読むのをやめる事もあり得た。(こんな面白い作品を途中でやめる事があるのかと思うかもしれないが、私は某転生物アニメを人に勧められて見た際、ストーリーに引き込まれているにも関わらず、主人公の男性が嫌いになり過ぎて3話の途中で観るのをやめた実績を持つので、この予想は恐らく当たっていた)

その後、『マスカレード・イブ』をあっという間に読んだ私は続いて『マスカレード・ホテル』も読み、これもまたあっという間に読み終わった。もちろん、面白かった。文章が読みやすく、小説特有のむつかしい表現が無いので突っ掛かる事無くスラスラ読めたし、登場人物の人となりも登場毎の細かな描写でイメージしやすく一人一人に共感が持てた。特に能勢が気に入った。もし自分が役者なら能勢をやりたい。


さて、ここで小説から離れ、今度は映画の話になる。ここまで登場人物のイメージを固めた私は、映画ではどの様に解釈されたのか気になった。amazonのサイトを開き検索したところ、『マスカレード・ホテル』はプライムビデオの見放題対象作品だったのですぐにページを開いた。そして開くや否やタイトルの横に否が応でも目に入る★3.5という気になる数字が見え、とても嫌な予感がした。

東野圭吾のファンの怒りが、その数字から滲み出てる気がしたからだ。

もちろん分かっている。★の評定平均を下げたであろう★1レビューを書き込んだ東野圭吾ファンの気持ちは分かってはいる。見ずとも分かる。すぐ察したから。ストーリーが穴だらけだったのでしょうよ。

細かな描写が欠如し、テンポ重視の脚本が展開され、そしてキムタクの演技がファン待望の新田像ではなく、そのまんまキムタクだった事に腹を立てたのだろう。名産品の完熟キムタクを提供されたのだろう。それで配給のフジテレビや東宝を襲撃せん勢いで怒りの★1レビューを書き込んだのだろう。気持ちは分かる。

ただ、気持ちは分かるが、冷静さに定評のある私の立場から言わせて貰うと、文庫本約500ページのストーリーを2時間ほどの映像で余さずまとめるなんて事はほぼ不可能だ。1作品を表現出来る時間が小説と映画では全く違うからだ。(その、文字と映像では脳に入る情報量が違うとか、速読だなんだとか、視覚と聴覚の違いでメラビアンがうんたらだとかは知識が無いので無視する)

長年の東野圭吾ファンが濃厚な文章量でガッツリイメージした『マスカレード・ホテル』の牙城は、いくら有名俳優を並べた所で崩せないのだろう。

ただ、たくさん本を読んで賢い筈なのに、なぜファンをそこを理解しないのか。実写化には限界があるんです。もうなんだかちょっと、怒りも芽生えきている。物凄い酷い言い方だが、もはや、レビューで不満を所狭しと喚き散らす彼ら彼女らを、あやうく私は「痛いファン」として見てしまう可能性がある。

しかし、私は冷静かつ、東野圭吾ファンではない中立な立場なので、★3.5を見ない振りしつつ映画『マスカレード・ホテル』を再生する事にした。


結論から言うと私は、ストーリーの歯抜け具合に怒り狂った。

一番気になっていた栗原の件がハッピーエンドになってないし、前半の必要な件をこなしてる感が凄いし、能勢が三谷作品の段田譲治みたいになってるし(これは私がTHE・有頂天ホテルと比較したせいでもある)、ちょっとコメディをやろうとしてるカット割りが気になるし(していない。これは私がTHE・有頂天ホテルと比較したとんちんかん野郎だからである)。

そして一通り怒り狂い終えた後に私は愕然とした。2冊しか読んでない東野圭吾ファンでも何でもない私でさえ、こんなにも怒り狂ってしまったからだ。これでは往年の東野圭吾ファンはどうなってしまうのか。きっと怒りが頂点を超えて、スーパーサイヤ人どころじゃない。1、2、3を飛ばして一気に4になってしまうだろう。飛び級でTVオリジナル版である。

私は内に芽生えたこの怒りに恐怖し、膝から崩れ落ちた。もし、このまま東野圭吾作品を読んでいけば、私はますますその魅力に引き込まれていくだろう。このまま『分身』、『どちらかが彼女を殺した』と読んでいき、終いにはあまりの分厚さに絶対読まねぇと決めていた『白夜行』にすら手を出してしまうだろう。それも夢中になって。もしかするとこのSNS全盛期時代に集英社へ便箋でファンレターを送るかもしれない。

そこまでの東野圭吾ファンになってしまったら、もう結末は決まっている。フジテレビが開局○○年記念とかでやるであろう、東野圭吾作品の次の映画化、または連続ドラマ化作品を目にし、今以上の怒り具合で怒るだろう。ファンになっていない現在の状態ですらこの有様なのだ。東野圭吾作品にはそれ程に魔力があるのだ。きっとスーパーサイヤ人3さん、スーパーサイヤ人4さん、ひとつどころかいくつも飛ばして、訳分からんスーパーサイヤ人99Vターボとかになるだろう。


あれから一週間、私はまだ次の小説には手を出していない。あちら側に行くのが恐いからだ。人を惹きつける魅力的なコンテンツには必ずしも悪い大人が付き纏う。光あるところ闇ありだ。東野圭吾ファンになるか悩むところである。

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