塩茹でパスタ


今日のパスタ、どうかしら?

──うん、美味しいね。

そう、良かったわ。

嬉しそうに彼女は微笑む。

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地を打つ雨。立ち込める煙。響き渡る怒号。立ち尽くす僕。一体これはなんだろう。
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最近、突然砂嵐のようなものが視界を覆って変なものが見えることが多い気がする。疲れてるのかな。

──食べないの?

私はいいわ。見てるだけで十分。

──そう。

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前方にパトカー。後ろで泣き崩れる知らない人々。周囲にはまだ消えないガスの匂い。なんだろう。
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また見えた。この景色は一体なんだろう。

えぇ。

平和ね。

──うん。

──幸せだね。

そうかしら。

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いつまで逃げるつもりなんだ?お前はそれでいいのか?騙し続けて生き続けることが出来るとでも思っているのか?
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ああ、五月蝿いなあ。

ねぇ。覚えてない?

──何を?

……そう。そっか。その方がいいものね。

──そっか。

ええ。

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いつも、大事なことは突然起こる。嫌なことは特にそうだ。予測なんて出来ない。前日まであんなに元気だったのに、遠足の日に風邪を引いたり。昨日まで一緒に買い物に行っていた祖父が亡くなったり。現実は理不尽だ。どうしようもないくらいに。
でも人は、受け入れるしかない。どんなに残酷でも、時間がかかったとしても、何時かは受け止めなければならない。認めなければならない。理解しなければならない。そういうものだ、と諦めるしかない。生きるということは失うこと、そう定義するしかない。
受け止めるためのツールならいくらでもある。例えば遠足なら、いつも寝る布団。現在時刻の書いてあるしおり。準備万端のリュック。例えば祖父の死なら、黒く縁取られた中で微笑む遺影。リズムよく鳴る木魚。無駄に豪勢な夕食。それを見ることで、聞くことで、食べることで、人はその現実を理解し、受け入れ、区切りを付ける。そして、それを乗り越え、新しい自分として成長していく。

でも。
一番大切なものは、どんなツールを持ってしてもその喪失を受け入れられないことがある。
他の全てを失ったとしても、決して諦めることのできないことがある。
もし「現実」が、それを奪ったら。
受け入れるしかないものが受け入れられないことをしたら。
人は、壊れてしまう。
できないことを、しなければいけなくなったら。
人は、死んでしまう。
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私、もう寝るわ。

──ん。おやすみ。

おやすみ。そろそろ思い出す頃でしょう。早く寝て忘れなさい。

──…………うん。

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その日は、晴天だった。
「ピクニックにでも行かない?私素敵なところ知ってるのよー」
彼女はそう言って、伏せた目で僕のそれを覗き込んだ。こんな可愛いポーズをされては、逆らえるはずもなかった。
「ああ。で、どこ?」
彼女は微笑み、支度を始めた。
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「ここ!この角を右!」
「え?!車線変更間に合わない!」
「あ、次の角だったわ」
「 」
「ごめんごめん、次の角曲がればもう到着だから。そんな怒んないでよ」
「……まあいいけど。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
色々あったが、事故は起こさず到着した。
広い野原。整備されたかのような異常なほど綺麗な芝生。森に囲まれた小高い丘。澄んだ空気。そんなとても素敵な場所だった。
「レジャーシート持って。私はお弁当持ってくから」
「りょーかい」
「ふふ、お弁当なんだと思う?」
「こういう時って大体サンドイッチとかでしょ?」
「ぶぶー。料理してるとこ見てなかったの?」
「見てなかったわ」
「もう!正解は丘の上に着いたら見せるから。楽しみに待ってなさい!」
「ぷりぷりすんなよ。めっちゃ可愛くてやばいから」
「……おだてればいいと思ってるでしょ。」
満更でもなさそうに言う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ここでいいわね。はい敷いて」
「はーい……それにしてもここめっちゃいい場所だな」
「でしょー?昔友達に連れてきてもらったんだー。その時は曇ってたからあんまりピクニック日和って感じでもなかったんだけど、それでも十分楽しめたから、こんな晴れの日に来たらもっと素敵だろうなって思って」
「ああ、その通りだな。本当にいいとこだよ、連れてきてくれてありがとな」
「……何よ改まって。」
怪訝そうな顔をする彼女。僕は苦笑いし、
「いや、本当に感謝しててな。いつもありがとう」
「……やめてよ!照れるでしょ」
照れた顔も可愛い。
「それはともかく正解は何なんだ?」
「それはともかくって……全くあんたは何考えてんだか判んないわね」
呆れたような顔をして、ランチボックスを開ける。
「じゃじゃーん!」
そこにあったのは、色とりどりの様々な料理。唐揚げ、卵焼き、たこさんウィンナー、ブロッコリー、かっぱ巻き、アスパラガスのベーコン巻きなどなど。ひとつひとつ丁寧に並べられている。
「どう?どう?」
「……すげえ頑張ったな。めっちゃ美味しそう。ありがと」
「今日はやけに素直ね。いいことだわ。ご褒美に私の膝、空いてるわよ」
そう言って自分の太腿を軽く叩く彼女。
「……膝枕してあげるって言ってんの。ほら……そんなに驚いた顔しなくてもいいでしょ」
彼女が自分からこんなこと言ってくるなんて初めてだ。
まあ素直に言われた通りにしますか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
それからお弁当を食べ、しばらくくつろいで。
とても、とても幸せな時間だった。
「さて、そろそろ日も落ちてきたし帰るか」
「……そうね。それにしても楽しかったわね!」
「そうだな。今日は本当にありがとう」
「えっへん!」
ドヤ顔をして言う彼女。本当に機嫌がよさそうだ。
シートを片付け、車に乗り込む。
「もういっぱい食べたから、晩ごはんは軽くでいいかな」
「そうね。じゃあパパッと作れる塩茹でパスタでいいかしら?」
「うん」
車のエンジンをかける。気づけば空は厚い雲に覆われていた。一雨来そうだ。さっさと帰ろう。
数キロ走り、高速の入口が見えてきた。
「代わりましょうか?行きも運転して疲れたでしょ」
「じゃあ頼もうかな」
高速の入口の少し手前で路駐し、席を変わる。
高速に入った。みんなかなり飛ばしてるな。
「自分のペースで運転すればいいからな」
「ええ」
突然のことだった。
対向車線の大型トラックが中央線を乗り上げて、こっちに向かってきた。追い越し車線を走っていたバンにぶつかる。バンは突然横にスライドし、かなりのスピードで突っ込んでくる。避けようがなかった。
途轍もない爆音とともに、僕達の車はバンと衝突した。
彼女の運転していた場所は、完全に潰されていた。
いつの間にか、雨がボンネットを激しく叩き始めていた。
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──ああ、
毛布に包まれ僕は思う。
──いつまで、どこまでこれを続けられるのかな。

──まだ起きてる?

ええ。

──やっぱり。おやすみ。

おやすみ。

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そこからは、よく覚えてない。
気づいたら、パトカーが来て、救急車が来て、僕は運ばれていった。どうやら酷い火傷を負い、骨折もしていたらしい。気づかなかった。
救急車に乗る前に、僕は乗っていた車の成れの果てを見た。彼女が乗っていたところはバンに押しつぶされている。彼女はどこへ行ったのだろう。
帰ったらパスタを作ってくれるって言ってたけど。
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隣でちいさな寝息を立てている彼女。もう寝ているようだ。伸びた髪が、その曖昧な、ぼやけた顔を誤魔化している。
何度、同じ日を繰り返しただろうか。
もう、あの日の彼女はいない。
もう、あの日には戻れない。
もう、あの日は──終わった。

それでも。
それでも、ずっとあの日を忘れないでいることはできる。
ずっと彼女と一緒にいることはできる。
だから僕はきっと、ずっとこのままだ。
ああ、なんて幸せなんだろう。

僕は彼女が好きだ。

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病室の一角。
彼は寝ている。
あの事故で、考える自由を失った。
もう、目を開けることはないらしい。
「脳死」、その言葉が意味のあるものだと知った。

いつものように、林檎を剥いて彼のベッドについたテーブルに載せる。
我ながら、綺麗に剥けたな。
でも、彼は見向きもせず、目を閉じている。

ずっと、後悔している。
あのとき、もっと早くトラックに気づいていれば。
高速に乗る前に、運転を代わっていれば。
あんなピクニックなんか、行かなければ。
そう、何度も夢想した。
でも、思うだけしかできない。
あの日の事故は、現実は、変えられない。

でも、受け入れられない現実だってある。
人は、現実がどうかなんて関係なく、自分の信じたいものを信じて生きている。
だから。
認められない現実が、
受け入れられない事実が、
あってもいいのではないか。
私にとってはそれが重要でとても大きなものであるというだけだ。

私は、彼が好きだ。

*月[]日 ○○新聞
✕✕高速道路で車3台の追突事故、大型トラックが暴走か
昨夜18時頃、✕✕高速道路で車三台の巻き込まれる事故が発生した。この事故で、トラックに追突されたバンに乗っていた40代の男性と、乗用車に乗っていた20代の男女計二名、合わせて3名全員が死亡、トラックを運転していた○山○彦容疑者は全身を強く打ち意識不明の重体となっている。原因は○山容疑者の居眠り運転とみられている。
警察は、「このような悲惨な事件が二度と繰り返されないよう、総力を尽くして詳しい原因究明に務めていく」とのこと。

〜〜〜ここからネタバレ(?)あり〜〜〜

みなさん、メディアを信頼しすぎてないですか。

この作品はマルチエンドです。
①男が脳死、女が生きていく。
②女が普通死、男は壊れる。
③全員死。なんの救いもない。

①,②の場合は新聞がフェイクです。別の事故のことでも言ってるんですよ、きっと。そういうことにしといてください。

てことで。
どれを信じるかはあなたの自由です。
おわり。

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