偽善、だから何?

バレンタインデーも近いので、なんかその関係のこと書こうと思ったけど、マジで全く縁がなくて語ることが何も無いため、「偽善」についてお話します。

僕の好きな作家の1人に西尾維新さんがいて、僕が一番好きな西尾さんの名言に、「生きる意味なんてある奴の方が少ない」っていうのがあります。だから、生きる意味がないからって気にするなとかそういう風に話は続いていきます。(僕はこの言葉に軽く感動しました。生きる意味なんてなくてもいいんだ、そんなふうに思いました。)彼(多分彼)自身は所謂「売れっ子」で、生きる意味に困っては居ないでしょう。でも、生きる意味のない人へエールを送っている。これは「偽善」と言えるのでは無いでしょうか。
勿論彼は悪意を持って、嘲るつもりで書いたのではないでしょう。しかし、彼はそれが真実かどうかは分からずにこの言葉を記したはずです。それは、生きる意味を見失っている人々にエールを送るために、「優しい嘘」をついたということです。それは善ですが、偽りをもってして善行を行う、偽善では無いのでしょうか。
「優しい嘘」と言えば、事実を隠して相手を幸せにさせることでもあります。1つ目の例では事実を隠している訳ではなく、知らないことを偽っているのですが、事実を隠すのも、事実を偽って善行を行っているわけだから「偽善」と言える、と思います。
あくまでこれらは1例で、他にも色々あるでしょう。まとめると、僕が言いたいのは、「世間で美化されている優しい嘘は、偽善なのではないだろうか」ということです。つまり、「偽善は悪とされているが、実際は悪ではないのではないか」ということです。

なんか自分でも変な文だなと思うので、出来ればみなさんコメントで意見ください。

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