ゾディアック

ゾディアック(2007年:アメリカ)
監督:デヴィッド・フィンチャー
配給:パラマウント・ピクチャーズ
出演:ジェイク・ギレンホール
  :ロバート・ダウニー・Jr
  :マーク・ラファロ
  :アンソニー・エドワーズ
  :ジョン・キャロル・リンチ
 
米国カリフォルニア州サンフランシスコで発生した有名な連続殺人事件の犯人を追う、挿絵イラストレーター、新聞記者、担当刑事の三人を主軸にした人間ドラマを描く。事件後イラストレーターが出版した原作を元に、人のえげつない悪意を撮ることには定評のある、デヴィッド・フィンチャーが映画化した作品。
1969年にティーンエイジャーの恋人たちが湖畔で襲撃、射殺されたことを皮切りに、恋人たちや女性を狙った殺人、誘拐未遂が発生。ゾディアックと名乗る人物は容赦のない犯行を記した手紙を各新聞社に送り付けて事態を混乱させる。警察は見えない犯人振り回され手がかりもをつかむことさえもできない。そんな中、新聞記者が事件の真相に迫り、殺害予告も受ける。ようやく警察は証言と事実をつなぎ合わせて一人の男へとたどり着くが、彼が本当にゾディアックなのだろうか…。
半世紀前の事件であるが、いまだにアメリカでは恐怖を残す事件であるという。殺人を犯しその内容を克明に説明した手紙を送りつけて、警察をあざ笑うかのように挑発し、次の殺人事件を起こす。証拠や目撃証言はいくつか残っているが、そのどれも犯人に結び付くものではない。その証拠を一つ一つ繋ぎ合わせるように新聞記者と刑事はそれぞれ辿っていく。新聞記者であるロバート・ダウニー・Jrは自分に殺害予告を受けながらも独自の情報をかき集め、一人の男へたどり着く。最初はパリッとしたシャツを着て人の接近を嫌う潔癖症な人物だが、イラストレーターからの助力を得つつ調査を進めていくと衣装がラフになっていく。そこにどういう心情の変化があるかは分かりにくいが、ロバート・ダウニー・Jrのエキセントリックでふてぶてしい演技が一匹オオカミの無頼さを表現していた。でも、イラストレーターが呑んでいたシャレオツなカクテルを気に入って、何杯かグラスを空けていたのがロバート・ダウニー・Jrの愛嬌あるキャラクターを活かしていたように思う。
その対極にいるのが、マーク・ラファロの担当刑事。相棒と共に証言と情報を集めて、科学的かつ理論的に犯人へと迫る。挑発するかのような犯人と思われる人物からの手紙に世間からは怠慢と批判を受けながら地道に捜査を続ける姿が健気。進まない捜査や郡警察間の連携不備、信用できないタレコミやガセネタ等々、受けるストレスは並大抵ではなかったと思わされる。そんな苦難の中でもできることを行い、こちらも一人の男に迫っていく。割と食べてるシーンを撮っていたので、腹が減っては戦ができぬを地で行っていた。犯人と思われる男にたどり着いた際に尋問しているときに男を観察している眼は殺気はなく、事実をありのままに探ろうとする刑事の眼だった。
しかし二人は事件に関わることでその立場を失い、犯人への追跡も半ばで途絶してしまう。そんな彼らを受け継ぐようにイラストレーターが動き出す。日夜を問わず資料を探し、犯行の経過を追い、犯人像を絞り込んでいく。その取り組みようは狂気に近いものがあり、功も利も関係なく誰かがやらねばならないという義務感が彼を動かす。しかしその行為はリスクを伴うモノであり、家族を危険にさらすモノであった。彼と二番目の妻の間に深い溝が広がるのが悲痛だった。ジェイク・ギレンホールが執念の追跡を見せていた。
さて、この作品の下となった事件は現在も解決していない。地方署のみ捜査を細々と捜査を続けているが、捜査本部は閉じてしまった。そのため犯人が特定され事件の全容が解明されてはいない。結末はその通りなのだが、重要なある人物の一言に背筋が凍る思いがした。その一言に監督、デヴィッド・フィンチャーの演出が突き刺さる。この一言にたどり着くために今までの過程があったのではないかと思ってしまった。犯人一人に振り廻されて、他の可能性を見落としていたと痛感した。人間ドラマのような展開であったが、最後に恐怖に突き落とされたのは嬉しい驚きだった。

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