明日泣く

明日泣く(2011年:日本)
監督:内藤誠
出演:斎藤工
  :汐見ゆかり
  :武藤昭平
  :井端珠里
  :奥瀬繁
 
原作者の色川武大と聞けば、有名な作家で雀士だった坊や哲こと阿佐田哲也のこと。阿佐田哲也の自伝小説を内藤誠が24年ぶりに監督を務めた、ギャンブルと音楽と男女の奇妙な縁を描いた作品。ミュージシャンやルポライターなどが出演しているが、皆妙にリアリティがあるのが興味深い。
小説家を目指すも誰とも馴れ合わなず、ギャンブルに生き方を見出す高校生が、ピアニストを目指す同級生の少女と出会う。お互い意識はするのだが、男女の関係にはならず時が過ぎ、高校生は若くして無頼派小説家として評価を受ける。相変わらずギャンブル三昧の日々を過ごす小説家だが、ある日知り合いのジャズドラマーから紹介されたのはかつての少女だった。少女から女になった彼女は自分の生きたいように生きるため手段を問わず生きており、それを見た小説家は彼女に複雑な思いが入り混じる。
前面に押し出されるのはギャンブル、特に阿佐田哲也が本分とした麻雀。ヒリつくような勝負はないが、賭けることに生きる目的を見出すように、勝っても負けてそれを淡々と受け入れている姿勢から人間の業を見せつられていた。9勝6敗がちょうどいい、というセリフがあったが実際の阿佐田哲也はそういう勝ち方をしていたようだ。彼にとって勝つことが目的でなく、賭けることが目的だったのが伝わってくる。でも自分の数少ない麻雀の経験では大四喜とかでっかい役見たことない。ちょっとご都合主義。
そんな小説家を振り廻す女の生き方。自分の好きなように生きるため、自分の過去や境遇にウソをついてまでも夢にすがって生きる図太さを見せつけていた。汐見ゆかりは決して花のある顔立ちではないが、勝気な表情がふてぶてしく、決して泣かない、後悔しないと言い切る姿はたくましさを通り越して超然としていた。小説家がその泣く顔を見てみたいと思うのが理解できる。
この二人はお互い意識し合うものの決して男女の仲になることはなく、相互の何かを利用し合うことでお互いの間の距離をとっているように感じた。小説家の周りにはいくらかの女性が付きまとう(実際阿佐田哲也はモテたらしい)が、劇中彼が特別な感情を持っているのは彼女だけだった。
全編に純文学の流れがあり、私小説のように静かな内面を描き出す表現が多い。音楽はジャズを基としており、一瞬の輝きを見せつけることにおいては音楽もギャンブルも同じような気がする。
キャストは素人同然の人間が多いが、自分にはそれがいい方に作用していた。主人公の斎藤工もまだ演技は硬いが、荒んだ生き方の中に輝く眼の光と、暗くよどんだ表情から男の色気を醸し出しているので、これからを感じさせる演技。今の活躍がよく理解できる。
知人のジャズドラマーにはジャズバンド勝手にしやがれのフロントマン、武藤昭平。セリフ、動き、どれも演技としてはなっていないが、佇まいに軽妙なリアリティがあり納得できる存在感。多分アドリブで演技すればもっと面白い演技をしてくれるんだろうと思う。その他、島田陽子や梅宮辰夫(内藤誠がその昔監督した不良番長シリーズの主役)など演技のしっかりした俳優が特別出演している。あと、警察の取り調べで小説家が「バクチで有名な作家が借りたのが10万では少ない。3千万円と発表してくれ。」と訴えた時、取り調べをしていた刑事役の杉作J太郎の表情に同情を禁じえなかった。
純文学私小説のような体裁の映画で、話が大きく膨らむわけではない。クズのような生き方をする小説家とクズの中から何が何でも自分の夢を果たそうとする女との静かで奇妙な関係を淡々と描き出す。多分純文学を読みなれている人なら理解しやすい世界だろうし、ギャンブルの世界を知っている人なら納得できるんだろう。何度も危機的状況や挫折を味わいつつも、変わることのない二人の生き方が交錯し、決して交わらないのが文学的である。とすれば最後のシーンは蛇足だと感じた。
演技が上手な役者がキャスティングされればもっと見やすい作品だったろうが、反対に演技経験が少ない役者が配役したことで味わいが出た作品だったと思う。

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