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とらわれるな

友達と電話をしていたら少し将来の話になった。
私はまさに就活生になろうとしているところで、
将来のことを考えるとナーバスになっていた。
しかしそんな現状を友達に話していなかったので、
突然向こうが「起業したい」と将来の話を始めたときは驚いた。

私は「起業」とは、
何か自分のやりたいことをやったり、
自分で何かを切り開きたい人がするもの
だと思っていた。
けど彼女は今の仕事が自分に合っていないから、
人の下について働くことが苦手だと気づいたから
起業をしたいといった。

私は、心配でしかなかった。
とても仲がいい友達なので、なおさらだ。
しまいには電話をしている時に正直に
「やりたいことがあって起業したいわけじゃないの?」
「不安にならないの?」と聞いてしまった。
聞いた感じ、起業するにあたっていろんな面において
十分な支えがあるとは思えなかったし、
やはりまず第一にやりたいことでなければ
うまくいかないと思っていたからだ。

結局なんやかんや話は違う方向に進み、
私のスマホの充電がつきそうになったため電話は終えた。
でもその後も、やはり起業のことが頭から離れなかった。

そんなとき、たまたまゼミの先輩のnoteをみた。
近く、記事を書く課題があり参考がてら過去のnoteを読んでいたのだ。
その記事は、キャリアに関する題材であった。
先輩がインターン先で出会った人にインタビューをしたことで
気付いた自分の現状、キャリアに対する考え方などがつづられていた。

この記事を読んだことで、私はまさにさっきの電話で引っかかっていた
原因に気づいた。
私も「やりたいこと」にとらわれていたのだ。
知らぬ間に、キャリアを考えるにおいて私は自分が好きなこと、
興味があることにばかり縛られていた。
先輩も述べていたように、やりたいことを仕事にして暮らしていく人生も
とても素晴らしい。きっと楽しい生活だと思う。
けど、私は意識しすぎていたのだ。
「やりたいことを仕事にしなければいけない」
「興味があること、好きなことを仕事にしたほうが絶対にいい」
とばかり考えていた。
考えるあまりに、最近は本当に興味があるのかという問いかけを
むやみやたらに投げつけていたような気がする。

でも、そんなに「やりたいこと」にこだわらなくていいのかなと思えた。
試しに初めてみたことが、たまたま好きなことかもしれない。
興味関心に関係がなくても自分に合ったことがみつかるかもしれない。
そもそも何かをするにあたって理由付けや動機を
必ず持つ必要はないのかもしれない。

もちろん自分の人生である。
適当に進んで行き当たりばったりどん底で野垂れ死には嫌だ。
けど、考えすぎた結果どこにも進めないのはもっと嫌だ。
私はまだまだ世界が広いことを体感していない。
もっと気軽に踏み出していくことで可能性を感じていきたい、
そう思えた一日だった。

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