PTSDを乗り越える
悪夢は脳の中のフラッシュバック。
思い出すと苦しくなるのは、
脳の中で再現されて絶えず経験しているからだと。
リアルに、今も、その苦しみを体にダイレクトに受ける。
緊張感が身体をこわばらせ呼吸を浅くし、その後に続くのが、えも言われぬ倦怠感疲労感。もう立ち上がれない動けない。瞼が閉じていく、気を失うのではないかという恐怖感。呼吸が苦しい。過呼吸じゃなくて、呼吸を忘れてる感じ。それは、なんていうか。。敢えて、自分を鼓舞して呼吸を促さないと自然に吸うこと吐くことができないという、、、(呼吸を忘れるな自分!)
うわー、こりゃ、ひどいよ。こんなことを、よく我慢していたなぁ。
加害者からやられていたことを書き出すのは、もう何年も経ったことなのに思い出すこと、文字にし文章にするのは、ひどく辛く壮絶だった。でも、見たくない知りたくない対峙したくない私がいたことを知り、考え、判断し、先に進むためには必要なことだった。
書いていく中で、ああ、この時から顕著だったではないかと、今ある現実の先が見えていたはずなのにと、込み上げる自分への責め、愚かさを自責する。価値観の崩壊。
家族にも親族にも友人にも伝えてないこと。周りはまさかと叫び、信じられないと言った。あんな優しそうなのに! そのすぐ後に、でも、私は洋子の味方だからね。って言ってくれた和美さんへの感謝は今も込み上げてくる。
そう、まさか。皆が声を揃える。でもM叔父だけは、前からわかっていたよ。ひどく冷たい人で洋子ちゃんが可哀想だなぁって感じていたと。。
しかし、当の加害者は、Mおじさんも俺の味方だ。俺が正しいと知っている。と私に豪語したのはDV加害者特有の認知の歪みなのか、叔父の想いに気づいて私を押さえつけるいつもの恫喝だったのかはわからない。
ずっと。私は彼の評判を落とすことは決して漏らさなかった。息子にも。
そして、それが裏目にでた。私が言わないことでどんどん助長される現実。あ、すでに過去なんだけどね(苦笑)。
DVとモラハラの一覧表というか事実の羅列を苦しみながら書いていると、まさに地獄への一周旅行のようだったと思う。結婚のスタートから。
渡された生活費は15万円。独身時代は給料全てを小遣いにしてどこに消えたのか?結婚資金のなかった夫の借金は農協からの300万円。沢山の人々に渡された招待状は300通余。引き出物は持ち込み料金を加算されて予算超過の三越デパートの陶器セット。
諸々を払い、延滞された夫の国民年金の数十万もの支払いもコミコミ。それを新婚時代の夫婦が返済し、ハネムーンベイビーを迎え、たちまちの貧困家庭となった。毎月の返済7万円弱、家賃5万5千円、妊娠、、、はい、終了。
ニッセイのおばさんの夫の叔母さんからは、医者だったらもっと高い保険に入りなさいと不機嫌に言われた。
婚約同居時代、ただの1円も自ら負担することもなく休日はATMに行けなかったといい外食も沖縄そばばかりの俺はお医者様だぞ!と怒鳴る研修医。収入は全てお小遣いで消失したのかーという驚き。
退院の日、出産費用を出し渋るというあり得ない展開に、夫の代わりに迎えに来るという姑らに話すと、私の実家に電話して借りなさいって返答に慄く。経済的DVからの不貞に身体的DV、息子への罵倒と無関心と、離婚詐欺と悪意の遺棄と画策と脅迫。
脅迫離婚の前後で、いろんな持病が悪化し発症し緊急手術を受けるまでとなり新しい病が見つかり恐ろしい合併症の可能性を指摘され制限のある生活が始まった。
心の痛みは気のせいではなく病気なのだから、今後悪化することのないようにとサジェスチョンをあちこちからいただく。ショートスリーパーと言っていたのは単なる不眠で中途覚醒であることも知った。何か解決対応策を練らねば。。
今までの苦しみを抱えたままでは尋常ではない痛みと闇が猛威を振るい倒れて動けなくなる。
だれかに語る時、書いて送る時に、
当時の自分との間に出来事とのスペースが生まれ、その波打つような記憶をどうにか心穏やかに見つめることができるようになる。
そして
苦しみ傷んだ心に回復がもたらされる。
ジクジクと痛む剥き出しの傷の、悪化させる雑菌が取り除かれ、優しく手当され、かさぶたとなり、
傷跡も薄く目立たなくなっていくプロセス。
もはや、痛みや攻撃は単なる記憶となった時癒されていくのだと思う。
未だ解決が見えず救済のない苦境の時は渦中にいるのと同じ苦しみを浴びているそうだ。
脳の中に再現されて絶えず体感しているそうだ。苦しみを。
多くの虐待の年月をへて
PTSDとなり過覚醒(刺激に強く反応して心が休まらない緊張状態)という心身に症状が出るのを対症療法で抑えても根本的な原因を除かなくては意味がない。
書くことで回復させる。
多くの人が経験したそのことを、私も。
「自分は守られていると感じられる「場」があって、そこに私の言葉を否定することなく受け取り、 言葉を返してくれる人が居て、初めて語る(書く)ことができたのだ。
そして語ることができたとき、人は回復することを実感した。