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【基本問題】営利的表現の自由(オリジナル問題)

〔問題文〕(配点:50・制限時間70分)
A県B市においては、公道上に自動販売機やラックの設置が認められていたところ、C社がA県内において発行する地方新聞の自動販売機1500台とX社の発行する不動産の賃貸・販売を宣伝するための無料の雑誌を配布するラック50台が設置されていた。しかし、新聞紙や雑誌のポイ捨てが社会問題となったことを受け、Y市は、歩行者の安全性や景観を保護する目的で、新聞紙やフリーペーパーの配布方法の規制を検討することとした。
こうした規制に対し、C社は、表現の自由との関係で問題があるとして、紙面上で反対の意見表明を掲載する、シンポジウムを開くなどの反対運動を行うとともに、B市に対し適切な対応を採るように求めた。
これを受け、B市は、商取引の提案をする広告が紙面の半数を占める刊行物を「商業広告」と定義し、「商業広告」については公道上で自動販売機やラックを設置することを禁止するとともに、違反行為について罰則を定める旨の条例を制定した(以下「本条例」という。)。
本条例の施行後、「商業広告」の定義に該当しないC社の地方新聞を販売する自動販売機については、引き続き設置が認められたが、これに該当するX社の発行する雑誌を配布するラックは、すべて撤去せざるを得なくなった。
本条例のうち、表現活動を規制する部分について、X社の立場から憲法に基づく主張を述べた上で、これに対して想定される反論や関連する判例を踏まえて、あなた自身の見解を述べなさい。
なお、本条例と屋外広告物法・屋外広告物条例などの他の法令との関係並びに本条例における条文の漠然性及び過度の広汎性の問題は論じなくてよい。

オリジナル問題



問題分析

表現の自由の憲法思考

表現の自由については、三段階審査と称して「重要な権利」に対する「強力な制限」か否かを適当に考えている答案を目にします。
しかし、表現の自由の問題においては、次のような思考プロセスを踏むのが一般的です(該当しないならば次に進む)。

  • 検閲に該当するか? ⇒ 該当するなら違憲

  • 事前抑制に該当するか? ⇒ 該当するなら明確かつ厳格な基準(北方ジャーナル事件判決)

  • 表現内容規制に該当するか? ⇒ 該当するなら原則として厳格審査基準が適用。ただし、各表現類型に応じた判断枠組みあり。

  • 表現内容中立規制に該当 ⇒ 時・所・方法の規制として中間審査基準(代替的伝達経路の準則)を適用。ただし、付随的規制論による緩和する立場もある。

もっとも、営利的表現については、これらの思考プロセスをどのように適用すべきか、様々な立場があり得るところです。

A説:表現内容規制としたうえで、低価値表現を理由に違憲審査基準を緩和する立場

学生A:本条例は、検閲でも事前抑制でもないから、表現内容規制かどうかが問題となりそうだな。「商業広告」の該当する場合のみ規制されているから、表現内容規制になりそうだ。でも、営利的表現は、低価値表現だから、厳格審査基準を適用する必要はないだろうね。ただ、あはき法広告規制判決の緩やかな基準には批判もあるから、中間審査基準で当てはめようかな。

B説:副次的効果論により、表現内容規制ではなく表現内容中立規制(時・所・方法の規制)とする立場

学生B:本条例は、そもそも「商業広告」の表現に着目しているのといえるのかな。あくまでも「歩行者の安全性や景観を保護する」という表現内容と無関係な立法目的だから、表現規制は副次的効果ではないかな。そうすると、岐阜県青少年保護育成条例事件判決の伊藤正己裁判官補足意見を参考に、公道上のラックという「所」や「方法」の規制といえるのではないかな。

C説:表現内容規制としたうえで、違憲審査基準の緩和も認めない立場

学生C:「商業広告」とそれ以外の区別をすることは、そもそもできるのかな。低価値表現というのを認めると、政府や裁判所が表現の価値を決めることになってしまって、表現の自由市場の考えには反するんじゃないかな。でも、そうすると、虚偽の広告を規制する場合でも、表現内容規制として明白かつ現在の危険がない限り規制できないことになってしまい妥当ではない気もするな…。

営利的表現の憲法思考

学生Aのように、表現内容規制と表現内容中立規制の二分論を意識できていれば、もはや合格レベルといえるでしょう。少し学習が進んでいると、学生Bのように副次的効果論の適用という考えもあり得るところです。
しかし、近年のアメリカ連邦最高裁の多数意見は、学生Cのような考え方を採用しており、営利的表現の法理の射程を限定する傾向にあります。

以上を前提とすると、X社としては、学生Cのように立論をして、厳格審査基準の適用を求めることになるでしょう。

これに対し、Y市の立場からは、第1に学生Bのように「表現内容規制ではない」との反論、第2に学生Aのように「表現内容規制であるとしても低価値表現である」との反論が想定されます。
第1の反論を前提とすると、表現内容中立規制となるところ、屋外広告物条例事件最判を参照し、合理的関連性の基準を適用すべきであると反論し得ます。
また、第2の反論を前提とすると、営利的表現に関するあはき法広告規制最判を参照し、合理的関連性の基準を適用すべきであると反論し得ます。

そうすると、争点としては、①表現内容規制といえるか、②営利的言論を低価値表現として違憲審査基準を下げるべきかが、③最高裁の違憲審査基準は妥当なのかが問題となります。

営利的表現の特徴

営利的表現の定義

営利的表現といえば、「もっぱら商取引の申込みにとどまるもの(no more than propose a commercial transaction)」と定義付け衡量することで通常の表現と区別するのがセオリーです。

営利的表現を「区別」する理由

営利的表現は、次の2つで、通常の表現の自由と異なると解されています(長谷部恭男『続・Interactive憲法』(有斐閣、2011年)75頁参照)。

  • 営利的言論を行う表現者には、経済的利益を追求しようとする動機付けがあるから萎縮効果が働きにくいこと

  • 営利的言論がどの程度、真実か正確かを知ることは、政治的表現や思想的表現活動の場合より容易だから、規制権限が濫用される危険性も少ないこと

セントラル・ハドソン・テスト

こうした特性を踏まえ、アメリカ連邦最高裁は、電力消費の促進を意図する広告の禁止の合憲性が争われた事件(Central Hudson Gas & Elec. v. Public Svc. Comm'n, 447 U.S. 557 (1980))において、営利的表現の自由に適用される違憲審査基準として、セントラル・ハドソン・テストを定式化しました。

定式①:保護範囲からの除外

このテストによれば、①虚偽広告、誤導的広告、違法行為に関する営利広告は、そもそも表現の自由の保護範囲から除外されます。

定式②:厳格審査基準の排除

他方、②保護された営利広告に対する制約については、以下の3要件を満たさない限り、憲法違反になるという判断枠組みを適用します。

  • ㋐規制の目的が重要であること

  • ㋑規制手段がその目的を直接に推進すること

  • ㋒規制手段が必要以上に広汎でないこと

これらの要件㋐~㋒は、表現内容中立規制に適用される中間審査基準(代替的伝達経路の準則)に相当すると思われていました。

セントラル・ハドソン・テストの変容

緩和の流れ

しかし、セントラル・ハドソン・テストは、その後に合理的関連性の基準のような緩やかな基準に変容していきます。

たとえば、ある判決(Posadas de P.R. Assocs. v. Tourism Co., 478 U.S. 328 (1986))は、要件㋑について「立法判断が明らかに不当でなければ(not manifestly unreasonable)満足される」とされました。

また、別の判決(State Univ. of New York v. Fox, 492 U.S. 469 (1989))は、要件㋒につき、r政府の裁量事項であるとして、合理的関連性(reasonable fit)があれば足りるというように読み替えられてしまいました。
その理由として、営利的表現と非営利的表現に同じ憲法保護を要求することは、憲法保護の希薄化を招いてしまうことを挙げていました。

厳格化の流れ

もっとも、営利的言論の法理については、定式②を中間審査基準(代替的伝達経路の準則)に押し戻しつつ、営利的言論のみを区別する理由を厳格に審査する判決が登場します(City of Cincinnati v.s Discovery Network, Inc., 113 S. Ct. 1505(1993))。

この立場によれば、本条例の「歩行者の安全性や景観を保護する」という立法目的を達成するためには、「新聞紙や雑誌のポイ捨てが社会問題」となっていた以上、新聞紙も商業広告も規制しなければなりません。
それにもかかわらず、本条例は、営利的言論のみを区別していますから、その理由を厳格に審査すべきことになりますが、新聞紙の自動販売機を規制していないことは典型的な過小包摂(underinclusive)ですから、厳格な審査をするのであれば、この点で違憲となります。
もちろん、1500台の新聞紙の自動販売機を規制せず、50台のラックのみを撤去しても目的を十分達成できないから、実質的関連性がないとして、手段適合性で違憲とすることも可能でしょう。

営利的言論の法理は妥当か?

そもそも「営利的言論」か否かで、違憲審査基準を区別することは、学生Cが指摘するとおり、国家が表現の価値を決めるという問題をはらんでいます。

こうした流れをより推し進め、学生Cのように、通常の表現の自由と同様に厳格審査基準を適用すべきという考え方も唱えられています(同判決のブラックマン裁判官意見)。
もっとも、虚偽広告、誤導的広告、違法行為に関する営利広告であっても厳格審査基準を適用すべきとするのは、学生Cが指摘する通り、現実的ではありません。
そのため、営利的言論の法理は、定式①の限度に射程を限定し、定式②については適用せず、非営利的言論と同様に扱うべきということになります。

基本憲法Ⅰの記載

基本憲法Ⅰでは、「誇大広告の規制」の解説において、セントラル・ハドソン・テストを紹介していますから、学生Aのようにこれを適用することでも何ら問題はありません。

他方、基本憲法Ⅰでは「主題規制」の解説において、「そのカテゴリーの表現を他の表現から区別して規制する十分な理由があるかどうかが厳密に審査されなければならない」とも書かれています。
この立場こそ、近年の傾向で解説をした学生Cの立場となります。

憲法においては、こうした複数の考え方がありますので、それぞれの立場から論じられるように準備をしておくことが重要です。

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