昔の海外出張のエピソード

若い頃(といっても40代中盤くらい)に海外出張でいろんなエピソードがあったメモを久々に読みましたので、こちらに転載します。

■■ハードなスケジュール編■■
2010年3月【台湾・フランス】某日の17時に台湾から成田空港着、いったん入国して荷物を受け取るが、その日の22時にもう一度出国してフランスへ。5時間も成田空港にいるのは退屈なので、電車に乗って銭湯に行って戻ってくる。22時に離陸、翌朝4時にパリ到着、3時間待って7時にフランス国内便でニースへ。朝8時半に学会会場に到着すると、ちょうど学会開始の特別講演が始まったところで、そこからまた1日が始まった。(確かその日のうちに座長をやったような…。)
2010年5月【イタリア】日曜の朝にローマを出国し、月曜の朝6時に成田空港に到着。そのまま大学に直行し、4時間半後の10:40には大学で講義。本来なら自宅に立ち寄ってシャワーを浴びる時間があったはずなのに、荷物が出てきたのが着陸から2時間後だったため、自宅に立ち寄らずに大学に直行。
(同様なパターンで、ヨーロッパから朝帰国して、その日の昼からオープンキャンパスで講演とか、その日の昼から教授会の前の学科会議の司会とか、というのを確か3,4回ほど経験している。)
2011年10,11月【アメリカ・ドイツ】10月29日にアメリカから帰国し、アメリカとの時差ボケが抜けないまま、3日後の11月2日にドイツへ。到着した頃には時差ボケか何なのかわからなくなり、11月7日に日本に帰国した後は時差ボケを全く感じなかった。
2012年12月【香港】12月14日の午後に研究室でポスター発表をして、その日の25時(翌日午前1時)の便で香港を出国し、朝6時に成田空港到着。自宅に荷物を置いて、昼から東京工芸大の厚木キャンパスで3時間ほど特別講義。
(まったく同様なパターンで、台湾を25時(午前1時)に出て早朝4時に羽田空港に到着し、その日の昼から東京農工大で3時間ほど特別講義、というのも何年か後にやっている。)

■■アクシデント編■■
2010年5月【イタリア】 
ローマからパリ経由で朝6時に成田着。そのまま荷物を持って大学に直行して10時半から講義…のはずが、荷物が出てこない。アナウンスによると、飛行機内でコンテナが引っかかって動かせなくなった、とのこと。機内で工事が始まってしまい、結局1時間半ほどベルトコンベアの前で待たされる。8時過ぎに荷物が出てきて、かろうじて講義に間に合う。
2011年8月【スイス】 スイスに観光に行き、パリで乗り換えてチューリッヒで荷物が届かない。単に遅延で来ないのかと思ったら、荷物だけがアメリカのアトランタに行ってしまったらしく、そのまま荷物は行方不明で最後まで出てこなかった。3ヶ月後の11月になってようやく航空会社が紛失を認め、保険で賠償となる。
2011年10月【アメリカ】 スーツケースを鍵をかけずに預けたら、運搬途中で勝手に鍵をかけられてしまった。鍵を持ち歩いていなかったので道中で鍵を破壊するはめに。(帰国後に修理することになったが、修理代は保険でカバーできた。)
2012年3月【イタリア】 イタリアでレンタカーがエンジントラブルにあい、全く走らなくなる。通行中のイタリア人に頼んでレンタカー会社に電話してもらい、レンタカー会社が呼んだ運搬業者で自動車修理工場に連行される。整備士いわく「日本車が壊れることなんてあるのか。イタリア車は毎日壊れてるけどな。がっはっはっは。」一気にどうでもよくなった。(残念ながらこの件での一部出費は保険が適用されなかった。)
2012年10月【アメリカ】 アメリカへの便が大幅に遅れ、国内便への乗り換えに間に合わず。国内便の振り替えの人たちが大行列となり、1時間以上待って22時頃にようやく対応してもらい、国内便を振り替えてもらったところ、今度はその振り替え便が2時間遅れる始末。ホテルに着いたのは午前3時となった。
2013年2月【オーストラリア】 ベッドメイキングの人が私のチェックアウト日を間違えたために、まだチェックアウトしてないのに私の荷物を全部没収してフロントに持ちだしてしまう。クロゼットにかけた衣類は黒いゴミ袋に投げ込まれる。歯磨きやボトルウォーターは捨てられてしまい、代金ホテル持ちとはいえ買いに行かされるはめに。
2013年7月【イギリス】200人乗りの帰国便が小さい飛行機に振り替えになり「すまないが翌日便にしてくれ、これで宿泊してくれ」といって250ポンドの小切手をもらうも、たまたま3時間前に空港について早めの列に並んでいたために、その日に出発する別の航空会社の空席に乗れることになり、小切手はまるまる持ち帰ることに。ただし空港での購入を頼まれたお土産を買う時間は全くなくなった。
2015年5月【アメリカ】ゴールデンウィークに観光でラスベガスに行ったところ、シアトルからの乗り換え便の客が日本人ばかりで、CAが日本人の英語を聞き取れず、「日本人の英語がわからないので飲み物を配るのを手伝ってくれ」といって手伝わされる羽目に。

■■そのほか■■
2010年1月【オーストラリア】シドニーからの帰国便で着陸直前に、全ての席のモニターが強制的に同じチャンネルに。それがどうもドリフ大爆笑とドッキリカメラの中間みたいな内容のドタバタバラエティで、乗客一同モニターの前で爆笑している間に着陸が完了してしまった。あれは意図的な演出だったのか、それとも単なる操作ミスだったのか…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?