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石徹白洋品店の始まりのこと

石徹白洋品店は、家族で住んでいる母家の小さな元馬小屋からスタートしました。

石徹白に移住して、何か自分で仕事を作りたいと思った時に、服を作ることを決め、専門学校に通いました。

そして、卒業してから、石徹白で紹介していただいた古民家を改修し、引っ越し。

2012年5月にお店を始めるまで、実は、学校に通っている2年の間にも、初めてお店に並べるアイテムの試作をしていました。

私が石徹白で服作りを仕事にしようと思った一つのきっかけは、現在も石徹白で縫製工場を営んでいる、石徹白すみえさんという女性の存在が大きいです。

彼女は、昭和18年生まれ。27歳の時に一人で縫製工場を始められました。右も左もわからないどころか、縫製もやったことないような状況の中、最初に受注した100枚の半纏をいろんな人に縫ってもらって、ほぼ全て修正しなければならず、泣きながら解いて縫った という偉人(私にとって、とっても!私なら挫けちゃう)です。

石徹白生まれ石徹白育ちで、石徹白のことを考えて、いろんなことをやってきた方です。女性一人で、こうして仕事を立ち上げてやっていらっしゃるというのはとてもかっこよく、かつ、今でも現役でバリバリ仕事をされています。

縫製業は季節問わず働けるから、雪が深い石徹白でも成り立ちます。かつ、距離もあまり関係ないから山間地域でも、郵送できる環境があるので、仕事が滞ることもない。

服づくりを始めようと思ったきっかけの一つが、彼女の存在だったことには間違いないです。

石徹白に通って、まだ家が見つからない時にも、彼女の縫製工場のお邪魔して、裁断台やアイロン、ミシンをお借りして試作を作ったりしていました。
いつでも何でも心よく貸してくださり、また、力を頂いたりして、今でもとってもお世話になっています。

石徹白洋品店の始まりの時、私がリリースしたアイテムは、ワンピース2種類と、メンズシャツ1種類でした。
そう、たった3種類。
それに加えて、シルクスクリーンプリントの麻のハンカチ、ガラ紡の布巾や布ナプキン。そして「洋品店」なのに、美濃和紙のノートカバー、美濃和紙の箱などの文具類。(私が大の美濃和紙好きで、ついついそちらも作ってしまったのです)

お恥ずかしいことに、オープンまでには、それだけしか間に合わなかったのです。
色々作りたかったのですが、デザイン・パターン・製造をやっていたら、時間切れ・・・

なんとも乏しいラインナップで、どうしよう・・・と思っていた時、移住前からとてもよくしてくださっていた地元の50代のRさんとMさんがお力を貸してくださいました。

彼女たちは手先が器用でいろんな手仕事をしているのですが、可愛らしいバッグやポーチなどの小物を作って、置いてくださることになったのです。

小さな馬小屋がスタートだけど、ある程度、ものを置かないと形にならない。「賑やかしよ」と言いながら、何の実績もない小さな石徹白洋品店に手作りの品々を預けてくださいました。

当初の石徹白洋品店は、こうしたものを作って販売することに加えて、「ギャラリー」にも重きを置いていました。

元々、イベントのプロデュースや編集が好きなので、場づくりをしていきたいと考えていたのです。そうしたら、石徹白という山奥にも足を運んでくださる人が増えるのではないか・・・と。

そのギャラリーの第一弾として、地元でずっと趣味で写真を撮ってこられた「船戸鉄夫先生」の写真展を行うことにしました。

船戸先生は、昭和34年から石徹白小学校、中学校の先生を長年やられ、退職後には石徹白に家を建てられお住まいになってきた方です。定年後は石徹白公民館の館長さんを務められ、石徹白のためにさまざまなご尽力をされてました。

写真が趣味で、何か行事があるごとにカメラを持っていらっしゃいました。
私もたくさんの写真をいただいています。

そんな船戸先生が撮影された古い写真がたくさんありました。今ではもうみられない昔ならではの行事や、風景、人物などの多くの写真。

船戸先生の写真を飾ると地元の方との交流も生まれるし、地域外の方も興味を持ってくださる方がいるはず!と思いお願いしました。

展示したい写真を船戸先生が印刷してくださり、それを一緒にハレパネに張りました。
オープンの数日前、二日間くらいかけて一緒に作業をしたのが、今でもいい思い出です。

ギャラリースペースに、船戸先生の写真を敷き詰めました。
そうしたら、商品を置くことが難しくなったので、母家の中で一番広い部屋「うちんなか」を商品を置く”店舗”にすることにしました。

こうして、母家の入り口入ってすぐの馬小屋ギャラリーと、その奥のお部屋が店舗になり、石徹白洋品店の全体像が見えてきました。

そして迎えた初日。

Mさん、Rさんに、オープニングパーティのためのケーキを焼いてもらって、地域の方にご案内状をお配りして、初日を迎えました。

当時の小学生がたくさん来てくれたり、地元の長老らが訪れてくれたりしてとても賑やかなパーティとなりました。
船戸先生にギャラリートークもしていただいて、印象深い一日となりました。

その頃、うちには「ルンタ」という飼い猫がいまして、彼女はお客さんが来ると尻尾をピンと立てて近づいて、足に擦り寄って挨拶をする気高い上品な子でした。

私が店頭にいると、必ずそばにいてくれたのです。
猫好きの方は、ルンタに会いに来てくださることもありました。

元馬小屋のギャラリーの前の土間スペースには、テーブルと椅子があって、そこでゆっくりとくつろいでお茶をしてもらえるようなしつらえにしました。

そこに座って外を眺めながらお茶を飲んでいると、タイムスリップしたかのようなゆったりとした時間が流れ、みなさん、それぞれにいい時間を過ごしてくださっていたのかなぁと思っています。

こんなふうにしてスタートした石徹白洋品店。
1年目からさまざまなギャラリー企画も行いました。
まだSNSがあまり発達していなかったので、情報発信はせいぜいブログくらい。

あとは、ポストカードのDMを作って、郡上のカフェに置いてもらったりして、告知をしていました。

1ヶ月から2ヶ月に1度の頻度でギャラリー企画やイベントを行うことで、少しずつ認知が高まり、リピートしてくださる方も出てきて、嬉しいことでした。

ただ、私が2012年5月に石徹白洋品店をオープンしたとき、実は、息子を授かっていて、妊娠初期でした。

しかも初めての妊娠で、わからないことばかり。
つわりはあまりなく、元気な妊婦だったのですが、体調を気にしながらの運営でした。

そして12月に出産。

元々、冬場は雪が多いので冬季休業をしようと思っていたので、素晴らしいタイミングではありました。
10月いっぱいでお店を閉めて、11月は出産に向けての準備。12月にお産を経て実家に1ヶ月ほど滞在し、1月に戻ってきました。

今も小さな子供の子育て中なのですが、石徹白洋品店は私の子供たちと共に生まれ、育まれてきました。

今年は石徹白洋品店は11周年。
長男も、11歳になる年です。

右下が長男。今年11歳。大きくなってきたね。

妊娠、出産、育児と同時並行でやってきたので、未だかつて仕事だけに専念してできたことはなく、こんなこと、言い訳になってしまうのですが、正直、もっと時間が欲しい、いきたい場所にいきたい、やりたいことをやりたい、と思い続けてやってきました。

とはいえ、母になったからこそ頑張れるというのもあって、子供たちの存在が決して煙たかった訳ではなくて、彼らに力をもらったからこそ、ここまでやってくることができたのだと思っています。

また、自分で何もかもやってしまいたいタチなのですが、母業で時間が取れない私を、スタッフが支えてくれています。自分一人でやらない方が、自分ができないことをできる人にサポートしてもらうことができる、ということを学んでいます。

誰かと仕事をするというのは、ずっと一人でやってきた者としては、難しさも最初は感じていましたが、それ以上に、関わってくれた多くの仲間によって、推し伸ばしてもらったり、広げてもらったり、深めてもらったりと、今の石徹白洋品店の形は、私一人の力ではないことを実感しています。

紆余曲折、山あり谷あり、突然の出来事・・・などなどいろんなことがありましたし、これからもいろんなことがあると思うのだけど、11年前に始めてから、始めたことを一度も後悔したことはなく、大好きな人たちと一緒にずっと前向きに楽しく、充実した気持ちで、歩んでいられることを、とてもありがたく思っています。

だから、これからの10年もそういう心持ちで続けていきたい。かつ、何かしら石徹白のために、今を生きる人たちのためになることができたなら・・・と願いつつ、2023年5月の本店オープンに心を躍らせています。


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