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英語を第二外国語で話す人たちのこと

NZで初めてできた、友達は中国系ニュージーランド人の英語の先生、アンジーだった。彼女は近々、仕事の転職に伴い遠い大都市へと引っ越しをする。夢のお仕事。寂し過ぎるけど、心からおめでとう!涙

ニュージーランド人は、「友達が助けてくれると思うランキング世界1位(!)」らしく、彼女も、書類の作成や翻訳など、沢山の手を差し伸べてくれた。ちなみにボランティアが根付くこの国らしく、彼女も週に一度1時間、英語の先生を無料で行ってくれていた。

両親共に中国人だから、家では中国語を話すけど、小学生からニュージーランドに住んでいるから、英語はネイティブのバイリンガル。

彼女をはじめ、(バイリンガルを含めた)第二外国語で英語を話す人たちのことを最近よく考える。

世界を見渡すと、英語を第二外国語にして、Global citizenのように、旅をしながら、柔軟に生きようとする人が一定数いるのを感じる。それは、社会と断絶したコミューンで生きる昔ながらのヒッピーではなく、社会にきちんと軸足を置きながら(=仕事があって収入を得ながら)、自分の世界観を持っている人たちのこと。

こちらに来ての気づけばその種の人たちに出会えたことが大きな財産になっていた。

そもそもニュージーランド人は英語圏だから、例えば、イギリスやアメリカの大学に行ったり、オーストラリアに仕事をしに行ったり、容易く国境を越える。

アンジーだって、ニュージーランドで学生時代の殆どを過ごし、1年フランスに留学し、その後ニュージーの大学に戻った後アメリカでも勉強、就職し、ニュージーランドに戻ってきて再就職した。

他にも、私のヨガの先生は、ドイツ生まれ、国籍はスウェーデン、家はニュージーランドとバリに、仕事はヨガの先生とリトリートを主催することだからどこでも働ける30代女性、だったりする。そのパートナーは、ニュージーランド生まれ、デザインの仕事はイギリスとオーストラリアでしていて、今は執筆中のためニュージーランドの田舎にこもっている30代男性、と言った具合だ。

以前の私は、日本語しか知らなかったら、日本語のニュースしか読めないし、限られた情報にしかアクセス出来ていなかった。でも、ひとたび英語を検索窓に入れるだけで、圧倒的に多様な視点や情報にアクセスすることができる。私はほんの限られた情報の中で生きていたのね、と痛感した。これはほんの一例で、ネット上の話だし、些細なことだが、もう少し目線を上に向けると、バックグラウンドの違う人とコミュニケーションをとることは、当たり前だけど世界を大きく広げてくれる。

きっと、もし自分に子どもができたらと想像すると、家では日本語、外では英語のバイリンガル。一気に世界が広がって、取り囲む英語のほぼ全てを理解できるようになる。なんて羨ましいんだろう。

文化をまたいで生きてる人たちは、それぞれの文化にリスペクトを持っているから、偏見や差別意識をもたれていると感じることが殆ど無い。下手な英語にも、慣れているからか嫌な顔を全くしない・笑。それに、異国で暮らす苦労をしているからなのか、心根が優しく手を差し伸べてくれる。

基本的に、移動をする人は、思考がミニマルだし、本質が好きだし、環境問題や世界のことがより自分ごとに感じている人だし、争い事を好まず、リベラル寄りで平和的な志向の人が多いと思う。(私調べ・笑)偏見をもたないことや、清貧思想の心地良さを知っている人、みたいな感じかな。

そんな、英語をツールに一つの世界に縛られることなく、生きていく人がこれからどんどん増えていくと思う。移民政策や、国家の右傾化、一概に良いことばかりとは言え無いけど、概ねの流れは確実にこっちだと思ってる。

そんな人たちが作る世界が今より良くなることを願って。

遠くへ引っ越す移動の民、アンジーのことを思いながら。