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私は車に轢かれたことが3回ある。一度目は自殺をしようと飛び出したのだ。しかし、すんでのところで車が停車し、警察沙汰になったけど厳重注意で終わった。それが小学3年生の時の話だ。そのころからわずかに希死念慮があった。思春期特有の「どうして生まれてきてしまったのだろうか。生まれてきたくて生まれてきたわけでもないのに」という中二病の考えだったので、特に大きな問題は孕んでいない。

それからしばらくして成人して、飲み会の帰り道の話だった。私の自宅は駅から15分の距離にあり、田舎では街灯もないので、私は携帯の懐中電灯をオンにしていた。深夜0時頃、終電からの帰り道、田舎では人通りも車通りもない。信号の明かりだけが町を照らす中、プリウスの静かな「ブーン」という音が遠くから聞こえてくる。私は酔ってた。歩道をゆっくり歩いている。遠くで聞こえた姿の見えないプリウスの音が近づいてくる。そして、プリウスが私の方に曲がってくる。私は吃驚して立ち止まる。プリウスは私に向かって突っ込んでくる。プリウスは、無灯火だった。
幸いなことに速度はそんなに出ていなかったので、ドン、という音がしただけで怪我はなかった。冷静な判断をすることのできない状態の私はその場で呆然とした。私が後ろに一歩下がると、プリウスはそのまま前進した。それが二度目。

その後、さらに田舎へと引っ越した。ここまで田舎になると、夜は人間は寝ているので、夜中に無灯火のプリウスに轢かれるなんてことはない。しかし、田舎という土地柄にはどうしても高齢者が人口のほとんどを占めている。だから危険運転というものが多い。田舎ではあるものの、コンビニくらいは少なくない。しかし、住人の多くが移動手段に車を必要としている。三度目の悲劇は、コンビニの駐車場で起きた。
私は前回の悲劇から左右確認の重要性を多く学んだ。信号が青だからといって、赤信号で走行する車がいないとは言い切れないし、夜だからといってすべての車がライトを点灯するとも限らない。人間が歩いているからといって車は余裕を持とうとも止まらない。すべての人間は敵だと思って生きていく必要がある、と。だからコンビニの狭い駐車場では注意しなければならないと。
しかし、その日の私は疲れていた。判断力が落ちていたんだと思う。私の周辺にはバックランプの点いている車はなかったので、そのまま歩いていた。が、高齢者は後方確認をしないと思わなければいけない。高齢者の乗った軽自動車は私の存在に気づかずにそのまま結構なスピードで後方へと下がってきた。

「いだぁっ」

私の声に車が止まった。後輪右側のタイヤは私の足の上に乗ったままだった。車にどいてくださいとジェスチャーをする。さらに下がって私の足の上からタイヤが下りる。絶対折れたとおもった。実は以前にもバイクが私の足の上に倒れてきたことがあり、その時全治3週間の骨折をしたのだ。今回、同じ位置にタイヤは乗っていた。じんわりとスニーカーから血がにじむ。その場に座り込む私。駐車場が渋滞して怒る利用者、私は足を引きずりながら自分の車に乗り込んだ。泣き寝入りだ。その後、病院へ行き、また全治3週間の骨折だった。かろうじて運転はできるが、制限速度50km/hの道を40km/hで走るみじめさ。後方からあおり運転の車。私のことを抜いていく後方車両。保険会社に連絡もできない。外出への恐怖。こうしてまた引きこもりを加速させていった。

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