見出し画像

車椅子の女性が作った少年野球チーム:日本未公開野球映画を観る(20)

Aunt Mary(1979)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

「メアリーおばさん」とスラムの子どもたち

 少年野球をめぐる実話に基づくテレビ映画だが、やや異色の作品と言える。1954年のボルティモア、つまりセントルイス・ブラウンズが移転してこの町に初のメジャー球団オリオールズが誕生した年が舞台になっている。
 タイトルは『メアリーおばさん』。メアリー・ドブキンという実在の人物である。足が悪く松葉杖や車椅子を使う52歳の女性がボルティモアの貧しい子どもたちを集めて少年野球のチームを作り、コーチとしてリトルリーグに加盟するまでを描いた1時間38分の作品。
 30年以上も入院生活を送り100回以上手術を受けたメアリーは誰よりも野球に詳しく、車椅子に乗ったままキャッチボールもできる。近所の悪童たちに請われてコーチになり、クジを売って用具代を稼いだり、ホットドッグスタンドをスポンサーにつけてユニフォームを作ったりと貧しさに負けずチームを作っていく。
 足の状態が悪化してついに両足を切断し、コーチを辞めようとするも今度は子どもたちに励まされて続けることにしたメアリーは、黒人の子どもが加わったことで受けた脅迫をはね返したり、右手のない子のために医師にグラブを作らせたりとさらに奮闘する。リトルリーグのチームとの初試合は、黒人を嫌って数人がチームを抜けたため9人ぎりぎりで臨み、試合中に一人負傷したが、試合を見ていた裕福な家庭の子どもが加わって続行。惜敗したものの翌年からのリーグ加盟が認められ、新しいメンバーとして女の子が加わるのがラスト。

まだまだ牧歌的に見える環境

 舞台は貧しいスラムの不良の子どもたちのチームとなっていて、確かに「父親はおらず母親がいつも違った『叔父さん』を家に連れてくる」とか、ホットドッグスタンドでお菓子を盗むとか、車を盗もうとして警察に捕まるといったエピソードはいろいろ出てくるものの、彼らを取り巻く環境はさほど荒廃しているようには見えず、これはファミリー向けのテレビ映画ゆえマイルドに描いているのか、当時のボルティモアの貧困地帯がこの程度だったのか、よくわからない。
 少なくとも、やはり荒廃した大都市(シカゴ)内部の貧しい子どもたちのチームを描いた『陽だまりのグラウンド』(2001)に比べればずいぶん牧歌的に見える。ただこちらにはキアヌ・リーブスとダイアン・レインという美男美女がこんな環境で子どもたちのために汗を流すという現実離れがあり、その点では本作に出てくる大人たちはきわめて現実的に見えた。

メアリー・ドブキンの驚くべき生涯

 というわけで、あまり強い印象を残す作品ではないのだが、モデルとなったメアリー・ドブキンの生涯は驚くべきもので、たった数か月よりも彼女の一生を描いた方がずっとドラマティックだっただろうと思える。
 1902年にロシアに生まれ、父母を亡くして3歳のとき伯父夫婦とともにアメリカに移民しボルティモアに住みついたメアリーは、貧しさのためよく街頭で食べ物を探していたが、6歳の冬に路上で意識不明で倒れているのを発見される。英語が話せないため伯父たちと連絡がとれず孤児となり、その後病院で何度も手術を受けながら成長するが、最終的に両足を失う。
 病室から当時マイナーリーグの球団だったオリオールズの球場が見えたため野球に興味を持ち、ラジオの中継や新聞の野球記事を通じて英語を学んだメアリーは、治療のためのキャンプで車椅子での野球を経験し、他の患者や子どもにも教えるようになっていった。
 30代後半になってようやく退院し、1941年に自分が住む公営住宅の子どもたちを集めて野球チームを作る。映画はこの頃の実話を54年に持ってきているようだ。
 以後彼女が作ったのはひとつの野球チームだけではない。「メアリー・ドブキン・アスレティック・クラブ」という名で広く寄付を集め、ソフトボールやバスケットボール、フットボールなど合わせて3万5千人の子どもが参加した。
 メアリーは30年以上病院で暮らし、退院後も社会福祉によって生活しており、働いたことはない。しかし、英語が話せず身寄りもない移民の病児を育ててくれたアメリカの懐の深さに感謝し、貧しい子どもたちにスポーツの機会を与えることでその恩を返そうと考えたようだ。野球をそういう「善きアメリカ」の象徴と見ていたことは映画にも描かれている。
 メアリーのチームはトム・フィーバス(投手。1966〜72年にオリオールズ他で56勝)、ロン・スウォボダ(外野手。1965〜73年にメッツ他で624安打)という2人のメジャーリーガーも輩出し、75年には市内の公園に彼女の名前がつけられるなど、その功績はボルティモアでは周知だったが、全米に知られるようになったのはやはりこのテレビ映画ゆえである。79年12月の放送に先立ち、10月にオリオールズとパイレーツが戦ったワールドシリーズの第6戦でメアリーは始球式を行っている。彼女は87年に84歳で死去する直前までグラウンドに出ていたという。
 なお、現在のオリオールズの本拠地カムデンヤーズのすぐ近くにあるベーブ・ルースの生家の博物館には彼女に関する展示がある。時代は違ってもルースもこの町の「不良少年」だったが、本作でルースへの言及が一切なかったのは不思議といえば不思議だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?