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努力の末の奇跡か、孤独な少年の夢想か:日本未公開野球映画を観る(58)

El Soñador(2004)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

喘息の少年

 初めて紹介するキューバの野球映画。
 1988年、サトウキビ農家の息子で9歳のヘクトールは喘息の持病があるが、野球選手を夢見て空き地で一人練習している。病気のため友だちとは遊べず、教師がくれた野球の「教科書」を頼りに、本に出てくる名選手と空想で対話しながら野球を学んでいるのだ。発作を心配する母親には隠しているが、野球をしているとき発作は起こらず、父親は理解してくれている。
 ある日、強豪インダストリアルズが出るハバナでの「決勝戦」に連れて行ってもらえないヘクトールは、家から50キロ以上離れたラテンアメリカ・スタジアムまでヒッチハイクで出かける。そして試合後にスタンドで眠り込み、名選手らがサトウキビ畑から現れる夢を見る。
 15年後、24歳になったヘクトールは同じスタジアムで夢から醒める。一人で練習を積んでうまくなった彼はインダストリアルズのトライアウトに参加し、空想の中で野球を教わった名投手からホームランを打って合格する。
 入団したヘクトールは、トライアウトを見ていたアリアディスという女性とつき合うようになる(彼女は15年前に決勝戦に向かう彼に話しかけてきた少女のようである)。ヘクトールはずっとそうだったように一人でボールも使わずに練習するが、空想の中の「ゴースト」と練習しているという噂が立ち、監督にやめさせられる。そのため不調になったヘクトールに対して、アリアディスに忠告された監督は一人での練習を許し、復調する。
 3か月後、ヘクトールはナショナルチームに選ばれ、ワールドカップの決勝に進出。ハバナに応援に来た父親を深夜に訪ね、試合中に発作が起こることへの恐怖を告白したヘクトールは、それを克服するために気管拡張剤を預ける。アメリカとの決勝戦ではじめ三振するが、逆転サヨナラの場面で打席に入るとき、監督から昔「ゴースト」の名選手に言われたのと同じアドバイス(「投手が誰でも関係ない。ボールにだけ集中しろ」)を受け、ホームランを打つ。

プレー経験のない名選手?

 あまり類作のない不思議な設定ということになるだろう。それは、主人公が喘息を患いながらトップレベルの選手になったことより(これはキャットフィッシュ・ハンターや藤川球児ら前例がある)、チームに所属したことも指導を受けたこともなく一人で練習し、つまり野球の「プレー経験」がないまま技量を上げ、それがトップレベルで通用している点にある。これは現実に「あり得ない」という以上に、野球を描いているようで描いておらず、いったいこれは何の映画なのか、という疑問を抱かせる設定である。
 ファンタジーなのでその「あり得なさ」をあげつらっても仕方ないが、対戦型のスポーツである野球でこういう設定にすると、投手の球を打ったことがないのに打撃がうまくなる、といった無理が生じる(もちろんマシンなど出てこない)。言い換えれば、陸上競技や重量挙げなど一人で試技をするスポーツならまだ可能性はゼロでないと思えるのに、なぜ野球でこの設定、という謎が残ってしまうのだ。
 だとすると、本作全体が夢だった、ということなのかとも思える。ヘクトールは15年後に同じスタジアムで夢から醒めるが、ずっと眠っていたのではなく、15年の間に現実で起こった出来事(母親の死など)をアリアディスに話す場面がある。それならば「眠りに落ちる〜眠りから醒める」というシーンは必要なく、ただ「15年後」とすればよいだけだし、最後のサヨナラホームランの後も9歳のときにホームランを夢想した場面になるので、全編が「夢を見る夢」だったと取れなくもないのだ。
 一人での練習として何度も出てくるのがホームランを打ってベースを回るこの夢想、それに「ゴースト」との対話なので、いきいきした現実の野球より一人で空想にふける少年の孤独の方が強く印象づけられる。「現実」の場面でも、深く関わるのは父親とアリアディスだけで、チームスポーツとしての野球を描いているように見えないのも「夢の物語」ではないかと思ってしまう理由である。

アメリカへのアンビバレンツ

 孤独な少年の空想を土台に他者との関わりが少ないまま展開するストーリーは、私たちがキューバやキューバ野球に対して勝手に持っているイメージを裏切る。
 アメリカとの関係もやや意外さを感じさせる。ワールドカップ(2011年まで開催されていたアマチュア中心のIBAFワールドカップだろう)の決勝でアメリカを破って優勝する場面は、キューバ国旗やアメリカ選手の描き方などが露骨にナショナリズム的で、もちろんキューバにとってアメリカはスポーツでも政治でも宿敵なので当然とも言えるが、作品全体のトーンとはそぐわない。
 その一方で、「ゴースト」選手がサトウキビ畑から出てくるシーンは『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)そっくりで、野球におけるアメリカとの関係のアンビバレンツを象徴しているように見えた。

キューバ野球と映像作品

 キューバの野球映画といえば『フルカウント』(1985:原題En tres y dos)があり、日本でも87年に細々とだが公開された。こちらは名選手の現役晩年を描いた、わりとしみじみとしたドラマだった記憶があるが、ナショナリズムは感じさせず、普遍的なテーマだったと思う。
 キューバの野球や選手についての映像作品は、亡命なども含めてアメリカ側から描いたものは近年いろいろと作られているが、キューバで製作された作品は本作と『フルカウント』以外は把握できていない。キューバでの野球の位置を考えれば他にもありそうなものだが、Letterboxdに掲載されている数百本のキューバ映画をざっと探しても、それらしき作品は見当たらない。
 本作の情報もIMDbには掲載がなく、Rotten Tomatoesにも最小限しか載っていない。にもかかわらずDVDはアメリカのAmazonで売っており(英語字幕付)、10年ほど前に買って未見だった同じものが現在も買えるようだ。
 いずれにせよキューバ製野球映画がこの2作だけとは考えにくいので、この国の野球のレベルに匹敵するような「隠れた名作」が見つかることを期待したい。

補足

 題名のEl Soñadorは「夢想家」の意味。ヘクトールは"Crazy Dreamer"(英語字幕による)と呼ばれ、ラストでアメリカの投手に名前を聞かれてこう自称する。
 アンジェロ・リッツォ監督はイタリア人、ヘクトール(大人)役のパブロ・モンテロはメキシコの人気歌手とインターナショナルである。


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