見出し画像

父親不在の暗い「代償」:日本未公開野球映画を観る(23)

Favorite Son(2008)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

同じ傷を抱える二人

 広い意味で「野球後」の映画と言えるだろうが、出てくるエピソードと演出は重苦しく、野球映画としては異例の暗さに覆われている作品。
 主人公デービッドは30歳でAA級にいるマイナーリーガーで、今季こそ飛躍できると信じているが、監督にはコーチへの転身を勧められ、チーム内でも浮いている。故郷の町でプレーすることになった彼は、高校時代の恋人でシングルマザーになっている小学教師のジョアンと再会する。彼女には13歳の息子ロスがおり、野球をやっている彼の父親代わりになろうとデービッドは近づくが、荒れている息子は反発し、それでも執拗に関わろうとしてジョアンにも拒絶される。さらに、昔指導を受けた少年野球のコーチで町の名士であるヒューストンにも冷淡な態度を取られる。
 デービッドに心を開かないロスだが、実は二人は共通の傷を抱えている。デービッドは父を幼少期に自殺で失い、ロスの父は初めからいない。そして、父親代わりになると言って近づいてきたヒューストンから性的暴行を受けていたのも同じだった。
 同級生で警官になったロバートは、ジョアンとヒューストンの意を受けてデービッドをロスから引き離そうと暴行を加える。ケガをしたデービッドはロスが犬を殺すのを目撃する。そしてデービッドは、かつてヒューストンに連れて行かれた「秘密の湖」の山荘でロスが性的暴行を受けそうになるところに踏み込んで彼を逃がすが、ヒューストンに撃たれてしまう。それでもバットで反撃して(おそらく)彼を殺し、逃げたロスに歩み寄る。ロスは「僕に触るな」と言いながらデービッドの胸で泣く、という結末。

父の不在と「問題行動」

 デービッドとロスは、ともに父がいないという欠落と、父親代わりを名乗る者(=ヒューストン)の暴虐という二重の困難により正しく成長できておらず、「問題行動」をしている。そしてデービッドは、自分がロスの父親代わりになることで自らの欠落を埋めようとする。これはヒューストンが指摘したことだが、彼自身もおそらくそうだったのだろうし、彼は性的な支配まで行った。
 本作から読み取れるのは、過度に暗い雰囲気や陰惨なエピソードにもかかわらず、男の子が成長するためには父との適切な関係と父を乗り越えるプロセスが必要だという「常識」である。
 父から息子へ教えられるものである野球も、父が不在だと適切な関係が築けず、デービッドにとっては単に執着の、ロスにとってはわけがわからない対象である。ジョアンはデービッドに「子どものスポーツを30になっても子どものままやっている」と言うが、まさにその通りで、大人になっても野球を続けることは、成熟の過程を踏んだうえでのモラトリアムとしてでなければ「こじらせて」しまいかねない。
 デービッドは、行きずりで関係を持っただけの既婚のウェイトレスに真剣に交際を申し込んだり、チームメイトの悪ふざけに本気でキレて殴りかかったりと成熟にはほど遠く、キャリアに先がないという現実も見えていない。非常に「痛い」三十男である。
 そんな男が自分が成熟するために赤の他人の子どもの父親代わりになろうとするのは、迷惑だし危険ですらあり、ジョアンの拒絶はもっともである。デービッドは最後に命がけでロスを守ったが、そのことと、父親代わりを僭称したヒューストンに被害を受けたという共通の傷によって父子の関係が築けるかといえば、疑問である。

なぜかくも陰惨な演出を

 上記のように解釈すれば、本作のテーマは比較的穏当なものだが、演出には疑問が多い。
 まず、父親がいない少年に「つけこんでくる」男の横暴は、べつに性的暴行である必然性はない。指導的立場にある成人男性から男児への性的暴行は、カトリック教会では世界的によくあるが、少年野球ではどうだろうか。皆無ではないにせよ、少なくとも、カトリック教会における密室での告解や聖職者の禁欲義務のような、性的暴行を誘発する「土壌」はないだろう。また少年の問題行動として動物殺しはわりとあることだが、それが人懐こい犬である必然性もない。これらのエピソードはセンセーショナルさやグロテスクさを強調し、むしろテーマを見えにくくさせてしまう。
 また、やたら暗く単調なギターや、手垢のついた感のある「グノシエンヌ」(エリック・サティ)など音楽の使い方も同様に感じる。
 このように、あえて陰惨さを「狙う」ことの意味がわからない。野球映画が皆さわやかである必要はないし、そうした王道を外してもよいテーマだとは思うが、過剰な演出によりかえって伝わりにくくなっている。
 それから、ラスト近くでジョアンが土を掘っているシーンは意味不明である。何が出てきたかは見せられず、もしかするとロスの父の死体で、ジョアンが殺したとでもいうのだろうか。ロスの父がどのようにいなくなったのか、はっきりとは語られないし、だとするとデービッドとロスは父の異状死を見た経験も共有するのかもしれないが、いずれにせよ演出の意図は伝わらない。
 キャリアの終わりが近づいたマイナーリーガー、帰郷、高校時代の恋人との再会といえば、例をいちいち挙げるまでもないほど「定番」のセッティングである。それが悪いわけでは全くないし、そこから父の不在を軸に展開させるのもよいのだが、なぜこのように描かなければならなかったのかは不明のままだった。Baseball Noirという副題がついたHigh and Outsideも確かに暗い野球映画だが、一条の光も美しさもあった。これを「暗い」と形容するなら本作にはその言葉を使うべきでないと思うので、「陰惨」という言葉で区別しておく。
 なお、舞台となるマイナーリーグの球場はニュージャージー州にあるサマセット・ペイトリオッツ(AA級イースタン・リーグ)の本拠地だが、ユニフォームにはBaronsと書いてあり、町の名前も一切出てこないので、架空の町の架空のチームである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?