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初めて「カムアウト」したメジャーリーガー:日本未公開野球映画を観る(44)

Out: The Glenn Burke Story(2010)

※「日本未公開野球映画を観る」カテゴリーの作品については、基本的に結末まで紹介しています。ご了解のうえお読み下さい。

1970年代の先駆者

 1970年代にドジャースとアスレティックスでプレーした外野手グレン・バークについての72分のドキュメンタリー。スポーツチャンネルのComcast SportsNet(当時)で放送された。
 バークはゲイであることを明らかにした初めてのプロ野球選手である。「カムアウト(カミングアウト)」というと、公に、社会に対して公表するというニュアンスがあり、それは引退後の82年のことだったが、彼は現役中から自らの性的指向について隠すことはせず、チームメイトのみならずファンの間でも周知だった。
 2010年代にはマイナーリーグや独立リーグ、他のメジャースポーツでも現役選手がカムアウトするケースが出てきたが、現役のメジャーリーガーでは未だ一例もなく、社会の理解、受容がかなり進んだ現在でも、野球界にセクシュアル・マイノリティの居場所があるかといえば微妙なところだ。まして、バークが現役だった半世紀近く前の状況はもっと厳しいものだった。本作はそうした時代にマイノリティとして生きて早世したバークの半生を、多くの関係者の証言を中心にたどっている。

「ハイファイブ」を始めた男

 1972年のドラフト17巡目でドジャースに指名され入団したバークはマイナーの階段を順調に上がっていたが、その頃から私生活はオープンで、ゲイであることはチームの誰もが知っていた。しかし非凡な才能と社交的な性格で溶け込んでおり、76年にメジャー昇格しても排斥されたりするようなことはなかった。ドジャースがワールドシリーズに進んだ77年にはメジャーに定着し、スター選手への道を歩み始めたばかりか、ホームランを打った打者を初めて「ハイファイブ」(日本で言う「ハイタッチ」)で迎え、その後球界で広く定着したこの習慣の「創始者」としても知られる。
 しかし球団は彼の性的指向を良く思わず、(女性との)結婚をしきりと勧め、結婚資金の提供まで申し出た。球団がナーバスになっていたのは、バークが当時の監督トミー・ラソーダの息子でやはりゲイであることが「公然の秘密」だったトミー・Jr.と親しくしていたことも背景にあったという(ラソーダは息子がゲイであることを決して認めなかったとされる)。そして78年5月、突然バークをアスレティックスにトレード。交換相手はビリー・ノースという下り坂の選手で、スター候補のこの不自然なトレードはゲイであることが理由の「厄介払い」だったのは明らかだ。この一件は、他球団に先駆けて黒人やメキシコ人、日本人選手に門戸を開いてきた名門ドジャースの歴史における「汚点」と言わざるを得ない。
 トレード先のアスレティックスはオークランドで生まれ育ったバークにとって地元球団だったが、チャーリー・フィンリー・オーナーの末期で低迷しており、ワールドシリーズに出たドジャースとは雲泥の差だった。なおかつ80年に就任したビリー・マーチン監督はバークを毛嫌いし、選手らに「こいつはホモ野郎(fagot)だ」と紹介するなど居場所は得られなかった。
 その一方、対岸のサンフランシスコには当時アメリカのゲイ文化の中心だったカストロ地区があり、彼はそこに通った。野球では出場機会に恵まれないまま80年に28歳で現役を引退したが、ゲイ・コミュニティではセレブとしてもてはやされ、享楽的な生活を送った。しかし交通事故で大ケガをしてからは次第に薬物に溺れ、短期間の服役の後HIVにも感染して困窮に陥る。こうして不遇のまま、エイズにより95年に42歳で短い生涯を終えた。ラソーダの息子も91年に同じ病気で他界している。

後に続く者

 メジャーリーグにおけるセクシュアル・マイノリティの存在について再び人々が意識することになったのは98年、パドレスや日本の近鉄バファローズでプレーして既に引退していた外野手のビリー・ビーン(Billy Bean。アスレティックスのGMのBilly Beaneとは別人)がカムアウトしたときだ。
 本作にもインタビューで登場するビーンとバークはいくつかの点で事情が違う。まずビーンは現役中はゲイであることを隠しており、チームメイトに知られたり排斥を経験することはなかった。これは彼が自分の性的指向について自覚したのがメジャー昇格後で、そのとき(女性と)結婚していたという背景もあった。しかしそれゆえ、(男性の)パートナーが急死したとき試合のため葬儀に出られなかったという辛い経験をしている。
 またビーンのカムアウトは問題提起という意味を強く持っており、彼はその後スポーツ界がセクシュアル・マイノリティに門戸を開くことを訴え、そうした選手をサポートする活動を続けるなかで、MLB機構の「包摂に向けての大使」(Ambassador for Inclusion)というポジションにも就いた。その意味で、バークが歩いた細く厳しい道を、後進が歩けるようにビーンが整えている、と表現できるかもしれない。

「ウィリー・メイズの再来」

 本作ではドジャースのマイナー、メジャーでバークとともにプレーした選手らが数多くインタビューされているが、バークが不遇のうちに早世したことへの悲しみがそれぞれの話から伝わってくる。ロッカールームなどで「裸のつき合い」をするチームメイトに性的なまなざしで見られることへの危惧は、かつて同性愛者の選手を忌避する際の根拠としてよく言われたが、バークとドジャースのチームメイトの関係がそのようなものでなかったことは明らかだ。
 彼らはバークが性的指向ゆえにチームを、そしてメジャーを追われたも同然だと認識している。その思いは、彼の実力を評価していたぶん強くなる。バークはドラフト指名こそ17巡目と上位ではないが、高校時代はバスケットと野球の両方でプロから誘われた万能選手で、その評判は同じオークランドで育った6歳下のリッキー・ヘンダーソンも証言しているし、当時「ウィリー・メイズの再来」と言われたりもした。バークは「これから」というときにドジャースを追われ、アスレティックスではまともに使ってもらえなかったため、わずか4シーズンのメジャー生活で実力を十分に発揮できなかったが、そのポテンシャルは誰もが認めていたし、スター性もあった。ゲイであったがゆえにそれを開花させるチャンスを与えられなかったという見方には説得力がある。

「マイノリティの中のマイノリティ」

 メジャーリーグの歴史は、マイノリティに門戸を開いていく歴史だったとも言える。もともと白人男性の娯楽として始まった野球がプロ化してしばらくは、草創期のアマチュアと同様、白人男性に限るという「不文律」が厳然と存在していた。しかしまずネイティブアメリカン、第二次大戦後に黒人に門戸が開かれ、さらにヒスパニック系、日系人や日本人、アジア系と、エスニック・マイノリティを次々と招き入れた。心身に障害のある選手もわずかとはいえ加わった。こうした多様性への動きは、ビジネスとしてのプロ野球の発展にも、選手のレベルの上昇と広範囲からのファンの獲得という2つの意味で寄与したはずである。
 しかし、それぞれのマイノリティが野球界で置かれてきた位置は同じではない。アメリカ社会で「代表的な」マイノリティである黒人(アフリカ系アメリカ人)は、あからさまに排除された長い歴史があり、1947年にジャッキー・ロビンソンが壁を破ってからも差別は続いた。しかし、多くの才能ある選手がロビンソンに続き、差別が完全になくなったわけではないにせよ、彼らはメジャーで確固たる位置を占めるようになった。
 それに対してセクシュアル・マイノリティの先駆者であるバークは、黒人としてスムーズにメジャーの世界に入ったが、やがて排除された。性的指向は肌の色のように可視的ではないため、明かしていなければ参入の際にはハードルにならないが、ひとたび顕在化すると受け入れられなかったのだ。
 どのくらいの数がいるのかわかりにくいセクシャル・マイノリティだが、このような排除を目にすれば、隠し続けるのも無理はない。現在までバークとビーン以外にカムアウトしたメジャーリーガーがいないのは、もともと野球選手にセクシュアル・マイノリティが少ない可能性もあるとはいえ、歴史上この2人しかいなかったとは考えにくい。アマチュアでプレーしていたときに排除や差別を経験して野球を離れた者も少なからずいるだろう。
 こうして、野球界にある程度いるはずのセクシュアル・マイノリティの大部分は、今もそのことを明かさず、あるいは明かせずに声を潜めている。彼らは野球界をはじめ特に男子スポーツの世界において、他のマイノリティにもまして見えにくい「マイノリティの中のマイノリティ」という位置にある。カムアウトする選手は現れ始めたが、そのことをもって「門戸が開かれた」とはまだ言えない。

 表題のOutは、おそらく2つの意味を持っている。カムアウトのOut、つまり外に現れるとか出てくるといった意味と、追放される、追い出されるといった意味のOutだ。
 Outという言葉はバークの人生を象徴するものとして使われてきた。彼が1995年に他界した直後に出版された自伝のタイトルはOut at Home。ホームでアウトになるという野球用語と、彼のホームタウンであるオークランドの球団で排斥されたことをかけているのだろう。そして2010年の本作を経て2021年に出版されたヤングアダルト向けの伝記はSingled Outという表題だが、これは選び出すとか抜擢するといったプラスの意味の熟語で、メジャーリーグで初めてカムアウトした先駆者として称えるニュアンスが感じられる。
 このように彼への評価は次第に変化し、後に続く道も開かれ始めてはいるが、その道はまだ半ばである。


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