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「野球後」の人生というジャンル:日本未公開野球映画を観る(2)

Duel at the Mound(2014)

「野球後」をどう生きるか

 アメリカの野球映画では、引退あるいは挫折した野球選手がそれからどう生きていくか、というテーマがひとつのジャンルを成しているように思う。日本で公開された作品は多くないが、例えばジョディ・フォスターが26歳のときに主演した『君がいた夏』(1988)はそれにあたる。この作品が野球映画と位置づけられることはたぶん少なく、むしろ青春映画としての切なさが際立つが、野球選手の挫折と再生がひとつのテーマになっている。ほかに、酒浸りの元メジャー・リーガーとダウン症の青年の出会いを描いた『しあわせの灯る場所』(2014)はもっとわかりやすくこのジャンルだ。

吹っ切れない同士の「対決」

 さてDuel at the Moundは1時間9分の小品だが、このテーマを中心に据えた作品と言える。セミプロの野球を引退したウォルト(投手)とメル(2塁手)はともに吹っ切れないまま「野球後」の人生に迷っている。医師であるウォルトは離婚して別れた娘に野球三昧だったせいで嫌われていると思い込み、高校教師の仕事に馴染めないメルは授業で無理矢理野球の歴史を教えようとして生徒に反発されたりしている。2人は似たような思いを抱えて深夜に高校のグラウンドで「対決」する間柄だ。
 しかしウォルトは娘に自分も一緒に野球に関わりたかったと告げられ、メルも出会い系サイトで知り合ったアマンダに野球を教えてほしいと言われ、両ペアは同じセミプロの試合をスタンドで楽しむ。試合の後アマンダが交通事故に遭い、ウォルトが勤める病院に搬送されるという最後のエピソードは意味不明だが(このままハッピーエンドだと女性もみんな本当は野球が好き、という安直な結末と思わせないためか?)、とにかく2人は引退しても野球を捨てることなく新たな一歩を踏み出せた、という形で終わる。

セミプロとは

 ところで、本作に出てくるセミプロ野球というのはもうひとつわかりにくい存在だ。昔より減ったとは思うが今も残っており、意味は「報酬を受けてプレーする選手が1人以上いるチームで、MLB傘下のマイナー・リーグや独立のプロ・リーグに属さないもの」ということになるだろう。主にプロ野球チームのない小さな町で貴重な娯楽として親しまれてきた歴史があり、メジャー・リーグより前からある野球の「源流」と言ってもいいかもしれない。
 『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)では若き日のアーチー・グラハムがヒッチハイクをしてそういうチームのある町に行きたい、と言うシーンがあった。「タウンボール」とも呼ばれ、ミネソタには今も300ものチームがあって根強い人気があるという。Fox Sports Northによる全8回のドキュメンタリーが2019年に放送された(Town Ball)。大学の有力選手がチームを離れて夏にプレーする「サマー・リーグ」もセミプロと呼ばれることがあるが、金銭ではなくホームステイなどの形で住居が与えられる(このようなリーグの代表格であるケープコッド・リーグを舞台にした青春映画として『サマーリーグ』2001がある)。
 セミプロ野球も入場料を取る娯楽で、売店もあれば国歌演奏もセブンス・イニング・ストレッチもやる。今はマイナー・リーグや独立リーグは立派な球場でやるようになったが、そうでなかった頃はセミプロとの境界は曖昧だったのだろう。
 かつては日本でも実業団の社会人野球が俗称としてセミプロと呼ばれたことがあったが、ほぼ死語になった。現代では、社員として選手を雇用する実業団よりも、選手の生活面に何らかの援助を与えるクラブチーム(NOMOベースボールクラブやOBC高島のような)の方がアメリカのセミプロに近いかもしれない。

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