おもいだして、きみだけの青を
「なんだよ。誰も私のことなんか愛せやしないじゃん!」
石を蹴飛ばしたら車にぶち当たる。あれ?弁償じゃない?って気づくより前に本能で前へ前へと脚を回す。だいぶ遠くまで来た私の脚が小さな段差に空回り。なんだかレアなステーキの断面のような擦り傷を作ってよく知らない道を歩いた。こないだ合鍵を渡されたばかりなのにな。どの傷もこころの傷の痛みに敵うものはなくて、後悔を色濃く思い、何度も反復する。
「きみが何を考えてるかよくわからない」
「そっか」
脳内をリフレインする最低の不協和音はどんな音楽より不快で不愉快で気持ち悪くて気色悪い。何がいけなかったのか。本当はわかるんだけど、わかりたくもない。詳しいことは一つも考えたくない。どうでもいい。どろどろの顔のままコンビニに入り、度数の高い邪悪なお酒と蛍光色のエナジードリンクを買う。これで青い眼の3つ頭の竜でも召喚しよう。3つ星シェフもびっくりの星12個さ。こんな冗談も心の奥の奥にしまっていた。
無我夢中で知らない道に走ったけれど、元来帰り慣れた道。知らないうちにいつもの道路に出た。別れ話なんてすると思わなかった私は悠長に朝、絵を描いた。無性に美しい青を求めて衝動買いした水彩絵の具は、青と白しかまだ使っていない。筆を洗う水は海や空のように綺麗な青色。はやく家に帰って自分を取り戻さなくては。はやく、青を私に。
もう少しで家。もたつきたくなくて家の鍵をカバンから出した。するとどうでしょう。家の鍵にはいつだかのおそろいキーホルダー。黒光りする害虫を見つけたように反射でぶん投げた。全然オシャレじゃないわ。だいたいなんでお前のが青で私のがピンクなの。選ばせてよ。私は青が好き。渋々拾い上げて丁寧に丁寧に外して罪悪感を薄めるためにゴミ捨て場に目掛けて投げた。ストライク、バッターアウト、ゲームセット。桜木選手、完封勝利です。泣き腫らした顔で大口開けて笑ってみる。よし、これで帰れるよ。
「なにこれ」
家に着き、何もついてないまっさらな鍵でドアを開くと、青い煙のような霧のような気体が充満している。煙たくはないし、苦しくもないけれどでんじろう先生を呼んだ覚えもなかった。だけどこの青に見覚えはあった。おおきなスケッチブックに思うまま3ページ分塗った青。とりあえず換気しようか。一人暮らしの一室。窓際で描いていた真っ青な絵。絵から青が滲み出てきちゃったんだろうか。窓の鍵に手をかけようと歩いていたら、雑にはさみで半分に切られて身長の低いペットボトル。手作り感溢れる、悪く言ってほしくはないけどしょぼい空っぽの筆洗を蹴飛ばしてしまった。
「げ」
筆洗の中の真っ青な水を私はなかなか変えることがない。そのため狭い机からよく肘で落としてじゅうたんに芸術的な模様を作っている。出かける前に倒してしまったのだろうか。でも、落とした筆洗の周りが濡れていないような。あ、可愛い靴下を青く染めたくないな。跨いだ。が、青い霧のなかまた脚が空回った。
ああ。なんて日なんだろう。今日も頑張って選んだ服だったのに。おうちデートの日だって可愛くしていたくて気を抜いているようだけど可愛いと思われるような服を用意していたの。私のことなんて一生わからないだろうけど、いや、わからないでほしいけどね。
結果から言うと、私は転ばなかった。部屋に満ちていた青い気体がぎゅっと集まって人の形を成し、私を抱きしめていた。
「だいじょうぶ?」
白と青の絵の具を混ぜたようなデニムに、白いキャンバスの上に青を丁寧にグラデーションで塗ったようなTシャツ。私より何センチか背の高く、可愛いよりは綺麗って感じの、言うなれば私の完封負けっていうような容姿のお姉さんが私を包んでいた。っていうかそんなシンプルな格好で私のはるか上を行くな。
蒸発した青い水からできたうつくしきランプの魔人。そう、お姉さんはまるで空のように美しかったんだ。それでいて、海のようにおおらかな抱擁をくれた。青っていい色だなあ。これが夢でも優しくしてくれてありがとう。
腕の中で眠りに落ちた。
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