ヘンリー・ミラーのこと、佐藤忠良さんのこと

この記事は2017年11月に書いた文章です。のこしておきたいので、こちらにも記しておきます。
 

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◆ 泉美術館にいきました
 
やすみの今日は、広島市西区にある泉美術館へ行きました。お目当ては、佐藤忠良さん。『開館20周年記念特別展 彫刻家佐藤忠良の遺したもの』が開催中でした。
 
ヘンリー・ミラーがこんな言葉を遺しています。「描くことは再び愛すること」。画家であれ彫刻家であれ、小学生であれ大人であれ、描くとき、ひとはその「対象」をよく見ます。見ることからはじめます。見たものを、白紙のうえに自分の手で再構築していく。その過程を、ヘンリー・ミラーは「愛すること」と呼びました。
 
佐藤忠良さんは、彫刻家でありながら多くのスケッチ(素描)をのこしています。絵本『おおきなかぶ』でも見れるそのタッチがぼくは大好きで、忠良さんが遺された2冊の素描集はぼくの宝物でもあります。
 
泉美術館の展示では、忠良さん自身が集めたコレクションも展示されていました。ピカソ、シャガール、ロダン、モディリアーニ、ヘンリー・ムーアなどなど。忠良さん自身が愛し、尊敬した作家の作品を見ることが出来ます。忠良さんのコレクションを見て、ぼくはなんだかとても嬉しくなりました。忠良さんは、こんな作品を愛していたんだな、こんな作品に憧れていたのかな、そんなふうに想いをめぐらせていました。
 
それらのコレクションからは、佐藤忠良さんの「芸術」に対する深い愛情を感じました。芸術とは、ひとの営みです。作品と、それをつくりだした「ひと」に対する、尊敬と愛情。そこにあった「時間」と、そこで生きたひとの「想い」。それらをまるごと感じようとし、それらを丸ごと愛すること。そんなものを、コレクションから感じていました。
 
晩年の忠良さんは、木を描くのが好きだったそうです。展示には、いくつかの木の素描もありました。最後の展示室にある映像では、忠良さんが木をスケッチする姿を見ることもできます。
 
それが「ひと」であれ「風景」であれ「木」であれ、写真ではなく、なるべくその「実物」を見て描くことを大切にされた忠良さん。
 
おもしろいエピソードにも出逢えました。忠良さんは、「ひと」も「風景」も「木」も、描く対象はすべて「自然」と呼んでいたそうです。
 
「見ること」そして「描くこと」によって、「自然」の尊さ、やわらかさ、あたたかさ、すごさを知ること。そして愛すること。
 
展示に添えられていたこんな言葉が胸に響きました。見ること、想うこと、そして愛すること。
 
《私は七年ほど前から、樹木のスケッチを続けています。彫刻家なのになぜ?と聞かれますが、木の姿は、人の顔以上に、生きてきた履歴を素直に表現している。そこに魅せられてしまったのです。
枝を大きく張り、もっと伸びようとする壮木。曲がりくねった幹にこぶをつけた老木。私は畏敬の念を感じながら鉛筆を走らせますが、その時、地面の下の根っこの存在にいつも強く意識しています。何メートルも根をはり踏ん張って体を支えている様子を想像して、ああ、やってくれているな、と感嘆の声をあげています。》
 
見えない部分にまで想いを馳せるところが、ほんとうに忠良さんらしいなあ、なんて感じてしまいました。
 
泉美術館での展示を味わって、また改めて、忠良さんが教えてくださったように感じています。いい展覧会でした。行けてよかったです。いいおやすみになりました。
 
 
→泉美術館
http://www.izumi-museum.jp/exhibition.html

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