あれからのこと | 2011年3月11日以降の生き方

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突然ですが、ぼくは元気に暮らしています。
移住して丸4年。
 
振り返ってみると、やっぱりぼくにも、2011年3月11日が大きなできごとでした。
 
今日、友人とメッセンジャーしていて、あれからの自分の心の変化を、わりとぱっとすっと書けたので、ここにも置いてみます。
 
 
どうして移住したのか。
よく訊かれますし、よく話すことでもあるのですが、たとえばこんな想いがありました。
 
と同時に、その想いは、「今」にも繋がっています。社会のなかで生きること、社会的であること。お手紙ですな、こりゃ。
 

 
神奈川で311を体験して、自分の生活がすごく脆いものに感じたんですね。
 
電気も近場で作ってないし、野菜も近場で作ってない。遠くで作られた電気と、遠くで作られた野菜を買って生活している。あろうことか、そうして作られた電気は、誰かが命の危険と隣り合わせで作ってくれてた電気だった。そんなことに、恥ずかしながらそのときやっと気づいたんです。
 
311のときもそのあとも、自分自身は、人々の生活に直結しなさそうな仕事に励み、それなりに給料をもらって、高い家賃を払って、関東以西の野菜を高い値段で買って、食べて生活していました。
 
なんというか、生きものとして、すごく脆いような気がしたんです。地に足がついていないというか。
 
それから。
「作り手」になりたいな、と思ったんです。なんでもいいから、食材の、たべものの作り手に。
 
江田島にきて、みんなが日常的に小さな畑をやっていることにすごく驚き、素晴らしいなと思いましたし、こっちで豪雨災害を体験しましたが、豪雨の次の日でも自分の畑で野菜を採って、ぼくに分けてくれるお隣さんの生活(生き方)に、あらためて力強さを感じました。道路が陥没してようが、関係ないんですね。生きるために生きている、というか。
 
もちろん、そうしたぼくらの生活は、便利さに支えられています。
 
ぼくはたぶん、心のもやもやが大きくなって、神奈川での暮らしを続けることが出来なかったです。でも、神奈川で暮らし続けているひとももちろんいて、それも、生き方としてナイスだと思っています。それぞれの人生なので、どのチョイスもナイスです。
 

 
社会問題、というか、それへの意識や行動も、311のあとでだいぶ変わりました。
 
こういう言い方がいいかどうかアレですが、
 
いま、広島や江田島の一部のひとが感じている気づきや目覚めのようなものを、2011年のときに感じたんですね。
 
選挙いかないとやべーな、というか。
声あげないとやべーな、というか。
 
仕事帰りに国会前のデモに行ったり(といっても、ただ歩くだけで、ぼくだけじゃなくて、友達もほとんど行ってました)、選挙も、知り合いが立候補してそれを応援したりとか、出来ることはそれまで以上にやりました。
 
声をあげないと、いつまでも為政者に好き勝手にやられちゃうんだな、と思ったので。ま、声をあげても全然変わらないんだけどね 笑
 
ぼくにとってはそれが2011年で、その前から気づいてたひともいるだろうし、ぼくと同じようにそのときに思ったひともいるだろうし、
 
それぞれの人生だから、ちょっとずつでも、出来ることをやっていけばいいと思うんです。
 
結局は、自分がどうだったら満足するか、どうしたらストレスやモヤモヤを少なくして、心を満たして生きれるか、それだと思うので。
 
なので、もし思うことがあれば、どんどん進めばいいと思うの。その背中、見てます(「応援してます」の意味です)。トルストイ的に言えば、光あるうちに光の中を歩め。です👍

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