さよならさんかく
今、わたしは転換期なのだと思う。
自分自身の人との関わり方も変わったし、そばにいてくれる人の顔ぶれも変わって行った。
動くときは、いつでも心許なさに泣きそうになる。
子供のわたしが迷子になって、父と母を探すのだけど、やっと見つけた両親に「お前のことは分からない、手に負えない」と拒絶されるのだ。
注意しないと、すぐにこのイメージがまとわりついてくる。
父との確執について、長年作業してきた。
わたしの一番のテーマだと思っていたから。
ここにきてやっと、父の嵐の渦中で、父自身が何を思っていたのかについても思いを馳せることが出来るようになった。
でも、自分の辛さの大きい部分にある、分からないと拒絶される体験は、母からも受けていたことに思い至った。
母はそれでも、愛情深く育ててくれた。
理解しないし、味方にもなってくれなかったが、彼女なりのやり方で守ってくれた。
得体の知れない、理解の出来ない存在を、自身の子供だからという理由だけで守ろうとする母のエネルギーには驚くが、母ってそういうものなのだとも素直に思う。
「あなたは小さい頃からなんでもひとりで出来ちゃって、それでも珍しくなにか出来ないことがあると、どうして出来ないの?と思ってしまって、でもあとになって、まだ赤ちゃんだから出来るわけないのだと気付くの。
なんでも出来るあなたのことはすごいなと思っていたけれど、ちょっとだけ気に入らなかった。」
ついぞあなたの望んだ子供になれなくてごめんなさい。
でも、わたしは決してなんでも出来る子供ではなかったし、両親に見守られて、安心して眠っていたいただの赤ん坊でした。
昨日、母と食事をして、実家のこと、わたしの現在のこと、これからやりたいこと、昔のことなど、色々話した。
やっと、ただの独立した人間同士として話せるスタートラインなのだと思った。
母には今までだっていつでも会えたけれど、物理的な距離とは別の問題が、我が家には多すぎるのだ。
「やっと怖がらずに話すことが出来るようになった」
と、ほっと胸を撫で下ろす母に、今までのわたしの寂しさの正体と、細く掴みかけているこれからの希望を見た。
6月のあらまし
6月は誕生月だった。
誕生日の翌日には山に入った。
映画を劇場で2本観た。
1年間、毎月主催していたイベントが終了した。
SNS上で仲良くしていた友人に初めて会って高円寺で飲んだ。
1年死ぬほど働いて、後始末にもう1年かかった仕事がほとんど片付いた。
春先に仕込んだ柚子酒が完成して、友人たちに配った。