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全てふんわりさせておく

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さて以前YouTubeで豊かさについてお話ししたのですが、その中で全てを体験していく、というお話をしました。

この感覚は私自身新しい感覚で、今まで出来ていたようで出来ていないことでした。

というのも私は現実の起きていることに対して、これは良い体験だった、これは良くなかったな、という判断をしていたからです。

例えば何かの集まりに行ってそこで楽しかったら行って良かった、良い経験だったと思っていて、なんだかつまらないなというイベントに参加したら失敗したな、次はこういうのは行かないようにしよう、と思っていました。

これは私にとって当たり前の感覚でした。良いという体験が分かるからこそ自分の好みが分かるのであり、嫌だと思うものが分かるからこそそれは避けよう、と思えるからむしろこの判断は必要なものだと思っていました。

ですがそうしたジャッジがすでに私にとって疲れるものになっていました。


判断するというのは必要なものです。でもそれと同時にそれまでやっていたことに良い、悪いのラベルが貼られると豊かなはずの経験が良い、悪いという面でしか見れなくなります。

そのため良いと思えた時は良いのですが、悪いと思ったら一度悪く見えてしまえ、その時の経験はただ悪いものに見えてしまいます。そしてわたしはずっとこの落差が辛かった。

なので最近はあらゆる経験をふんわり、そのままにするようにしています。


あーこれはやらなきゃよかったな、と思うことも、ダメだった、と判別するのではなく、まぁいいか、とボヤッとさせておく。その時感じた感情があればそこにただ寄り添う。

そうすることで自分の経験の幅を広げて行く、全てを受け取って行く、見ていくという感覚を取り入れています。

そしてこれをしていったことで、今までの私は良い悪いと判別して良いものだけ受け取ろうとして『ない』と思っていただけで、本当はいろんな経験を受け取っていたんだな、むしろそれで溢れかえっていたんだな、ということに気づいています。

そう思えるのは自分の中に安心感、ホームがある、全体性のつながりを感じられるからなのですが、こんな感覚があったのだなぁと最近はつくづく感じています。


やはり巷でよく言われる受け取る、という感覚は判断の上にはなく、この経験すべてを受け取ろうと思えた時(その姿をありのままに見れた時)、すでに自分は多くのものを受け取っていたんだ、ということに気づけます。

経験を全て受け取る、というのは判断の上にはないので思考が強いとそれは難しいのですが、個を癒して全体性に気づいていくと、そこに触れても良い、全て受け取っても大丈夫なのだ、ということに気づいていくわけです。

分離の感覚ではこれを掴み取ることは難しく、上部だけになる、ということですね。

昔疑問に感じていた引き寄せの法則や、ないではなくあるに意識を向ける、というのがようやく理解できてきた感覚があります。やはりスピリチュアルのこういった法則は、どこか一部にフォーカスを当てたものであり、それが全てではないのだなと感じています。

今回は以上です、また書きますね。

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