この瞬間の「まぁ、いっか」を見過ごさないことの大切さ
公開日時:2019年5月6日
私は周りの雰囲気を読み過ぎるときがあります。
なので、この場所では不適切だと思うと、
「まぁ、いっか。」
と思い、行動や言動を制限してしまうことがあります。
まぁこんなことは、大人になれば誰しもが経験あることだと思います。
周りへの気遣い、思いやりがそうさせているわけです。
でも私は今、これを少しずつ、かなり意識的に気づき、行動に移すようにしています。
なぜなら小さな「まぁ、いっか」を見過ごすと、それが積み重なってやりたいことや、自分が本当に興味があることが見えなくなっていくからです。
先日経験した「まぁ、いっか」を飛び出した出来事
改めてそう思った出来事があるので、それを書いておきます。
これは先日三崎へ日帰り小旅行に行ったことが関係しています。
その小旅行は、義理の父と、旦那、私の3人で一緒に行きました。
そしてそこで、自然を観たり、おいしいものを食べたり、人並みに三崎の旅行を堪能したのです。
その間に、実は自分にとっていくつか、とても大切な選択のタイミングがありました。
三崎では小網代の森、という湿地帯のある自然があるのだが、その小網代の森を抜けたところに、神社がある。
そこで義理の父が
「めぐちゃん(私)、神社、見る?」
と言ってくれたのです。
これに対してまぁ普通に考えれば、興味あるなら素直に行けばいいじゃん?って思いますよね。
ただ私はそこで、
「(会話の口調からするに)義父さんはそんなに興味なさそうだから行かない方がいいかな?」
とか、
「神社に行くなんて言ったら信心深い人だなと思われて、怪しいと思われるんじゃないかな。」
と思ったわけです。
なのでこれまでの私だったら、相手を煩わせないように、というよりかは自分が変に思われないように、
「まぁ、いっか。」
で終わらせていました。
でも今回はそれをやめてみたのです。
「神社、行きたいです。」
と言ってみたのです。
そうして結果神社に訪れることが出来たのですが、その後沸々と自分の中で、それが大きな喜びに繋がっていることに気づきました。
そして調子に乗った私は、その後ももうひとつ気になるスポットがあったので、
「そこも行きたい!」
と言って、その小旅行では「まぁ、いっか」と思うことをやり過ごさず、やりたいことをやることが出来ました。
これは私の中ではとても大きな進歩でした。
文字にすると当たり前なんだけど、実はみんな見過ごしている。
次の日、私はその小旅行がとても楽しかったと思っていることに気が付きました。
そして再度振り返ってみたのですが、想像以上に先ほど紹介した出来事が自分にとって嬉しいことであると気づいたのです。
でもこうやって文字にすると、なんと当たり前で、別にどうってことない出来事です。
でも無意識で生きがちな私たちの生活の中には、
「まぁ、いっか」
が存在している世界で生きています。
だからこういった小さな「まぁ、いっか」を見過ごさない。
行動に移してみる。
それを是非やってみてほしいと思いました。
そうやって小さな「まぁ、いっか」を見過ごさないことで、大きな喜びに出会え、違う世界に行けるからです。
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