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「廃墟の片隅で春の詩を歌え」感想

「廃墟の片隅で春の詩を歌え」を読み終えたんですが、むちゃくちゃむちゃくちゃむちゃくちゃすきだったので、感想を書きます。
あらすじはこちら。

革命により王政が倒れた国・イルバスの王女アデールは、辺境に建つ『廃墟の塔』に幽閉され、厳寒を耐え凌ぐ日々を送っていた。だがある日、離れ離れになった姉王女ジルダから手紙が届く。「イルバスを取り戻す気があるのなら――」。そして姉の命を受け廃墟から救い出しに来たという謎の青年、エタンとの出会い。凍り付いたアデールの運命が、音を立て動き出す!

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ちなみにわたしの感想はいつも超絶ネタバレを含んでいるので、読了後推奨なんですが、このはなしに関してはひとの生き死にや各人の最期まですべて言及しているので、未読の方は絶対によしたほうがいいです、読もう本編を!! 
注意喚起もしたので、思いのたけを綴ります。

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すごい……いやすごいものを読んでしまった。
噂で良質なヒストリカルロマンだと、とっても糸さん好きそうだよ、というのは聞いていたんですけど、こんなにクリティカルヒットのヒストリカルロマンとまで誰が予想しただろうか… たぶん今年いちばんの読書といったらこのはなしを推す(まだ2月です) 
そもそも、noteをひらいて綴り出した時点で沼というか、好きすぎて好きすぎてとりあえず文章に吐き出しでもしとかないとあしたから社会人として生きていけないから綴るんですよね…。過去のメンタリストとかエジカ・クロニカとか女王の化粧師の感想を読んでください、わたしは好きすぎて発狂したときしかnoteは書かないのだ。

でも、この物語のすばらしさをいったいどこから、なんと伝えたらよいかわからなくて、だからもう、即本題に入るんですけど。ジルダとエタンがむちゃくちゃすきでした。好きすぎてどうしようかと思った。好きだ。百回くらい言える。極太線にしたい。すき。
ここからもう作品の核心を書いていくんですけど(未読の方はほんとうに本編を…以下略)
だれよりも完璧に見える女王・ジルダ。彼女に隠された秘密。
それが明らかになったあたりでもうだめでした。誰よりも、つよく、ほんものらしく生きようとする彼女が、どうしてそれほどまでに身を削りながら「ほんもの」を求めるのか。ジルダを襲う運命の残酷さに胸が痛くなりました。わたしが投獄されたジルダのそばにいたなら、おかーさまの口をとりあえず塞いでおいて、はい今のなし!なしだよ!って言うんですけどね…。
「ほんもの」っていったいなんなんでしょう。
血筋がどうであれ、ジルダは王女として生まれ、育ち、王女として投獄され、王族の務めを果たした。そのいきざまのどこに「偽」があったというのか。ほんとうの彼女は信仰深く、情に深い、ただの女の子だったかもしれないのに、それでも「王女である」という矜持のために、一切合切を捨てて「女王になった」彼女は、痛々しいほどに孤独で、だけども、雪に包まれたこのおはなしそのもののように、壮絶にうつくしかったです。
作中でも触れられていましたが、「ほんもの」というのはあるいはまやかしで、「ほんものではない」ゆえにどうしてもどうしても、そのまやかしを求めてしまう、そんなものなのかもしれません。愚かともいえるかもしれないけど、痛切。かなしくて、うつくしい。
ジルダ、すきだったなあ。

このはなしは、わたしは個人的にアデールとジルダ、ふたりの女王の物語だと思っていて、ふたりの在りようというのがすごく対照的に描かれるんですよね。
つよく、ただしく、賢く、そしてひとに畏れられる女王・ジルダ。
よわく、おろかしく、しかしひとに愛される王女・アデール。
弱く、愚かしく、と書きましたけれど、それはアデールの本質では実はなく。物語が進むごとにあらわれるのは、アデールの強さであり賢さであり、一方のジルダの弱さと脆さなんですよね…。おそらく誰よりも自分の弱さも脆さも知りながら、それでも偽りの女王として道をきりひらこうとしていくジルダ。そんな彼女に影のように付き従う王杖のエタン。
後半、ミリアムの殺害を発端に、転がるように国が傾き始めるなかで、抗いながらも着実に破滅に向かっていくジルダとエタン、ふたりのすがたがなんだかたまらなかった。このふたりの関係性というのがまたなんとも絶妙で… はじめは女王の愛人として現れたエタンなんですけど、ふたりのあいだに存在するのが愛なのかというと、それともすこしちがって、ラストのほうでジルダが言うとおり「半身」「運命共同体」という言葉がふさわしかったように思います。
偽りの出生という共通項を持つふたりは、言葉にせずとも誰よりも互いを理解することができて、だけども、だからこそ、同じ因子を持っているふたりがゆえに、後半、同じ方向性(滅び)に向けてどんどん転がり落ちてしまう、止めようがなく。なにを間違えたということはなく、これはひととひとの相性みたいなものなんだろうなって思います。ちょうど、アデールを愛するあまり、アデールのまえでだけ狂気をまとってしまうグレンのように。

わたしはなんとなく、このはなしでジルダはすべての罪を背負って死んでしまうのかなって、そのときにようやくエタンの手を離すのかなって、考えていたのですけど、だからこそ、約束をたがえず最後まで女王の手を離そうとしなかったエタンには痺れました。それでこそ!
そこからのアデールの活躍もすごくよかった。「ほんもの」なんて、という思いがわたしにもあったんですけども、時代の流れを変えていく力、逆境を跳ね返す明るさ、強さ。たくさんの喪失を経て、立ち上がるアデールのすがたは、ジルダのそれとはちがう力強さがあって、彼女が巻き起こす「春の嵐」にわたしも飲み込まれていきました。エタンも言ってましたけど、アデールって喪失や苦境のなかでこそ強烈に輝くんですよね…。アデールは、ひとの心に寄り添い、こたえようとする人物だと確かジルダが評していたように記憶しているのだけど、おそらく彼女は籠に閉じ込めて守られるより、傷つく誰かをまえにその痛みを感じ取り、守ろうとするときにこそ真価を発揮する人物なんだろうなって思います。わたしのアデール観(だから、グレンはもう愛の解釈違いとしか言えなくてかなしい…。でも武人のグレンがアデールを守りたくなるのはわかるし、わたしはグレンの初登場のシーンの、アデールのまえに立ち、風から守ろうとするすがたがグレンらしくてすきなんですよね)
でも面白いもので、エタンの能力ってアデールといると、またちがった方向にはまるというか、アデールの理想を具現化するために補っていけるんですよね。これも相性としかいいようがないけれど…。物語後半、女王と王杖として進んでいくふたりには、どんな窮地であっても、ふしぎと春のあかるさとか、軽やかさのようなものが存在していて、つがいとはこういうふたりをいうのだなあ、としみじみ思いました。エタンとジルダがすきすぎたわたしですけど、エタンとアデールもすきすぎるので、もうみんなだいすきです。

そして、王国に春が訪れたラストシーン。
アデールがエタンを自分の鳥籠にしまいにいったあのラストシーンがすばらしかった。わたしはじつは、上巻の時点でエタンがアデールと結婚するらしいというネタバレを踏んで…(いや、母に布教のために渡してしまったベアトリスにも書いてあったかも。確かめられない) ふたりがそうなる、というのは知っていたんですけど、こんな情熱的な愛の告白が待っているとは思わなかったので、号泣しました。ほんとに。
母からの愛だけを胸に抱えて、復讐と破滅の道を、あくまで理性的に生きていたエタンが、アデールに出会って、ひとを愛することを知った。中盤以降、アデールを大事に想いながらも、彼女を守るために手を汚していくエタンが切なくて、エタンがどんどん救われない道を理性的に進んでいってしまうので、胸が痛くて、悶え回っていたんですけど(ちなみにわたしは、ミリアム殺害のときの「女王陛下の大切な人は、いつも雪の日に~」の台詞がとてもすきです…。ここで女王陛下の「邪魔な人」「憎んでいる人」ではなく「大切な人」と表現してしまうエタンの人間性がたまらないと思いませんか)
アデールがあまりにでっかい愛でエタンの手を取ってくれたので、とてもうれしくて… とてもうれしかったです…。あっ語彙がなくなってきた…。エタンをあいしてくれてありがとう… いやわたしはエタンの保護者でもなんでもないんだけど…笑
ラストページ、アデールの死をも見届けるのが、とてもエタンっぽいなって思いました。そして自分の持ち物でなくグレンの銃剣を棺に入れるのも。
それで上巻の表紙を見るじゃないですか。夫の銃剣を持っているじゃないですかアデール。泣いた…。
ちなみにエタンとグレンの番外編読むためにとりあえず電子の3巻も購入したんですけど、思えば、エタンとアデールはいつもあずまやというふたりの鳥籠で並んでおしゃべりをしていたんですね。はじまりからそうだったふたりを堪能できて満足。

このほかにも、魅力的な登場人物はたくさんいて、いつだって明るさを失わないガブリエラ、さいごのさいごに執着を手放してアデールのしあわせを願えたグレン、ジルダとの共犯めいたふしぎな絆がすきだったミリアム、ニカヤのユーリ王子。ユーリ王子がさいご、ジルダに詩をうたってあげるシーンすきだったな。はじめて泣き崩れるジルダも。涙が流せないというところも似ていたよね、ジルダとエタン…。……わたしの感想はなんでもジルダとエタンになってしまっていけない。

登場人物のはなしばかりをしましたが、ジェットコースターのように先が見えないストーリーも魅力的なおはなしでした。夢中になった。動乱、宮廷の陰謀、ヒストリカルロマン。もうわたしが好きなものしかない。
そしてあらためて、わたしはこういう激動の時代、そこで必死に生き抜こうともがくひとびとの群像劇が好きなんだなって、すごく思いました。
ひとがたくさん死ぬ物語で、その容赦のなさに泣くこともたくさんありましたが、それでも冒頭、塔のお姫さまを助けにきた青年、(終わってみれば)ふたりの愛の物語、鳥籠は入り口をあけたままで、という御伽噺のようなうつくしさも、余韻として胸を打ちました。このはなしのすてきさをもっと的確に表現できたらいいんだけど。
ありがとうございます。すばらしい読書の時間になりました。
これからの廃墟シリーズもたのしみ。でもしばらくは、ジルダとエタンのふたりに思いを馳せていたいです。

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