ローニンさん

今回お話を伺ったのはローニンさん(20代)

自分とはなんだと思いますか?

俺は俺だし、まず考えたことがない。就活の時は就活用に作ってたし、そういう時はその人がどういう答えを求めてるのかを考えてそれに合わす。相手に合わすのは仕事の時にも考えるし、割とカメレオンみたいな感じかな。だからプライベートは逆にそれを極力しなくていい人と付き合いたいと思ってるし、友達は少ない。

自然体でいられる人としか付き合わないと自然と付き合う人も少なくなるだろうし、それでいいと思ってる。いろんな人に合わせてキャラを変えて友達多くすることもできると思うし実際してたこともあるけど、何の意味があるんだろうって思った。気の合う友達といる時に楽しいと思ったし、限りある休みの時間くらいそういう人といたらいいと思うし、そういう人と出会わなかったら一人でいたらいいと思う。

それは大学生の時に親友と呼べる人に出会って気付いた。相手がしんどい時に相談にのれたり、逆に話を聞いてもらえたりとか、そういう持ちつ持たれつを続けていく内に切れない縁になっていった感じかな。最初は普通の友達Aみたいな感じだったけど、大学のサークル活動の時に非難を浴びることがあって、その時に一緒にいて考えたりしてくれた。その時はみんな敵になったけどその人は味方になってくれて、それで逆の時は味方になろうと思ったし、実際そういうこともあった。

ーどういう方と時間を過ごすことが多いですか?

俺自身が好奇心旺盛で色々してみたいなって思うから、仲良い人はそういう人が多い。なんでもかんでもダルイとか言ってくる人とか好奇心がない人は合わない。恋愛対象もその部分は同じで、友達として仲良い人と恋愛対象はタイプ似てる。なんか好きっていうだけ恋愛しに行く人はわからないし、俺は彼女でも最初は人間からスタートだな。

ー恋愛感情とはどういうものですか?

胸がぎゅーってなる、めっちゃ好きみたいな感じかな。この子と一緒にいたい、この子が誰か他の男に取られるのが嫌みたいな感じ。その子が彼氏できたって俺に言いに来たって想像した時に心からおめでとうって言えるかどうかで俺は確認する。実際そういうこともあったけど、俺は結構一回振られてもチャンスくれない?って言って頑張る。攻略したいみたいな感覚はあって、大学生の時はアホみたいに女いるから一人に固執する意味が分からなかった。

初恋は小学校の時。その当時一緒に帰ってた子がいて、なんて表現したらいいか分からないけど幸せな気持ちみたいなものがあった。俺は2年生が終わった頃に転校して、同じタイミングでその子も俺とは違う小学校に転校したんだけど、中学校で隣のクラスにその子がいたんよ。それを知ったのは泊まり合宿の時で、女子の着替えの覗きに行った男子が言った名前が珍しい名字で聞き馴染みがあって、後日見に行ってみたらその子だった。

ただ、結局中学校の3年間で一回も話せなかった。多分あっちも気付いていたんだろうけど俺は目も合わせられなかったし、それはすごく後悔した。大人になってからインスタで少し話したけど、その頃には人妻になっていて子供もいた。あの時の感情が恋だったとしたらなんで言わなかったんだろうって思うし、振られる可能性ももちろんあったけどその可能性にかけなかった自分が嫌だなとは思ったからそこから恋愛に関しては絶対アタックするって決めた。

自分はどういう人だと思われますか?

思いつめないタイプかな。考えて何かの形が出るものは考えたいと思うけど、自分でなんとかならないものとか、考えても無理なものは考えすぎない。バーテンダーに転職してすぐにコロナになって、俺何してるんだろうってなってたけど切り替えた。自分の勉強をできる時間だとも思ったし、自分が店のトップじゃない時にコロナ禍じゃなくて良かったとも思った。だから俺だったらそういう時どう立ち回るかなって考えながらオーナーがどうするかじっくり見てた。その時はラッキーって考えようと思ったから考えすぎてない。ある意味それは逃げっていうことになるのかもしれないけど、自分の考え方はそう。

怠け症でもある。コロナで時短しろって言われてもそれに言い返す力とかバックの組織が無かったし、自分の感覚的に飲食業界って社会的に認められてる仕事じゃないんかなって思ってる。そこの社会的な弱さとか不安定さに対する不安は常にあるけど、そこに面白さも感じているし、怠け症の自分はそれしかできないと思ってる。確約の数字を見せられたらなにもしないと思うし、頑張っても給料一緒ならいいやってなる。

ーバーテンダーはどういうお仕事ですか?

バーって色々なニーズの人が来る場所で、お酒を通じてそれを叶える仕事。働いている時はお客さんのニーズを常に考えていて、それを考えなかったら全然違うことをする危険性もあるし、そういうことって他の店ではあまりないことなのかなと思う。いろんな人が来るから応えられない部分もあって、そこが難しさでもありおもしろさでもあるかな。

第一声の前にその人の佇まいとか振る舞いである程度話しかけ方は変える。それで実際話してみて、最初のタッチで何を求めて店に来てるか大体決めつけてるかな。それがすごく外れていたこともあって、例えば二杯目の注文の時に話していたら実はお酒のこと色々聞きたい人だったとかもあった。でも最初のタッチが間違っていたとしてもそこで接し方を変えれば最終的には良かったなと思って帰ってくれるかなと思ってる。

やる気さえあれば誰でもできる仕事かなと思っていて、人のこととか相手が何を求めてるかを理解しようという気持ちがあればできると思う。ただそこに自分の技術が伴っているかどうかは大事。極論いうと仕事はバーテンダーじゃなくてもいいとは思っていて、直接お客さんと関われて人を喜ばせられる場所なら飲食じゃなくてもいいだろうけど、自分が人をもてなせる可能性があるのはお酒だと思ってる。だからこの先パブよねっていう時代が来るならパブをしてもいいと思ってる。

仕事に関して何をしたら成長に繋がるかっていう意識は常にあるし、最近はお酒とは関係ない資格の勉強をしたり美術館を回ったりしてる。それは0を無くして1を増やすっていう取り組みで、まず人と話すために自分は教養がないなって気付いたからそういうことをしてる。美術館行ってきましたっていうお客さんに対してへーとしか返せなかったし、お客さんも知識0の人とは話そうと思わないけど少しでも知ってたら話そうかなという気持ちになるかなと思った。

それに気付いたのはコロナ禍かな。あるお客さんからゲームを教えてもらって、全然興味なかったけどやってみたらそれだけで会話になった。それで何かを少しでも齧ることは大切だなって気付いた。

ー仕事のやりがいは?

前職の営業の仕事をしてる時に言われたありがとうって言葉は、営業内容で相手の夢が膨らんでそれに対しての楽しみだなっていうありがとうだった。でもそれは本当の意味でのありがとうではなくて、自分が扱ってた商材は後々クレームになったりしてたし、その言葉の魔法って切れるものだった。

でもここは短時間で、お客さんとの距離が近くて、楽しませたらありがとう。他にもバーがある中でわざわざここに来てくれる。居心地よく時間を過ごしてくれて、ありがとうって言ってくれたら嬉しいし、それでまた来てくれたらもっと嬉しい。元々人に喜ばれることが好きで、バーテンダーという道を選んでその良さを知ったというよりはバーテンダーっていう職業が合ってたという感じかな。

今まではどういう人生でしたか?

今の人格形成に一番影響を与えたのは浪人時代やな。その一年はあって良かったなと思っていて、人生のどこかで大きな失敗があるならそれが早い時期で良かったなと思う。

一応大学受験はしたけど、一切勉強せずになんかここ行きたいなってくらいで受けた。中学の時もふしだらな生活をしていて、2、3ヶ月くらい少し勉強したら高校には受かったから変な自信がついてしまった。部活でもあまり努力しなくてもレギュラーだったけど、今思えば別に器用だったわけではなく周りのレベルが低すぎたんだと思う。とりあえず人生舐めてたし、根拠のない過信があった。

まあ今思えば当然だけど結局受験は失敗して、その時は親に申し訳ないとも思ったし、何言われたか覚えてないくらい頭真っ白になってた。就職なんて頭になくて、他に選択肢がなかったからとりあえず予備校に入った。

その浪人中に生きている意味をすごく考えた。SNS見てると周りの大学生が楽しそうにしていて、俺だけ何してるかよく分からないけど勉強したいとも思わないし、でも頭の片隅には大学に行った方が良い世の中なんだろうなってのは思っていたり、その中ですごい葛藤した。

その期間に派遣とかで色々仕事も経験してて、その時に底辺の生活がどういう風なものかとかを見た。それで、自分がそこで働きたいのかなって考えた時に嫌だなって思った。死ぬ覚悟もないし、生活保護もらって働かずに生きていく覚悟もなかったし、俺はどうせ生きていくだろうなと思った。

だから、次はこれを抜け出すにはどうするかって考えた。まずやりたいことが何も出てこなかったから、それを見つけるもしくは視野を広げるっていうのが一つ。それと、どうせやりたいことがないなら大学っていう猶予期間を得るのも一つだなと思ったし、それで大学に行くことにした。

結局一年後に大学には受かったんだけど、単に大学行くだけではなく自分にチャレンジできることがあったらしよう、なんかぼけっと過ごすより何か目標を持ってやってみようと思っていたし、ご縁があって入ったサークルで幹事をした。みんなやりたくなさそうだったし、そっち側に携わったら何か掴めるかもしれないっていうのと、どうせサークルするなら楽しくやればいいのにと思ってたかな。

そのサークルは割と伝統あるサークルで、上の人達から続いてる古臭いシステムとかがあったんだけどそれを批判受けながら全部変えていった。でも結局その方が楽しいからみんな楽しんでくれて、下の子の中から幹事をしたいっていう子も出てきてくれた。そのサークルで企画とか立てたりする中で、俺は自分が楽しむというより人が楽しんでるの見るのが好きだなって、自分がしんどくても人が喜んでくれる空間を作るのって楽しいなと思って、そういう仕事したいなっていうふんわりとした方向性は見えてきたかもとは思ってた。

ー最初の就職先はどういう経緯で?

インターンとかで色々会社を見てるとなんだこれっていう意味が分からない会社がいっぱい出てきたけど、話聞いてるうちに知ってる会社だったり、確かにこれは必要だし人の役に立ってるなって納得するようなものだったりで、それでまた視野が広がって逆に何がしたいのか分からなくなった。でも稼ぎたいっていう気持ちはあったから給与が低すぎるのもは候補から外したりとか色々考えながらバーのオーナーと話したら、こっちの世界に来るなら早い方が良いって言われた。

それでバーテンダーとして一人前になるために修行の年数とか逆算したらあまり時間なかったから、年功序列のところに入って見習いとかをしてる期間はないなってなった。それで完全実力主義の営業の仕事を見つけて話を聞きに行ったら、一年目でも結果を残せばそれなりに給料も貰えるってところだったし、そこに就職することにした。

入る時からバーテンダーに転職する可能性は考慮してたけど、とりあえず最初は自分の実力を死ぬほど出してやろうと思ってたからすごく尖ってた。なんでこいつらと仲良くしないといけないんだと思ってたから人と絡まなかったし、ご飯も一人で食べてた。喫煙所で煙草吸ってたら先輩社員がきて、研修最後のテスト本気でやったら部署が選べるぞって教えてもらった時はしめしめと思って誰にも言わなかった。まあその分結果も残したけど、尖ってない一位の奴には負けたし、それでもご飯行こうって誘ってくれる同期の子とかもいて、その辺りから尖っても意味ないなって思い出して丸くなり出したし、誘ってくれた同期には感謝してる。

ー転職された理由は?

頑張って結果を残しても人から喜ばれないっていうのはあった。仕事自体は楽しかったし、働いてる時は割と充実してた。お客さんからのクレームで罪悪感がありながらも給与明細みたら結構入ってて、そのおかげでプライベートもめっちゃ楽しんでた。仲間も環境も良かったけど、自分が将来的に何をしたいかって考えたのが一番大きい。この仕事を将来続けていくことを想像したりとか、自分がお父さんになった時にそれを子供に胸張って言えるかなってことは考えた。自分は人に喜んでもらわなかったら成り立たない仕事をしたいなって思いがあった。

あとは結婚したいなとは思うし、結婚してからの転職はなかなか大冒険になるなとも思った。普通の業界の転職だったらそんなことないけど、自分の感覚的には飲食店の店員になるのは身分が下がる感覚がある。だから早い目の方がいいなって気持ちはあったし、バーのマスターにも、『今はほとんどの人が年齢が上で言われたことも受け入れやすいけど、歳取ればあかんところはあかんって認め辛くなって、自分を変えづらくなってくる。』って言われたし、色々タイミングが重なった。

今なぜ生きてますか?

せっかく生きているからいろんなこと経験したい。社会貢献したい。いずれ子孫を残したい。

ー色々なことを経験したい?

人生短い時間だし、できること限られているし、何か新しい経験をしてみたいなって思ってる。オタク文化が中学生くらいの時に流行り出していたんだけど、気持ち悪いと思って馬鹿にしてた。でもあるオタクから漫画を借りて読んでみたら、読み終わる頃には涙がボロボロ出てて、俺はそのオタクに頭下げた。その時になんでもしてみないと分からないものだなと思ったし、それを経験したから何かをする前に判断することはなくなったかな。

ー子孫を残したい?

恩返しっていう側面もあって、自分の子孫を残してもらったし自分も残そうってこと。俺がしたいことは、上からもらったものを下に返すこと。今はオーナーに雇ってもらって色々勉強させてもらっているから、それを自分が上に立った時に下に返せればいいなとも思う。社会貢献と重なる部分はあって、今まで自分に色々してきてくれた社会とか周りの人に恩返ししたいなと思ってる。

親に対しての感謝をちゃんと考え始めたのは親の仕事場でアルバイトし始めた時かも。ここでこんな大変な思いしながらアホな俺に金かけてくれたんだなって。浪人中、生きる意味を考える前に死にたいって思った。その時に出てきたのは親の顔、親と友達の顔だった。大事にされてきたっていう思いはあったし、ここまで育ててくれた人より先に死ぬのは流石にやばいだろって思った。

まあでもそこまでちゃんと死にたいとは思ってないと思う。本当に死んでいった人たちのことを考えると同じように死にたいとは思ってないだろうし、そういう人達はすごい覚悟があったんだろうと思う。自分は死ぬ覚悟も生きる覚悟もないんだなってその時思ったよ。

ー今は生きる覚悟はありますか?

今はある。覚悟っていうよりかはどうせ生きてるしラッキーって感じ。事故で死ぬ人いっぱいいるし、産まれへん人だっている。小学校の性教育の時間に、精子はえげつない億単位のおたまじゃくし競争で生き残った奴っていうビデオを見て、その時俺ってすごくラッキーだなって思った。今から日本で一位になれって言われたら無理だなってなるけど、もうすでにそれを達成してるって。リアルにそこはそう考えてて、そんな確率で生まれているんだなっていうのは思ってる。

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