いせもやしさん

今回お話を伺ったのはいせもやしさん(20代)

過去と比べて現在のご自身はどうですか?

どういう時に感じるかはわからないけど今幸せ。私は幸せになって面白くなくなったなと思う。一人でいる時とか、感情的に孤独だったり趣味がなかったり外界との関係を絶ってたりすると考えることが多くなって、そういう人は面白いんだと思う。私は幸せになって何も考えなくなった。

どういう人を面白いと思いますか?

私は誰に対してもそういうこと思わないけど、自分は面白くなくなったと思う。自分のことを面白いと思っていたかって訊かれるとそうじゃないけど、昔の方がもっと頭使ってたなって思う。これが嫌とか、個性とかこだわりというか、そういうのが減って行った。まあいいかって思うことが増えたし、不満がないから考えない。不満があるから考えていたんだろうなって思う。

いつから幸せだと思われ始めたのですか?

日々更新されてるけど、何も考えなくなったのは社会人になった頃。彼氏との関係が安定して、何も考えてなくていい時間が増えて行った。他人から見たら私は惚けた人って印象かもしれないけど、自分は楽しいからそれでいい。昔を恋しくなることもない。

大学時代は私にとって要らない時間だった。意味のある時間の使い方をしていないし、一緒に過ごしたいと思う人もそんなにいなかった。当時は何でだろうとも考えていなかったし、いつ死んでもいいやって感じだった。生きてることに関心が無かったかな。

ーいつから生きてることに関心が無かったのですか?

元々関心があったわけじゃない。高校の時は受験大変だし、勉強しないといけないし、死にたいわけでもないけど生きていても生きていなくてもいいなって。みんな受験してたから受験はしないといけないなって思っていたし、大学行かずに生きていく方がしんどいと思っていた。別に死にたいほどしんどいわけじゃないけど、それを上回る生きたい理由が無かった。でも今は仕事の面倒くささを上回る楽しいこととか生きたい理由がある。

相対的な問題だと思う。めっちゃ死にたい理由があったわけでも生きたい理由があったわけでもなく、どちらかと言えばって感じ。しんどいなって思ってやることが多かったし、高一の時から受験生みたいな感じだった。浪人したくないなとか、自分自身に対するプレッシャーもあった。

でも人ってそういうものだと思ってた。私達と同じ歳の人は同じことを抱えてるし、他の道がない。あったとしてもその時の道が将来的に最善の道だと思っていたらやるしかないし、高卒は無いと思っていたし、やりたいことが無いのもわかってた。

とりあえず生きていくっていう場合、良い大学に入って、そこそこ良い就職先に勤めて、そこそこのお金をもらうのが一番楽な生き方だって中学から思ってた。

それは自分の思いっていうより親の思いかな。中学の内容で受験するより小学校までの内容で受験する方が楽だしって親が中学受験勧めてきた。合格してその中学に入ったら学歴至上主義の考えの人がいっぱいいたし、それが楽なんかなって。親は私に苦労させたくないって思っていて、他の人と同じことをするのが楽な道だって小さい時から言われていた。人と違うことをしてもいいけどそれなりに大変だよって。その時にそれを振り切ってまでしたいことは無かったし、それなら一番楽な道でいいやって。

今まで熱中したことはありますか?

海外旅行。あんまり自分で考えずに生きていて自分で選択したことが無かったから、一人で生きるってことに対しての自信があまり無かった。でも海外旅行は親と行っていたわけじゃないし、環境も違う中での充実感。自分一人で何かをするってことにも繋がってそう。

私の中での努力って、自分が普通に出来てる部分よりさらに負担をかけて何かを目指してすることだから、勉強とかは努力って感じじゃない。大学は浪人したくなかったし、努力しなくても確実に受かるところに行った。だから人から努力してるように見えても私は「努力」だとは感じていないから、努力をして来てないなって思っていた。

他人から見たら私は努力せずにそこそこの結果を出してるように見えることがあるらしくて、そういう人から『私ならもっと頑張るのに』って言われることもある。そういう時に、私って努力してないのかって思うこともある。だから、人生を好きな人と好きな風に生きていくってことだけを考えたらラッキーって思うけど、自分自身のことを好きになるかっていう話になるとまだまだかなって思う。だからこれから自分の力で何かを頑張って結果が出たら私って頑張れたんだなって思うと思う。

今までは基本的に楽な方を選んできたなって感じがする。みんなは努力してるけど私はしてないし、自主的に行動したことがないなって。就職とかもそうだけど、ちょっと興味あるところがあったとき、親に『もっと安定したところにして欲しい』って言われて押し切らなかった。そこまでしてしてやりたいことじゃないなって思ったし、それでいうと親に反論するのは私にとって努力だった。

お金持ってる友達とかは軽い気持ちで留学とか行かせてもらってて、私にも『行った方が良い』って言ってきた。私の親はちゃんと考えろってなるし私はそれを家庭の方針だと思ってた。今となっては、親がお金を出してくれてるのにも関わらず、その子達は留学することを自分の努力だと思っていたからそういう言い方が出来たんだなって思うけど、当時はそれを真に受けてた。

その子達は親に反対されても自分の意思を貫くって思っていたんだろうけど、失敗しても親に助けてもらおうと思っていたんだと思う。でも親の選択下にいると失敗しても親の責任じゃん。私は自分の意思を貫くっていうのはその分責任が伴うことだと思っていて、自分で選択するってことは失敗した時に親の助けを借りられないってことだと思っていた。今その子達の話聞けば聞くほど甘いなって思うこともあるし、それで傷付かなくなった。

今は親よりも自分の味方でいてくれる彼氏もいるし、自分のしたいようにしても大丈夫だなって思えるようになった。でも中高生の時は家族しか本当の味方はいないと思っていたし、親以外に自分を守れる人がいないと思ってたから親の庇護下にいようと思っていたし、言う通りにしていれば守ってくれると思ってた。

最近親を初めて無視したことがあって、親は『同棲するなら結婚しろ』って考えだったけど無視して同棲した。お父さんは彼氏に対しては怒っているけど、その彼氏と付き合って自分達で決めていいって徐々に思うようになってきた。それまでは結婚とかも親が反対したら出来ないものだと思ってたけど、独立した大人二人が自分達で同棲したいとか結婚したいってなったら自分達で決められるもんだろって思い始めた。

恋愛発端で他の事も、例えば転職とかも自分で決めたらいいんだって思うようになった。それは今の彼氏が出来て思い始めたことだけど、その人のおかげで考えが変わったからもし別れてもそれは思い続けられると思う。彼氏以外でいうと、学歴至上主義だと思っていた人達が一年目で転職したりとか、分かり易い大企業に入っていなかったりとか、思っていたより色々な道に進んでいて、色々な生き方あるんだって思ってのもあるかも。

休みの日にどこ行きたいかってくらいのノリでパリに移住したいなとか、色々したいことはある。昔は土日とか予定入れたくなかったし、何もしないのが正義だと思ってた。でも今はあれしたいこれしたいで土日埋まっちゃうし、休むことが減ったかな。今は色々動くことが増えたし、そうしてる自分が好き。

その変化はしたいことが増えたことがきっかけだけど、それはたまたま行った旅行が楽しかったとか予定入れて楽しかったことがあったっていう普通のきっかけ。でも予定入れたらそれに合わして動かないといけないし、それに合わせて動いてたらこの生き方良いなって思うようになった。有意義だなって思うし、何もしていない時間が嫌になった。

もう一つ大きいきっかけがあって、人生で唯一の親友みたいな人と大学四年生くらいの時に価値観の違いで一回絶交した。その時にその子の呪いが解けた。相手に嫌なところとかも伝えたし、今は言葉選んで話してくれるしお互いに距離を保って仲良くできてる。

絶交できたのは彼氏の存在が大きいと思う。今の彼氏ができるまではその子が家族以外に一番味方って呼べる人だった。今の彼氏は私に対して全肯定だから、私も私のことを肯定できるようになってきて、それで広い視点で改めてその子に言われたこととかを振り返ってみると疑問が出るようになった。

その子は人に対する愛がすごくて、私に対する愛もすごい。私がどれだけ嫌いって言っても絶対に友達をやめたくないって努力してくれる子で、そこは尊敬してる。それまでは友達の弱さとか持ってる痛みについて考えたことは無かったけど、その子は人に拒絶されることをすごく嫌がるっていう痛みを持ってるのかなって思った。

今の私は無敵。でも一番のコンプレックスはしたいことがないことかな。自分で強い意思を持ってこれがしたいって思えることがないし、あったら楽しいんだろうなって思う。何かしたいっていう思いって決定力になると思うし、背中を押してくれるかなって。でもそこまで強いものがない。

いまだに選択を迫られるのが好きじゃないし、やっぱり責任の問題かな。リスクをおかすほどの意思とか気持ちがないから守ってくれるものがない。だからなんかちょっと嫌なことが起こった時にやめておいたら良かったなって思いそう。基本軸になってるのはやっぱり収入と時間で、それが失われてもいいくらいのやりたいことはない。最悪彼氏がいたら幸せに生きて行けると思う。

その人がいたら幸せっていう自信。今背中を押してくれてるのはその人かも。その人がいるからやってみるかって気持ちになるし、自分の意思の自信になってるかもしれない。最初の頃は依存してたかなって思うけど、今はそんなことないかなって。その人がいることで自分自身が強くなったから、別れても強くなった自分は残っていられるかなって思う。

他に何か変化は感じますか?

社会人になって一般的になってきたなって思う。学生の時は個性的っていうか、他の同年代に比べて楽しさが見出せなかったり、どっちかというとマイノリティだったけど、そういうのが苦じゃなくなった。学生時代は興味がなかったけど今はみんなの話聞いてるのも楽しいと思う。自分から訊きたいとは思わないけど、話してるのを聞くのが苦じゃない。多分自分の人生にゆとりが出てきて自分が幸せって思えるようになったから人の話にも耳を傾けられるようになったんだと思う。

あとは人から言われることを気にしなくなった。今は他人から見てありがちな恋愛って言われてもいらっとしないし、幸せだしそれでいいって。他人に評価されること、決めつけられることが嫌だった。当時はそうじゃないってムキになってたけど、今はなんか言ってるなーってくらいに思ってる。圧倒的に承認欲求が満たされてる気がするな。

マウントっていうのが何を指してるか分からないけど、私は劣ってないと思ってる部分に関して、相手がその人の方が優れているっていう主張をしてくることがマウントだと思っていて、昔はなんか言われた時に考えを改めようって思ってた。でも今は土俵が違うなって思うし、嫌な気持ちに巻き込まれないようになった。距離を置くようになった。

マウントって身近なところから発生するのかなって思う。距離がある人だと何か思っていてもお互い気をつかって何も言わないけど、距離が近くなると負けてないって思いたくなるのか気心が知れるからなのか、何かいうのかなって。親友がそのタイプだった。当時はその人の攻撃がコンプレックスとかひがみから来てるってわかってなかったけど、今は人間そういうこともあるよねって思う。まあ元々関係が深い人もそんなにいなかったし、今も二人しかいない。

ーどうしてですか?

人と二人で会うのは疲れる。女子はそんなに仲良くない人が誘ってくることがないし断る機会もないけど、男の人はそんなに仲良くない人でも誘ってくることがある。でもめんどくさいから基本二人で会うことはない。向こうから誘われてるだけで何かしら期待されてるって思っちゃうし、私は自分から話したいって思う人がいないから人を誘うことはない。自分が求めてるものが彼氏と女友達と日記で完結してるから、その他に何か求めることがない。

ー何を期待されていると思いますか?

女性としての振る舞いとか。私のことを女性として会いに来てるなって思うと嫌。あとは繋がり厨の人が苦手。それは男女共通してて、利用価値があると思われるのが嫌。私のことを理解した気に勝手になってる分にはいいけど、それを勝手に広めないで欲しい。信頼を作る時に利用されたくない。ネットで繋がったカメラマンに写真撮ってもらうってちょっと不安だけど、友達がよく撮ってもらってる人とかだと信頼できるじゃん。でも私が一回撮ってもらったことがあるだけで信頼してるわけでもないのに、私を飛ばして繋がろうとしてる人は嫌。

ー信頼とは?

その人を尊重できるかどうかじゃない。相手が私を尊重してくれて、私も相手を尊重できる人かな。わかり易くいうとマウントの有無。相手より上に立ちたいっていう思いが少しでもどっちかにあったら成り立たないと思う。この人の生き方良いよね、私の生き方も良いよねってお互いが思えてることがわかってる状態って信頼できるなって。

でもそういう風にマウント取ってくる人を引き寄せてたかも。攻撃できるところがいっぱいあったのかな。そういうことに巻き込まれない人って隙がない人だと思うし、私は隙が多かったんだと思う。

そういうのって言わなかったらいいと思うねん。私が一番幸せってみんな思ってるとは思うねん。私は私が一番幸せだと思ってるし、あの人は自分が一番幸せだと思ってるでいい。でも私の親友が自分のことを世界で一番幸せだと思ってるってことと、私が私のことを世界で一番幸せだと思うことは私の中でも矛盾しないと思う。それができる相手だったら信頼できると思う。

生きている意味は何だと思いますか?

生きている意味って幸せになるとわからなくなるよね。生きている意味は特にないけど、死にたくなくなった。


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