LCPさん

今回お話を伺ったのはLCPさん(20代)

今はどんな生活をしていますか?

1ヶ月後に就職するから、今は自由なうちにやり残したことを色々しておこうと思ってる。ITの会社に就職するけど、大学では環境経済学を専門で学んでいて、簡単に言うと環境と経済の両立を大事にしようっていう学問。俺は環境より観光の分野に興味があって、交換留学でイタリアに1年間行こうとしてたけどコロナの時期と重なって結局行けなかった。それで、やりたいこともあったりお金も掛からなかったから1年間休学した。その間は知り合いとバーを経営してみたり、色々事業をしてみたり、バイク乗ったり遊んだりって感じかな。

最終的には物づくりしたいなとかも思っていて、会社には技術職で入る。物作りする側が良いなって思ったし、自分が納得していない物を売るのも嫌だなって思った。実際に物を売る人間でずっと生きていくより、ちょっと遠回りになるけど自分が何か物を作ったりとかできるようになる道を取る方が最終的に自分のしたいことに近いかなって。大学卒業後すぐにワーキングホリデーで海外に行った友達がいるけど、そういうタイプの子は本能で動いてるから真似してもどっかで差が出るし、勝てない。

就職するっていう選択はリスクを取っていないっていう側面もあって、とりあえず就職しないといけないなっていう思いもあった。それに、色々事業をしてみて一人でやっていくのは大変だなと思ったし、そういう意味ではまだ未熟だと思うから、一回就職してみてどうなるか見てみようって感じで就職することにした。

自分の強みは戦略と器用さだと思っているから、多少行動は遅くなるけど頭使って地道に一個ずつ進んで行く方が自分の歩み方としてはいいかなって思った。たまに起業家とか成功した人のドキュメンタリーを見るけど、メンタルとか頭の使い方が違うし、それをすぐトレースしてするのは難しいなって思う。

好きなことはなんですか?

知らないことを知るのは楽しいな。何か新しいこと知ったりすると、まだまだ生きてたらそういうことあるのかなって思う。一つの物事に関して言えば飽きることはあるけど、無限に知らないことがあるし、その時は違う分野に行けばいいかなって思う。

一つの物事を長くしてたら深い感情になることってあって、それも楽しい。新しく触れるものの楽しみとか、続けて深く関わることで出てくる違う楽しみとか、その深さと広さのベクトルのどこに自分が一番幸せを感じるかは考えてるかな。今は7対3くらいで広さ寄り。

例えばアイドルの話でいうと、個人的には自分の色を出す個性的な集団に憧れを持つような性格で、そういうグループに魅力を感じるのかなって最近思った。韓国のアイドルは日本のアイドルとは違って役割がしっかり分かれていて、能力に応じた個人の目立ち方が明確にされてる感じが良いなって。消費者としてはそういう個人個人得意なことで輝いて見えるのがいいなと思う。

音楽に関しては意識的に聴く音楽の幅を広げようとしていて、友達のオススメを聞いてみたりしてる。中学生とか高校生の時は、歌詞の意味とか解釈を意識して聴いていたけど、最近はリズムとか感覚的に曲を楽しむのも良いなと思って幅が広がった。

あとは人生が終わる時に何かを受け継ぐっていうのが大事かなって思ってる。自分が楽しめているのは今まで生きてきた人間が紡いできたものがあるからだろうし、自分もそれを紡ぐのは結構大事な役割の一つかなって思ってる。受け継ぐっていうのが好きで、自分が良いと思った文化とか遺産とかをちゃんと次の世代に受け継げるようにっていうのは思う。だからそういう文化の継承とかに関係ある仕事を将来したいなと思う。

それは嗜好品の世界とか、歴史あるブランドのファッションとか、農作物とか色々かな。お酒とか嗜好品は、いろんな地理とかその国の文化や歴史が垣間見える瞬間があるから好き。嗜好品を通してその奥にあるストーリーが見えてきたりする。高校の時に学んだ化学とか物理学の知識が関わってくる時もあって、色々繋がってくると面白い。そういうの思うとやっぱり勉強しておいて良かったと思うな。

ー何か大事だなと思っていることや考えはありますか?

何事につけても持論を持つのは大事だと思う。世の中の流れとか世論の風潮とか、もちろん正しいと思うこともあるけどもっと自分で調べて意見持ちたいなと思うし、そういう世論とかに乗っかかってるだけなのはうざいしそういう風になりたくないと思う。でもそれを他人に求めることは無くなったな。自分がもっと持論を持って世の中見れるようになりたいと思うだけで、他人にもっとこうしろとか求めることはない。

ー具体的には?

例えば煙草とかもそうで、極端に健康増進の方に社会が傾いているのはやばいと思う。なんでもかんでも健康にってことなら、極論味の好みとか無しに点滴とかサプリメントでいいってことになる。お酒を飲むのが好きなら、好きにお酒を飲んで10年くらい早く死ぬくらいいいのかなって思う。社会全体としてその方が良いと思うし、個人の幸せっていう観点でもその方が良いと思う。必要以上に長生きすることに固執してしまっているのではないかなって思うな。正しい正しくないは置いておいて、本人が幸せで人生楽しめるなら良いんじゃないって。全体の流れを知りつつも、それに倣うのではなく自分で考えるのは大事だと思う。

今まではどういう人生でしたか?

自分って完璧を目指してたなって大学1年生くらいの時に思った。それに気付いてからそうじゃなくてもいいように考え方を変えて行こうって努力はしてきた。周りから色々言われることがあってもタフに行こうとか、気にせずに自分のやるべきことをできるように考え方を変えて行こうって。一朝一夕に変えられるものでもないからしばらくは尾を引いてたけど、4年生の時に体を壊して、その時に完璧主義の部分はパッツリ切れたかも。

今は完璧主義じゃないようにとか、ある程度失敗とかも全部含めて一個一個やれることやって行こうとは思っているけど、本能的にはまだ完璧主義が残っている部分があるかな。ふとした時にまた考えてしまっているなってなったり、誰かから指摘された時に内容だけ受け取るのじゃなく凹んでしまったりとか。

ただそうして考え方を変えて行こうとすることの弊害もあって、口悪くなったり考え方がカスになったりする時がある。営業の仕事中に意味分からない怒られ方をされて、黙れよ低学歴とか、初任給でお前より稼いでやるとか、言い聞かせてたことがある。それを本心で思っているわけではないけど、自分のメンタルを調整するために心の中でそういうことを思ってた。そういうところ、最近ひねくれてきたなって思う。

ー4年生の時に体を壊したのはどうしてですか?

大学1年生から3年生の間はサークルしかしてなくて、4年生の時にそのサークルでお世話になった先輩が会社を作ったから手伝ってた。それが結構ハードで、その時に体を壊して3日間くらい話せなくなった。

その時の代表は仕事できるし、困った時は助けてくれるし、リーダーシップもある人で尊敬してた。その期待に応えないといけないっていう思いと、求められていたレベルの高さで気がついたらパンパンになっていて、それでぽきっと折れてしまって沈んでた。

事業がうまく行かなくて失敗した時、相手の労働環境が悪かったことも理由としてあると思っていたけど、全部そのせいにしたくなかった。全部自分のせいではないし、逆に全部相手の所為でもないなって。もし全部周りの環境のせいにしたら次の機会に逃げるだろうなって思った。もう一回ここで頑張れたらまた何か違う困難な状況でも、自分はこれが悪くて環境としてはこれが悪いっていうことを俯瞰できるようになるかなって考えてた。

その時の状態でいうと、自分が悪くて失敗したのか、環境が過酷過ぎたのか、経験値が足りなかったのか、それを判断できなかった。だからどんな状況においても、自分はここを直すべきで環境としてはここが悪いっていうことを判断できるようになりたいと思ってる。そこの判断する目を養うために時には無理やり続ける経験も大事かなと思ってる。

結局その仕事はやめたんだけど、その時に色々変わったかな。それまでは頑張ったら何でも出来るだろうって思ってたけど、自分に限界があるって判ったし、失敗するのが怖くなったかもしれない。ナンバーワン目指すぜっていうよりバランス取りながらやってる今の方が心地よさは感じる。でもふとした時に頑張っていた時も良いなって思ったりする。悪い意味で大人しくなったなって思うこともあって、大学に入った時とかの方が情熱があったなって思う。まあ無い物ねだりなんだと思うけど、今はもう少しそれがあってもいいなって思う。

そういうことがあったから頑張ることから少しの間身を置いてたけど、この状態癖になるしそろそろリハビリしないといけないなって思ってる時に新しい事業に誘ってもらって、とりあえず一年やってみようと思ってやってみた。自信ある自分でいたかったし、それが癖にならないように今が踏ん張り時だなって。それは一年続けられたし自信はちょっと回復した。

でも正直バーの経営は一筋縄ではいかないことも多くて、やっぱりお金が絡むことを知り合いと一緒にする楽しさも難しさもあるなって。まあそこは就職を機に一旦離れる。今のバー経営の問題とかも、昔の俺やったら俺の力が足りないなって自分を叱咤してた気もするけど、ちょっと客観的に見れるようになったからそこまで追い詰めなくなったな。

ー自信とはどういうものですか?

周りから色々言われることもあったけど、自信があったからこそそれを受け止めて、どこかに隠したり押さえ込んだりせずに頑張れたんだと思う。言われた時はうざいなって思うけど、練習したらできるようになるし、頑張ったら色々言ってきた奴等超えられるっていう思いでやってた。

人からどう思われてるかって昔はよく考えてたけど、疲れた。営業してる時、意味わからない怒られ方されて沈む時もあったけど、それがきっかけで人からどう思われるとか気にしていてもしょうがないなって思った。ざっくり言うと人間関係に疲れたって感じかな。それで人ともあまり会わないようになったし、周りにいるおかしい人に振り回されるくらいなら周りから自分がどう思われるかって気にしないのが一番楽だなって思った。

それは中学校くらいから気にしてて、よく見られたいっていう思いもあっただろうし、賢く見られたいとか格好良く思われたいとか、そういうもんなんじゃないかな。俺もそういう部分あったし、多分そういう思いは強い方だった。でもそれのおかげで努力できた部分もあるだろうし、向上心の源みたいなものでもあったと思う。負けず嫌いでもあったし、馬鹿にされたり何か言われたらうざいし、頑張ろうって。

あとは自信ないっていうことがちょっと保険をかけているように思う時もあって、ミスした時とか成績が悪いとか、俺自信無いって言っておけば失敗した時に受け入れ易さがあるように感じる。だから、自信あるっていうことで自分を矢面に立たせるっていうか、失敗したら失敗したでしっかりその方が受け止められるし、そういう人の方が格好良いと思う。ある海外のドラマでそういうタイプの人がいて、世界を周りたいなって思うのもそういう人に近づきたかったっていう思いもある。

大学生の時とか周りに自己肯定感低いって言ってる人達が結構いて、それにずっと違和感があった。そういう人達から何でそんなに自信あるのかとか訊かれるけど、半分は色々自分でやってきたっていう自負があるし、もう半分は恩を返すっていう意味で自信を持つのが大事だと思ってるから。それを明確に言語化できたのは大学4年生とか5年生くらいの頃かな。それまでは感覚的に自信あるタイプだなとは思ってた。昔から何でもできたし、部活もそこそこできて、勉強の面でも国公立の大学に行けたし、もちろん上には上がいると思ってはいたけど自分がやってきたことは誇れることだなとは思っていた。

自分の成功失敗とか幸不幸って、半分くらい自分のおかげ、3割くらいは周りの人のおかげ、残りの2割くらいは運かなと感覚的に思ってる。自分がここまでやってこれたのは周りの人の助けがあったからって考えると、自分のこと嫌いっていうのはその人達から受けた恩とかを否定している感じがして好きじゃない。だから常に自分のことは好きでいたいし、そう思って努力することでその人達に恩を返せているかなっていう思いはある。

今なぜ生きていますか?

世界を廻りたい。幸せになるって何かなって考えた時に、今世界にある文化、事象、自然とか神羅万象が自分の中に経験したものとしてどれだけあって、そこからどれだけの感情を持ったかが大事かなと思った。だからこそまだ触れられていない文化には触れてみたいし、行ったことのない場所には行ってみたい。それを自分がどれだけ持っていたかで人生楽しかったかが決まるかなって思っていたりする。

身体壊して沈んでいた時、「向上心持って生きるのも大事やけど、もっと身の回りにアンテナ張って生きたらおもろいこといっぱいあるやん。人に勝てなくても、なんか失敗しても、川が流れてるの見てたらおもろい」っていう文章をTwitterで見つけて、確かにそうだなと思った。それでもう少しその辺り気を配ろうかなと思って、気になったこととかを好きなタイミングで調べたり考えたりするようになった。

その一環として、日本を周ってみたりもした。日本人として自分が生まれた意味とか、宗教とか文化とか含めて、日本という国って何だろうって思ったのがきっかけかな。個人的には無宗教っていう状態がスタンスを取っていない感じで好きではなくて、自分はこれを信じて生きるんだっていう信条とかを持っている方が生きている実感があって好き。

実際その時に神社をたくさん回ってみたけど、結局エンターテインメントとしてしか見れなかった。信仰とか、何かを信じるとかのレベルまでこれに乗っかれるのかなっていう疑問が出てきた。でも、なんかそれでもいいなくらいの感覚でもいいのかなって思った。一つの宗教をしっかり信仰していくっていうより、考え方自体は好きだなっていうくらいで留めておいていいのかなって。

自分のスタンスというか土台が欲しいっていう思いが消えたわけではない。でも、硬さがなくてもしっかりしてるものってあるし、そういう竹みたいなしなやかさがある土台でもいいのかなって今は思ってる。



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