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①終わりからの出発

 私は2022年3月に大学を退職した(というか、この記事を書いている時点ではまだかろうじて大学に属しているのだが)。退職するにあたって、とりあえず、しばらくはニューヨークに行くことにした。何をするでもないのにニューヨーク!このあたりが団塊世代に続くその下の世代のいい加減なところでもある。無目的な行動は若い時代に流行った放浪ブームのせいかかもしれない。
 私たちの若かりし頃には、バックパッカーがおおいに流行った。バックパッカーとは、背中に大きな荷物を背負い込み、あちこち歩き回る個人旅行者のこと。北海道や沖縄など以外に、海外に飛び出す若者も多かった。みんな目的も持たず、気の向くままに歩き回った。そんなバックパッカーの海外版は沢木耕太郎の「深夜特急」としてもまとめられ、ベストセラーにもなっている。本が出たのは1986年だから、著者が1970年代のころの紀行をまとめたのだろう。香港を出発点に、香港からタイ・バンコク、マレーシア、シンガポール、インド、そして最終ゴールをロンドンにしての一人旅の物語である。そんな目的も決めない旅が1970年代、つまり私世代の青春時代には大いに流行っていたのである。
 「大学教授」という肩書を失いつつある今の私はちょっと心もとない。人間、どこかに帰属欲求というものがあり、どこかに属していることで心の安定を保つところがある。学校、会社などは自己のアイデンティティを保つ好例の帰属先だ。だからこのような帰属先失うとなると、多くの人は心の安らぎを無くす。所所属先に代る自己のアイデンティティを保つ帰属先がないからだ。個の独立が希薄な日本人は特に退職などで心の安定を失う人が多いのではないだろうか。だから私も人並みに少々、センチな気分になっているのが今の状況だ。定年退職とは、一方で、自己のアイデンティティ維持との戦いでもあると自覚したのである。
 そんな私だから大学を離れることを機会に、とりあえずニューヨークに行くことにした。ニューヨークに行けば自己のアイデンティティが取り戻せるとは決して思わないが、区切りを付けるにはちょうどいい。それまでの自分に終わりを告げる機会としては絶好のチャンスでもある。
 人生においては「終わり」を自覚することが大事である。終わりを強く自覚してこそ次のステップに進める。区切りをキチンと付けないままに次に進むと悲惨なことになりかねない。「恋多き女性」は好例。次々と新しい恋を求めるものの、どの恋もうまく成就しない。それは前の恋に終わりの楔を強く打ち込めていないから。つまり終わりがないままだからだ。
 私は定年退職を機にニューヨークに何の目的もないままに行き、大学という帰属先に別れを告げて来ようと思う。

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