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料理(自炊)をする意味

こんばんは、19時頃になるとお腹が空いて夕食の時間というイメージが子供の頃からあります。今日は、料理を自分でする意味ってなんだろうと考えていたのでまとめてみます。

ここでの料理をするというのは自宅で自分や家族のために食材を調理することと定義します。

はじめに、料理をする意味を生物学的に考えます。

料理、広義にとらえれば食事を摂る行為は生物が生きていくエネルギーを確保するために行うことであり、種の保存のためには必要なことです。しかし、今の世の中では料理を自分自身でする意味はありません。歩けば、サービスを頼めば、コンビニに行けば食事を確保することができます。つまり、エネルギーの確保と料理はイコールではないです。なので、料理の目的が生きていくためというのは正しくないと考えています。

次に、感情論で考えます。私が料理をするときと、料理をしないときの気持ちは、「楽しい」か「めんどくさい」かの2つです。料理をするとき、材料とレシピの決定、食材の購入、準備、できたものを食べたときの完成度や感想、これらの観点で楽しい、料理をしたいと思います。一方で料理をせずに、コンビニやレストランに行くときは、片付けをしたくない、食材を買いに行くのがめんどくさい、料理に時間がかかる、決めるのが嫌、これらの観点でめんどくさい、料理をしたくないと思います。

料理をしているときは感情や思考が「やりたい」と望んでいます。料理をしていないときは「やりたくない」と望んでいます。よって、感情的な料理の目的は楽しむためです。

次に、経済的な観点で考えます。料理を家庭ですることは食費を抑えられと聞きます。しかし、料理をする人が消費した時間の価値を含めて考えるとそこまで大きな差はないと思います。例えば、食材費が300円として、20分かけて1時間に1500円稼げる人が作ったら、その料理には800円の価値があります。牛丼チェーン店で食材費300円程度のものなら800円くらいで食べられるのではないでしょうか? つまり、節約という観点は料理のスキルに依存することや比較対象の設定によって変わりますが、あまり大きな差と私は思えません。私は料理をする理由における経済的な問題が占める割合はあまり大きくないと考えます。

最後に、今の世の中では料理をすることが必要不可欠な行為ではありません。私が考える「料理をする」というのは選択肢の1つです。その理由は、ヒトとして生きるためなどという本能的なことではなく、また経済的にそうしなければならないという観念でもなく、感情的なモチベーションや楽しみたいという欲求の解決であるからです。

画像:https://pixabay.com/images/id-2009590/

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