8月2日の日記

日記を書くよ。たまに真面目に、たまに不真面目に書くよ~

ボーヴォワール「老い」の100分de名著を見た。若さこそがよいのだ、という呪いや、価値にまつわる思い込みを解いた先に、「老いていくことを受け入れる」「老いた者の心情に立つ」ということができるようになる。老いるとしても、あくまで自然に、そのままで在る、という、否定も肯定もしないリアリズムに到達すること。しかしそれには、もちろん色んな障壁があり、取り除けない偏見や価値観、倫理があり、完璧には生涯達せないのだろうが、そこに向かうことは大切なことだ。それは他者も、自分も救うことにもなる。

それにしても、授業やこういう番組におけるフーコーの登場頻度には驚かされるばかりだ。あまり読んだことがなく、文学部生としては恥ずかしい限りなのだが、恐らくその生涯でなされた業績の目的は、呪いを解放する、というものなのだろうと思う。現代にも通ずるテーマ…というかフーコーが通したのだろう。彼が始祖であるだけに、そしてその問題が「今ここで」取り上げられるべき話題であり続けているだけに、何より、フーコーの業績が鮮やかかつ偉大すぎただけに、彼の著作を紹介しないなんてことはそもそもできないのだろう。

100分de名著の良いところは、原文をかみ砕く時間があるために、ほどよく能動的になれるところ。そしてなんといっても伊集院光の優れた咀嚼力だ。本を読むというのは対話だ。テレビは一方的で演説めいた媒体ではあるが、原文に触れ、自分なりの解釈で消化しようとした後に、解説者の解釈、伊集院光の解釈と疑似対話できるし、解説者と伊集院光の刺激的な対話も聞くことができる。

思わず、100分de名著論を繰り広げてしまった。今日は良いものに沢山触れられたから満足している。「わ~ええな~」で、ここからは私の時間、咀嚼と対話の時間。日記はその為にある。とはいえ今日はあんまちゃんと考え事とかしなかったな。良いものを摂取しただけ。じゃあ咀嚼は明日以降するとしよう。

明日は「異邦人」読もう。競作の種にしたいわね。

日記だから、こんな感じです。ここまで読んでくれたのに、「興味ないね」って思っちゃってるそこの可愛い可愛いツンデレクラウド君には、満面の笑みで凶斬りをお見舞いして帰る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?