飢餓の村で考えたこと 33.34

アミナさん

アミナさんの年齢は推定20代だ。ショミティの創設時、手工芸品の技術習得のためにアミナさんはダッカでの研修に派遣された。それ以来彼女は手工芸品を作る技術を会員に教える役割を担った。彼女の家庭は貧しく父親は栄養不足で夕方暗くなると視力が落ちるという症状が出ていた。

そんな貧しい中でも自分に配分された注文分を作りながらも、会員の家々を回って作り方の指導を行っていた。その時は指導することに対する対価は設定されてなかったのでまさにボランティアなのだ。

私と違うところは大決心をしてボランティアをするのではなく、当然のようにボランティアをやっていたところだろう。彼女はボランティアをやっているという意識すらなかった。

村の貧しい人々にとって「人のためにできることをする」ことはあまりにも当然のことなのだ。それに比べ恥ずかしながら私などはバングラに来るのに大決心が必要だった。

人のためになることを当たり前のようにしているアミナさんを見ていて、人のために何かをしたいという素晴らしい気持ちはすべての人が持っているに違いないと確信したのだった。

生と死の中間で生きる

アミナさんたち貧しい村の人たちを見ていると、まるで生と死の中間で生きている人たちのように私には映る。中間に生きる人々は「生」は確実ではなく、いつでも「死」の世界にいく可能性がある人たちで、生と死の中間であるグレーゾーンで生きる人たちのように見える。

私たちのように「生」の世界にいるものはうまく生きていくためのいろいろな衣をまとっている。しかし「生」が不確実な生と死の中間で生きている人たちは食べることだけに関心を集中しているので、うまく生きるための衣をまとう余裕がない。人間存在そのままで生きているのだ。

だからその人たちから自然に湧き出てくるものは人間の本性そのものに限りなく近いと私には思える。アミナさんの観察から得た確信は人間すべての人に当てはまるのではないか。すなわち誰の中にも「人の役に立ちたい」という気持ちがあるということだ。

私はその気持ちこそはNGOにかかわるすべての人の原点だと思う。この確信はその後変化せずに今日に至っている。この確信から私は世の中には二通りの人間がいると思っている。

人の役に立ちたいという気持ちが自分に備わっていることに「気づいている人」と「まだ気づいていない人」の二種類だ。自分の中に「人の役に立ちたい」という気持ちを発見した人は、自分の中にあるこの素晴らしいと思える心を自分の中に発見したのだから、それ以降自分に対する劣等感を持つことはなくなり、自分の存在そのものを肯定できるようになる。

NGO活動へ参加するということは、自分の中にある「人の役に立ちたい」という素晴らしい自分を発見する好機が舞い込むことを意味するともいえるのではないだろうか。私はそう確信して1991~98年にはシャプラの東京事務所で有給職員として活動していた。その原点の確信をアミナさんから教わったともいえる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?