飢餓の村で考えたこと 18・19

子供の一言

村人の多くは自分の土地がない日雇いの農民だった。その人たちは地主に雇われた日だけ仕事にありつけた。日雇いだから雇われる側は弱い立場だ。日雇い農業労働者の賃金は食事つきで1日2タカ(バングラのお金の単位)。2タカでは主食のお米は1キロも買えない。

貧しい人々の家庭は子供が沢山いてその収入では家族全員は食っていけない。それで飢餓となっていたのだ。雨期は田畑が水没するため農作業も少なくなり収入が途絶える時期でもある。最も苦しい時は子供もほとんど食べられない状態で生活していた。

私たちのNGOが雇っていた村の青年たちも、昼食を自宅に食べに帰らないことが続くことがあった。私たち2人の日本人駐在員は料理人を雇っていたので昼食も作ってもらっていたが、一緒に仕事をしていた青年が昼になっても自宅に帰らないので、ついつい裏の住まいに行っての昼食は摂りそびれることが度々だった。

そんなある日の夕方だった。近所の子供に「いとバイ(伊東兄ちゃん)お腹すいてるの?」と言われ「ハッ!」とした。私は昼食抜きで空腹だったが普段通りに振る舞っているつもりだった。しかし子供たちから見ると空腹のためにイラついて見えたのだろう。

その子どもたちはいつも空腹なので空腹になると身体や精神にどんな変化があるのかを子供たちは熟知していた。それで私の空腹は簡単に見透かされたのだった。彼らに比べればほんのちょっとした空腹なのに、見透かされたことに大きなショックを受けた。

極限の貧しい農村で生活しているのに同じ村の子供たちの本当のひもじさを分かっていなかったことは、私にとって大きなショックだった。

絶望的な空腹

子供たちは親が用意する食事で生き延びている。小さな子供たちにとっては食事は殆ど受け身だ。数日から1週間位食べ物がなくて我慢しなければならないことは度々起こっていた。次にいつ食べられるのか分からない状態で空腹に耐えることこそ、絶望的な空腹といえる。

そして耐えているのが子供なのだ。いつまで空腹を我慢したらいいのか分からないまま耐える空腹だ。この村で生活しているにも関わらず、この絶望的ともいえる空腹がどんなに辛いか私はまったく想像することさえできなかった。


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