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布と女性たち | 大浦越地節/唄から文化を学ぶ 3 | 東京から唄う八重山民謡

大浦越地節[うふぁらくいつぃぶすぃ]
大浦越地道なか ゆさまざぬ道なか イラヨウティバシュヌマイヨウ

玉代勢長傳編『八重山歌声楽譜付工工四全巻』(1989)pp.136-138
※引用は2006年版から

 「蔵ぬぱな節」でもう一つ引っ掛かるのが、女性の登場の仕方である。役人という男社会の話のなかに、一見脈絡なく、女性が登場する唄は少なくない。それも、かなりの高確率で、二十歳に満たない少女を指す「みやらび」(女童、宮童、乙女、美童など複数の表記あり)である。

 流麗なメロディの「大浦越地節」は西表島の唄で、琉球王府から派遣されてきている役人が八重山の村々を数日間ずつ巡回する「親廻り」を描写している。大浦という峠道に、でこぼこした道にと唄い出し、第2句では「なさま布はゆかば 宮童絹引かば〈ナサマ女が布を延べておきますから、乙女が布を敷いておきますから〉」と唄う。険しい道に布を敷いて通りやすくしましょう、という比喩表現は奇想天外だが、「前ぬ渡節」では荒海が航海しやすくなるようにと、海に布を敷くという表現が見られる。往来する役人の足元を気遣う敬意の暗喩だ。さらに「大浦越地節」の第3・4句は、「蔵ぬぱな節」の第2・3句と同フレーズである。

 布は、女性が織って貢納していたからであろう、女性を連想させる言葉としてよく登場する。女性たちはかいがいしく布を織り、それを道に敷いて役人を出迎え、役人は布を踏み締め、少女たちが付き従う。少女たちは賑やかしのために付き従ったのだろうか。もちろん、それだけであるはずはない。

 もっと露骨な唄もある。

まんがにそざ節[まんがにすつぁぶすぃ]
宮里村おうりていティユイガンナヨウ 西表くまちゆ欲しやんどティユイナ
マンガニスツァウヤナリワリ

玉代勢長傳編『八重山歌声楽譜付工工四全巻』(1989)pp.65-66
※引用は2006年版から

 黒島での親廻りを詠んでいる。第1句で役人は宮里村を訪れ、西表家のクマチ女が欲しいよ、と言っている。第2句では仲本村で、第3句は東筋村で、第4句は伊久村で、それぞれ評判の娘を、具体的に名前を挙げながら「欲しい」と要望するのだ。非常にえげつない。

 黒島を舞台に、快活なメロディで、句ごとに村を変えながら唄う点では、先に挙げた「ひゃんがん節」によく似ているのだが、あちらが村自慢の漁であるのに対して、こちらでは村自慢の少女が役人に漁られる。詩の形式が似ているからこそ、これらの事象が黒島で両立していたことが呼び覚まされ、いっそう気が重くなる。

 少女たちは、生きる糧を得るためにときに海で漁をし、貢納するための機織りをする。と、ここまでは少年たちも同じように苦労を負っていたのかもしれない(少年たちは穀納のための農作業が主であり、機織りのほうが重労働だったともいわれているけれど)。だが、さらに少女たちは、好奇な目で品定めされ、なかには役人たちへの贈り物とされもしたのだ。

 親廻りのあり方を知ってしまうと、地面につやつやの布を敷いちゃって、映画スターのレッドカーペットの役人版ね、などという晴れやかな空想は一気に吹っ飛ぶ。苦労して織り上げた布は、貢納布となるべきもので、敷物にはしたくなかったはずだよね(隠喩だとわかっているけれど)、敷かれて役人に踏まれた布は汚れて傷ついてしまったよね(同)、そして、今回も少女の誰かがきっと犠牲になったよね、と「踏みつけにされる」という意味でも、布と女性たちが重なって見えるのである。

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