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はじめての老い -身長が縮んだ話-

毎年、健康診断というものを受けているわけだが、身長が縮んでいた。
しかもセンチの単位で。これは不意打ちでした。ミリじゃないのかよ〜。センチメートルじゃねえよ〜〜〜〜〜。

♪ 読み捨てらぁれる〜
  雑誌のよおおに〜
 わたしの背丈がちぢむたびに〜

 ガビンはまだ61だから
 何かにさそわれて
 あなたにさそわれて
 センチメートルじゃねえよ〜

ふざけている場合ではない。
これは一大事です。身長が、ち、ち、縮んだ〜!
はーびっくりしました。
縮むんですね、身長って。

これも前回の滑舌が回らなくなる問題同様の、ジャンルで言えば「これ意外と早くくるんだショック!」の分類に入りますでしょうか。

油断していました。
身長が縮むのはもうちょっと後のことかと思ってました。

身長が縮むの私のイメージは例えばえーと、葬儀の席でね。棺桶に横たわる故人に向かって家族が花を添えながら
「お母さん….………なんだか小さくなっちゃったね….頑張ったね….。今まで育ててくれてありがとうウオーン!」
みたいなウオーン時だと思ってたんです。ウオーンで「縮み」を実感したかった。ヒトが、小さくなっちゃったねを実感する時って、そういう時だと思い込んでないですか? 私は、そう思い込んでおったんです。縮みゆくのは少なくとも後期高齢者になってからじゃろ、ってね。

しかしながら、もう縮んでんすよ(苦笑)。前期高齢者に満たない私が縮み始めてるのです。やべー、俺だけ? と思ったら、この縮んだことを把握したすぐ後に同い年の知人が現代の碁会所ことフェイスブックに「身体検査したら身長が縮んでた。ショック」的な書き込みをされていまして、
「ですよね、ですよね、でえーすうーよおーねえー」と鼻息あらく共感し示し、勢い、どれくらい? どれくらい? どれくらい? と、ひざ歩きで近づく感じで尋ねたところ「ミリ」でした。
この時の私の気持ちを書きなさい(40字以内)
ミリかよ。ミリしか縮んでないのかよ、素人かよ。ミリは誤差! センチになってから言ってほしいわよね。
その後、年下の友人がセンチ縮みをキメてて、ほっこりしました。そうでなくっちゃ!

つまり。
わかったことは60歳を過ぎると身長縮むよ!
ってこと。
思ったより早くないですか? もう「縮み」という言葉にセンシティブになってますから。海鮮チヂミとか避けるようになってるから。

私は45歳くらいまで「急に成長期に入って身長がむくむく伸びないかな、伸びたらめちゃくちゃ面白いのに」と夢想してたんです。さらにいえば、つい最近まで諦めていなかった。
なのに、伸びるどこから縮みが来ました。まだ伸びしろがあると思っていたら縮みしろがあった。縮みしろ。はじめて聞いたし、使った言葉です。

いやはや。
とにかく、すげえショックだなあ、60で縮むというのは40代あたりにとってはショッキングなニュースであろうよ、と思って、いやあ、すごいこと気づいちゃったなあ、くらいの鼻息で妻に伝えたらこれまで最大の「はて?」ですよ。
え。そう?
「ナンノコト?」くらいの反応の薄さというか、なんというか。チョットアタナナニイッテルカワンカナイくらいの。
え。
マジデ。ソウナノ?

この時点で、鈍い私も「ハッ」とするわけです。
あれこれアレかー。いつものアレかー。
現代の男性お得意の「おまえらの常識」のやつか。とね。
男性性特有のやつかーとなりました。

つまりですよ、越後つまり。
令和のこの時代にですよ、私は、身長の高い低いとかに、私はある種の価値を見出していたわけ。なんですか?
寒い。。。。ブルブルブル。

昭和の昔には、女性が結婚相手に望む3高という言葉があった。
・高学歴
・高収入
・高身長
こうして書いてみると笑うしかないが、私が「身長が縮んだ! ショック!」と感じるのは、こうした昭和のクソしょうもない価値観を内面化していたかもねかもねそうかもねということでもあるのだなあ、と思わざるを得ないですね。
だって、ここ=高身長に価値を感じていなければ、ショックもなにもないわけですよ。せこいよなあ。169cmを身長170cmと言うような、恥ずかしさがある。

『縮みゆく人間(縮みゆく男)』といいうリチャード・マチスンによる1956年のSF小説があります。映画化もされています。https://www.youtube.com/watch?v=VnDfrveCADo

この小説ね、アイデアも描写も技巧的にも最高のSFなのでみんなも読みなよ読みなよって感じなのです。これね、190cmくらいの男がみるみる縮んでいく話なのね。そこで黒後家蜘蛛や猫との丁々発止のバトルの描写が最高の一作なんだけど、「縮みゆく」ってことで再読してみたわけです。
そしたらまったく違う景色が見えた!
これはね、男性老い文学(そんな言葉あります?)の傑作でした。むちゃくちゃおもしろいよ。えー。すごいなあ。マチスン!
余談だけど、リチャード・マチスンは、スティーブン・スピルバーグの「激突」の原作・脚本家だよ! それだけで歴史に残る人物。


その手練れによって描かれたこの小説は、エンタメとして高度に洗練されたものなのでありますが、私のような年になって読むと
「失われゆく男性性」の物語として読める。
日に日に身長が縮んでいく。
だが、主人公はめっちゃ性欲がある!(なんでかっていうくらいの性欲)
にも、かかわらず、身長が縮んでいったことで、愛する(欲情の矛先)の妻との関係が変わってしまう。子どもくらいの身長になって、主人公は190cmの大人の男のマインドで妻に接する時、妻は、ナチュラルに子ども扱いしてしまうというか、母性が発動してしまう…。
主人公が心のよりどころとしていた男性性を、失っていく話なんだわ。
すごい小説ですねこれは。

ちょっと余談ですが、ついでに思いつきを書かせてもらうならば、「チヂミ」の原因になるのは船で浴びた放射能を含んだ霧なんだよね。これは時代的にはあからさまにビキニ島沖の実験のことを書いている。つまり第五福竜丸ですよ。ゴジラのサイドBとして「縮みゆく男」はあるのではないかと思ったりなんかして

さておき。
私は、妻の反応から「あれ、身長縮んでも別にいいのか」という思った。そんなものを気にするのは昭和の化石。ということで、みなさん、私はこれからもどんどん縮んでいくつもりです。よろしくね。

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