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はじめての老い -握力の低下にショックを受けていることにショックを受けた話-

お久しぶりでございます。

老いてないと、注意されるようになってきております。
肉体と精神は日々老いて老いて老いまくっておるものの、このシリーズ原稿をアップするのを忘れておりました。
実は、まあまあ、たまっているので、アップしていきますぞ。

握力がない!

数年前より、うすうすと感じていたことなのですが、いよいよ握力が低下したことを認めざるを得ないことになってまいりました。
握りこぶしに力は入り切らないなあ、とか、重いものを掴んだ時の感触が思ってたんと違うなあ、とか感じておりまして、まあ、それはそうだよね老いるってそういうことだよね、とは思うのではありますが本日は、「これが思ったよりもショックだったのよね」という話です。

より正確に言うと「握力の低下を認めるということにわりとショックを受けているというよりも、ショックを受けてしまっている自分にショックを受けている」という話です。
どうややこしい? 大丈夫?

わたし、この原稿のシリーズの位置づけがだんだんわかってきたんですよね。これは路上観察なんだなと。老いという一方通行の道をぶらぶら歩きながら、そこらに生えているはじめて見る草みたいなものや、捨てられたゴミみたいなものを、いちいちしゃがみ込んで棒でつついたり、スマホで写真撮ってみたり、そういうものなんだな。と。
時々、老いをポジティブに捉えいてよいですね、とか温かく生温いご声援をいただくことがありますが、自分としては、ポジティブにとらえようという気はないし、楽しもうとしてみたりという気もなくて、ただ観察して、感心してるという、そういうことなんですよね。
つまり、ただ観察して報告するという、いままで自分がやってきたことと同じなんだなこりゃ、と思っている次第です。いまは、ね。また変わりそうですが。

という意味において、最近見つけた私にとっての珍しい草が、握力の低下と、それにショックを受けたことにショックを受けている私の心情、ということになります。
別に珍しくない草だと思っていたのに、しげしげと見つめると、こ! これはなんだか珍しいぞ! というとても私的な発見。

本題にいきましょう。そうなんです、握力の低下なんてどうでもいいと思うじゃないですか。私もこれを感じる2秒前までそう思っていたのです。
でも、ショック受けちゃった。

まずひとつめのショックは、老いの定番ですが「不意打ち」を食らったってことです。うすうす感じてた、と、不意打ちって両立するかな? まあいいか。いいとしましょう。
老いると筋肉落ちるよ、体力落ちるよ、とはよく聞くので、予想してるわけですよね。でも握力なくなるよ、ってわざわざ言わないでしょう。聞いたことありました? わたしはなかった、か、耳に入ってなかった、スルーしてた。だから、握力の低下を感じたその瞬間に、あ! これ老いじゃん!? てびっくりしたわけです。老いは不意打ちの連続だ。意外と堪えるんですよ、こういうことが続くとね。

ふたつのめショックは、握力の低下を認めたがらない自分を発見してしまった時に来ましたね。
あ、なんか力が入らへんなーということを、自分ひとりの時に感じるのはまだよいのです。まあ、それはしゃあない。年とるってそういうことやし。

瓶の蓋が開かない!

「父ちゃん、これ開けて」
小学生の声に、ほいほい、とこたえて瓶の蓋を開けようとしたときに、これが来ました。
う、力が入らない! と。
知ってるの。入らないことはね。知ってるはずだった。理解しているはずだった。
なのに、その瞬間焦ったんです。
もっといえば、これは「バレたくない」とも感じてしまった。バレたくないという気持ちが生じたことで、なおのこと焦った。
それで私がとった行動は、結構無理めの力を振り絞ってですね、腿あたりに瓶を押し付けてですよ「ふんぬ〜〜〜」みたいな声を出した。おでこには血管が浮いていたことでしょう。そしてまあ、開いた。
ふー、よかった〜〜〜みたいに思ったわけです。
安堵したわけです。ただただお父ちゃんは安堵したんです。略してタダオアンドーですか。という感じで安藤になったあとに、あれ、と思ったんですね。こういう心情を味わったことに、時差でショックを受けてしまった。略してGショック。

わかりますかね。
無粋に解説すると、わたしは恥じたわけです。力が出ないことを。
「家族の中で一番力持ち」というポジションを死守せねばと思ったってことだよね。俺が? 普段はむしろぐにゃぐにゃ人間であることをアピールしがちな俺が? 俺の中にそんなマチズモが〜。

あるんですねえ、さすが昭和育ち。
困ったことですよ。
手放せてなかったんだなあ、と遠い目になりつつアイスコーシーをズズズ。
手放せばいいですよね、力強い父親像。
でもなあ、いまでも、一番重い荷物を持ちたいと思う気持ちもある。たいていのことは妻の方が上手にできるので、せめて力まかせのことくらい担当しないと俺だけの仕事がないじゃないの、ということか。

抗っちゃいますかね。握力に関して言えば、筋力の話なので、まだ抗うことがある程度可能ではある。筋トレですね。筋トレ。老いに身を任せがちな私なのですが、最近はじわじわと抗うことにも少し興味が出てきています。
老いには、抗うことができることと、どうやってもムリ! なことがあるということがだんだんとわかってきた。抗うことも、ひとつの老いの路上観察として面白い寄り道だなと思ってきている。

ということを考えながらチューハイを飲んでいたら、夜中の自分が注文したであろう指の筋肉鍛えグッズが届いてた。

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