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コラム|学びと自己回復の場として

こんにちは! 四国学院大学4年生の川畑菜美です。いとちプロジェクトの超短期インターン生として、かしま病院薬剤部の吉田温子さんへのインタビューと、いとちミーティングに同行しました! その日の模様を、インターン生目線でレポートしていきます。

AM 9:45
いとちプロジェクトのメンバーでもある小松理虔さんが事務所を構える小名浜のUDOK.からかしま病院へ向かいます。いわきは小名浜住吉で育ったわたしにとっては、車窓から見る景色はおなじみの光景ですが、いとちプロジェクト主催のかしま病院にかかったことはありませんでした。インターン中に見聞きしたものは、行動範囲の狭い学生時代には知らなかったことだらけ。ここ行ったことなかったなあ、こんなところがあったんだ、の連続です。

AM10:00
午前中はまず、小松さんのアシスタントを務める前野有咲さんによる、薬剤部の吉田温子さんへの取材から始まりました。いとちプロジェクト事務局の長岡さんと吉田先生を加えた4人で、かつて喫茶室だったスペースへ行き、取材が始まりました。

その喫茶室は、担当の職員が退職してしまい、今は空きスペースになっています。たまごサンドが美味しくて、なぜかウーパールーパーがいたらしいのですが、そんな話から和気あいあいとインタビューがスタート。このインタビューは後日こちらのnoteに投稿されるはずですが、「薬の味見」など衝撃的なフレーズも飛び出す印象的なインタビューでした。

このインタビューで印象的だったのは、正確に業務をこなすのは機械やAI、ペッパーくんのほうができるようになっていく今の時代、「ひと」として何ができるか考え実行するというお話です。記事の執筆担当の前野さんがその辺りのことをきっと言語化してくれるはずなので、詳しくはインタビュー記事をご覧ください。

はじける笑顔で話を引き出しつつ、吉田先生の話を噛みくだいて言語化する前野さんもすごいなと思いましたが、吉田先生にもしっかりと「人を診る」という考えが根付いていることに改めて驚かされました。

かしま病院の皆さんの「人を診る」という考え方は、これまでのレポートなどを見て知っていましたが、吉田さんの話からも、その人の人となりが生きたまま主体的に働くことにつながっている感じが伝わってきて、スタッフの皆さんに通底する考え方になっているんだなあとわかりました。

薬剤部のお部屋を覗かせていただく

インタビューの後は、薬剤部の部屋を見せてもらいました。薬剤部の方に加え、医療創成大学の実習生や、管理栄養士の方もお仕事されていました。

AM12:30
前野さんと病院内のデイリーヤマザキでご飯を買ってお昼を食べ、いとちミーティング会場のかしまホームへ向かいました。

PM 13:00
午後はいとちミーティングに参加しました。わたしが大学で演劇を学んでいるということで、「アイスブレイクとストレッチを冒頭でやってみてくれ」と小松さんから事前に提案がありました。わたしもかなりドキドキしていましたが、皆さんの緊張をほぐすべくアイスブレイクに挑みました。

まずは軽いストレッチから始めます。コンテンポラリーダンスの授業のアップでいつもやっている方法です。両手を合わせ手を擦るところからスタートし、うで、むね、おなか、せなか、あし…と全身をたたいていきます。

体をあたためるとともに、「ああ、ここが疲れているな」とか、「ここが意外と動いてないな」とか、自分自身の体にも、意識できていないいろいろな面があることに気づかされます。指先からほぐし、首を伸ばしたりして体を緩めました。

身体の細かなところにも意識していきます
事務局の皆さんにも身体を動かしてもらいました

次は簡単なアイスブレイクのゲーム「たこ8」と「大きい提灯小さい提灯」を皆さんでやりました。大人のみなさんに「たこ8!」とひょうきんなポーズで叫ばせてしまいましたが(汗)、これらのゲームのミソは間違った方が盛り上がるというところにあります。間違った人こそスポットを浴び、みんなで和む瞬間が生まれるのです。

アイスブレイクで無事温まったところで、今回のいとちミーティングがスタートしました。

今回のミーティングでは、宿舎(かしまホーム)の施工の話が進展したことが共有されたり、現段階の状況の整理、今後の必要なシステムづくりについて主に話し合われました。また、根本にある思いも踏まえて、今後どんなことができるか、またなにを詰めなくてはならないかについての議論もありました。

本来は、とても「内部的」な話かもしれませんが、そこにインターン生のわたしや、社会福祉を学ぶ学生も同席していた(この日たまたまソーシャルワーカーズラボという福祉を学ぶ学生のグループの皆さんもいらっしゃってたんです)のがよかったです。外に開かれていて、現場でプロジェクトを動かす過程が見えました。

外部の人たちも議論に参加していく開かれた場づくり

外じゃなくちゃできないこと

初めていとちミーティングに参加して、このいとちプロジェクトとはなんなのかということをわたしなりに考えると、中山文枝先生のおっしゃっていた「病気ではなく人をみるというのは、外じゃなくちゃできない」ということが、いとちプロジェクトを端的に言い表しているように思えました。

また、この日の会議にたまたま参加されていたソーシャルワーカーズラボの今津新之助さんは、いとちについて「岬のような場所を作るプロジェクト」だと話していましたが、そのフレーズもあって、いとちの具体的なイメージが共有できた感じがしました。

いとちという場は、病院に接続され、且つ、地域にもはみ出した場所になります。そこでは、医療、福祉などを学ぶ学生はもちろん、例えば文化に関心がある人や、いわきに移住を考えている人、住居やゲストハウスしての役割など、さまざまな方面にチャンネルを開くことができます。

患者さんや医療職の人々だけに閉じてしまうのではなく、地域の側から人が集まってくることもできる。これが自助・公助・共助の「共助」の場をつくり、生活の場とつながるチャンネルを開きます。そしてそこに集まってきた人が、地域、いとち、病院を循環していく。そんな場になるはずです。

また、文枝先生は「ここに暮らすおじいちゃんやおばあちゃんが診察室では言えない本音をこぼすこともあるかもしれない」ともおっしゃっていました。本音をこぼす相手は、専門職の人に限らない。生活感覚を共有できる人たちかもしれないし、それは私たちかもしれません。

この「かしまホーム」が、病気じゃなくても行ける場所として機能すれば、いろいろな「ヘルプ」が集まってくるかもしれません。たとえば、無自覚にヤングケアラーの役割を背負った子どもたちがこの場所に助けを求めることができたら、疲労から体調を崩したり、精神的な疾患になってしまうことを防ぐこともできるかもしれない。そんな場も想像しました。

学びの場としてのいとち

私も大学生なので実感できますが、地域医療、あるいは老いや死というものについてリアルに学ぶのは、大学の建物の中では正直難しいと思います。ですが、「いとち」のような、そこに暮らす人と接続できる場があれば、いわきに初めて来る学生でも、色々な人に会うことができると思います。

文枝先生は「人の人生に関わる医学生には、なにかを概念として理解するだけでなく、実際に対面して身体的な学びを得る場が必要だ」と語っていましたが、医療や福祉について学ぶことのできる場があれば命や心が救われる人が増えるということにつながるし、いわきが安心して暮らせる土地になっていくのでは?と希望に感じました。

渡辺聡子先生は「医学生、若い学生には、借り物の言葉じゃなくて自分の言葉を表出させてほしい」とおっしゃっていていました。ひとりひとりが「医学生」や「認知症」などのラベルをはがし、生身の人間同士として地域で直に関わり合うきっかけが生まれればいいなと私も思います。

科学的な言葉、医療の言葉というのは、確かなものとして私たちを安心させます。ですが、それだけでは人間そのものは説明できないはずですし、それは医療現場だけの話ではないと思います。

無宗教と言われる日本の欠落した確かなものを埋めることができる言葉の一つは、確かに医療や科学の言葉だと私も思います。ですが、生身の人が出会う場所でこそ、言葉は専門用語を通り過ぎて自分自身を通過し、体温を生み出すのではないかと思います。そしてそのときに、「症状からの回復」の次のステップ、つまり「命の回復」「人間存在そのものの回復」につながっていくんだろうなあと思いました。そういう場が専門的な医療と地域の間にあれば、変わっていくことはたくさんあると思います。

いとちとレジリエンス

私がこんなことを考えたのも、このミーティングでの事務局の皆さんの言葉に体温がこもっていて、わたし自身がハッとしたタイミングが何度もあったからです。

今はほぼ寛解していますが、私は以前、統合失調症を発症したことがあります。その時に、自分の感覚に病名や症状を当てはめることで他者に説明しやすくなったこともありました。ですが、当てはめたことで失ったものや虚しい気持ちは根深いものでした。そのときに諦めたものを、また回復させることもできるんじゃないかなという気さえしました。
 
かしま病院で働くみなさんが、顔を付き合わせて本気で話をしているところに立ち合わせていただいて、近い将来、いとちに人が集まり、いわきに根付いていく未来を想像でき、いわきのことが誇らしくなる。私が体験したいとちミーティングは、そんな会議でした。


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