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雨と夢のあとの音楽

めっちゃ降るやん、雨。

GWもしっかり降るつもりらしい。
雨雲に肩があったら思い切り掴んで揺さぶり倒しているところだ。なんで?なんで降るの?もうちょっと加減して?

雨の音が苦手だ。風の音も、雷の音も。
小雨のパラパラ音くらいなら大丈夫なんだけど、ザーッとこられるとしんどい。ノイズキャンセリングのイヤホンを買ってから随分マシになったけど、寝ているときに突然ザーッと降ったりゴロゴロゴロ……と雷が聞こえだしたら最悪。寝ながらイヤホンは出来ない。
慌てて耳栓を取り出して布団を引っ被り、すべての音をシャットアウトするより他にないのだけど、あとから冷静になるとこんなことでパニックになっている自分に腹が立つ。子どもじゃねぇんだぞ。

というか、子どものころはこんなふうでもなかった。年々怖いものが増えて、そして段々と落ち着いてきた気がする。イヤホンや耳栓という対策があるだけで心持ちが違うからだと思う。

でも雨は嫌だな〜。降らないでほしい。降るなら少しだけにして欲しい。
あと髪のうねりも湿気でまあまあ復活している。悲しいことばかりが起きる。

連日、友人たちと遊ぶ夢を見ている。
よほどあそびたいのだろうな、と思いつつ、基本が悪夢体質なので、楽しく遊んでいたのに急にトラブったりギスったり悲しいことが起きたりして、爆裂なストレスを感じながら目を覚ましてしまう。なぜだろうな。

恐れているのかもしれん。呆れられること、見放されること、悲しいめにあうこと、そういうの。

親しくしている友人たち(含インターネットフレンズ)はみんな本当に良い人で、優しいし賢いし、ちゃんと言葉が通じる。
これは凄いことだ。世の中には優しいようでそんなことはなく、賢いようでそんなことはなく、言葉などまったく通じない人間がたくさんいる。
自分にとって望ましい人間関係の構築が出来ない人とは友人になれない。

恵まれているなぁ、と思う反面で、じゃあ私自身はどうなのだろう、と考えることは少なくない。
私自身は、優しくなく、賢くなく、言葉が通じない人間になっちゃいないだろうか?

良い友人たちから、私という人間のことを良い友人と思って貰えていなかったら、それはとても悲しいなと思う。
自己卑下をしているわけではない。むしろ私は自分のことを、ほどほどに善良で、適度に賢く、比較的言葉が通じる方の人間だと思って生きているのだ。自己評価が高い。図々しいやつめ。

でも、それって自分がそう思っているだけなので、周りからは分からない。みんな賢いので、たぶんわけわからんやつとはそんな遊ばないだろうけど、明日の自分がわけわからんやつになってないとも限らない。

嫌だ〜。
好きな人たちに「わけわからんやっちゃな」と思われたくない〜。

こんなことを考えているから、嫌な夢を見るんだろう。おそらく。
そして嫌な夢を分析することで、こんなことを考えてしまう。悪循環ですね。頭からっぽで寝よう。

雨と夢のあとに

雨のことと夢のことを書いたら、ふと、奥田美和子さんの『雨と夢のあとに』という曲を思い出した。

柳美里さんの原作やドラマの方はまったく知らないのだが、曲が好きでよく聞いていた。タイトルがそのままなので、作品とリンクしているのだろうなと思いつつ、なんか読む機会がなかったんだよな。

奥田美和子さんの曲は『ぼくが生きていたこと』や『はばたいて鳥は消える』がとても好きで、いまも時々聞いている。iPod時代からの馴染みの曲だ。
あとこれももう10年以上ずっと言っているが、『はばたいて鳥は消える』はすごくマグロールなので、束民はぜひ聞いてみて欲しい。

知ったのは『青空の果て』が最初だったように思うが、そのとき感じたざわざわとした黒い気持ちが、のちに『絶望の果て』を聞いて静かになったのをよく覚えている。

というかいま調べたら、これらの曲は柳美里さんが作詞していたらしい。へ〜。

なんか、昔聞いて気に入った曲をわりとずーっと聞いている。音楽って廃れないなと思う。
アンテナ張れてなくて最近の曲はあんまりよく分からないのだけれど、音楽サブスクとか入ったらもうちょっと広がるのだろうか。

でも結局シンフォギアばっか聞いてる気がするんだよね。シンフォギアほんとずっと聞いてるからなぁ。

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