銀座のビル/伊藤ビル株式会社

交詢(こうじゅん)ビル


東京・銀座のビルといえば、「交詢(こうじゅん)ビル」が有名だ。

交詢ビルが建てられたのは、1929年(昭和4年)。年利率8%。1938年(昭和13年)を返済期限とする社債を発行して、100万円の建築資金を集めた。関東大震災で、旧ビルが焼失、建て直しの必要に迫られていたからだ。

設計は、横河時介。アメリカ・コーネル大学で建築を学び、帰国後、父の経営する横河工務所(現横河建築設計事務所)に勤めていた。交詢社側から示された「建築概要」では、談話室、広間、囲碁室、大食堂などが求められた。

進取の気風


東京の銀座人は明治以来、進取の気風に富んでいた。明治時代の2度の大火、大正時代の大震災から立ち上がった歴史がある。

その復元力が、太平洋戦争の戦後にも発揮された。要所を進駐軍に接収されたため、他の盛り場のような大規模なヤミ市ができなかったことが復興に幸いする。

戦後の商店街復活


「表通りだけでも早く本建築に」と、銀座復活を目指して銀座通連合会が、商店街建設計画を打ち出したのは終戦後間もない1945年9月26日だった。

地元の大倉土木(現在の大成建設)の協力を得て、1945年10月には着工した。

木造簡易長屋の店


明けて1946年の正月には、「外観をきれいに」という注文通り、間口、奥行きをそろえた木造簡易長屋の商店がお目見えする。

1946年4月には約180店が軒を並べ、どこよりも早い復興が実現した。

伊藤ビル株式会社
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