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友とコーヒーと嘘と胃袋

 私が香賀美くんのことを知ったのはテレビのなかで、その時香賀美くんはプリズムキングカップという大きな大会に出ていて、プリズムショーをしていた。それは日曜日で、私は部屋の掃除をしていて、タンスの肥やしをバッサバッサとゴミ袋に詰め込んでいる最中だった。
 プリズムショーというものはもちろん、知識としては知っていた。私が通っていた高校はプリズムショーが盛んな学校で、放課後グラウンドに行くといつもそこでは大勢の部員が一生懸命練習していた。その当時仲がよかった友人の中にも一人、プリズムショーをやっている子がいて、その友人曰く「ジャンプを飛ぶのがマジでむずい」とのことらしかった。その友人は結局一度もジャンプを飛ぶことなく、無難に大学へ進学し、その後どうなったのかは知らない。
 だから、私はその時初めてプリズムショーというものを観た。そして、たぶん、持っていかれた。心を。
 私はそれからすぐに香賀美タイガという人物について調べ始めた。ネットに転がっているインタビューや対談ページはすべて保存してそれぞれ五回は繰り返し読んだ。香賀美くん自身はSNSをやっていなかったが、他のプリズムスタァのアカウントに香賀美くんの混ざった写真が上がっていることに気づいて、全部保存した。雑誌のインタビューなども可能な限りネットで取り寄せ、必要があれば古本屋なども周り、探しだした。幸いなことに、香賀美くん自身はまだキャリアの浅いプリズムスタァだったから、これらの資料集めはすこぶる順調に完遂された。そこで私はプリズムショーのなかにはアカデミック系とストリート系という大きく二つの系統があることや、香賀美くんはストリート系の新星として注目されていることや、プリズムキングカップでは同じくストリート系の大和アレクサンダーという選手と乱闘(?)騒ぎを起こしたこと(これは「いとぶろ」というブログの「プリズムキングカッププリズムショー全レビュー」という記事を読んではじめてわかった。私はてっきりそういう演出のショーなのかと思っていた。)、青森出身であることや、Over the Rainbowというグループのメンバー、仁科カヅキ(プリズムキングカップでスタジアムを作り直した人だ)にあこがれてプリズムショーを始めたこと、大和アレクサンダーとは個人的な確執があること(これらは「インタビュー:香賀美タイガ〜ストリート系の系譜〜」というネット記事に書かれていた)、今はエーデルローズというプリズムショーの学校に通っていること(私はその時初めて、プリズムショーを専門に学ぶ学校があることを知った)、四ツ谷にエーデルローズの寮があってそこに住んでいること、そこには香賀美くんの他に六人のエーデルローズ生が住んでいて、なんだか楽しそうにやっていること(詳しくは「SWITCH Vol.42 特集:プリズムショーのいままで、これから」のエーデルローズ特集「エーデルローズ座談会」を読んでいただきたい。結構赤裸々に色々書かれていて、例えばそこでは香賀美くんのちんちんは皮を被っていることを仄めかすような記述まである。曰く、「お風呂でのタイガきゅんはいつもよりちょっちかわいいんだよね笑 控えめ、っていうか、おこちゃま、っていうか?笑」とのことだ。)、実はプリン・ア・ラ・モードが好きなこと(十王院カケルのインスタグラムに盗撮したと思われる、香賀美くんが美味しそうにプリン・ア・ラ・モードを食べる写真があがっている)など、様々な情報を得た。私はそれらの細かな情報を一つ一つ丁寧に組み合わせて、私のなかで香賀美タイガという一人の人間を丁寧に再現させていった。
 しばらくして、私は次のプリズム1という大会に香賀美くんが出場することを知る。もちろん、会場には多くのファンが押し寄せ、夢のようなひと時を過ごすことができる……。しかし、私は私以外の人間に香賀美くんを応援してほしくなかった。そういう現場に居合わせたくもなかった。私は、私だけが香賀美くんを知っていて、好きでいればよかった。それでも、悩んで、悩んで、結局、チケットを一枚買った。
 それで、当日、私はプリズム1の会場に行って、香賀美くんのショーを観て、エーデルローズのショーを観て、それで、全部わかる。
 香賀美くんは私のためではなく、みんなのためにプリズムショーをやることを選んだのだと。
 
 四ツ谷駅で降りるのは初めてだった。静かすぎなく、うるさすぎない。丁度いい、丁度よく、何もない。寒い。
 エーデルローズの寮はすぐにそれとわかる外観をしていた。雑誌の写真通りだ。灯はない。みんな、まだプリズム1から帰ってきていないようだった。
 そりゃ、そうか。
 プリズム1が終わってから、まだ一時間も経っていなかった。熱気覚めやらぬ会場を、私は一人とぼとぼと抜け出した。周りのみんなは大変満ち足りた顔をしていて、私はそれが気に入らなかった。感極まって泣き喚く女の子もいた。私もああいう人生がよかった、と思った。ステージの上に立つスタァの姿だけ見て、それだけで満足できるみたいな人生。彼らを眺めているだけで、尊い、とかいう、よくわからない感情を得られる人生。
 会場の熱気から遠く離れた、ただただ延々しんとしたエーデルローズ寮の前に立って、ああ、まだみんな、どこかで打ち上げでもしてるのかもしれない、と思った。みんなで楽しく、お酒でも飲んでるのかもしれない。いや、香賀美くんたちはまだ高校生だから、お酒はないか。でもわからない。高校生くらいになればお酒だって飲んでる可能性も、ある。私は高校生のとき、お酒なんて飲まなかった。今もあまりお酒は好きではない。でも香賀美くんは私じゃない、まだ。だから、お酒だって飲んでても、おかしくはない。私のなかで作り上げた香賀美くんは所詮、プリズムスタァとしての香賀美くんでしかなくて、だから私は香賀美くんのことなんて全然、まったく知らないも同然なのだ、と思った。思って、やりきれない感じになった。
 私はエーデルローズの門に、密かに連れてきた虎のぬいぐるみを置いて帰った。そのぬいぐるみは、私が香賀美くんのことを知るずっと前、私がまだ小学生のときくらいから可愛がっているぬいぐるみで、私は香賀美くんの、タイガ、という名前に、そのぬいぐるみを重ねて感じていた。このぬいぐるみを見て、香賀美くんが私のことに気付いてくれるといいな、と思った。帰りの電車のなかで、あのぬいぐるみに盗聴器でも仕掛けとけばよかった、と思った。でも、ただの一般人である私には盗聴器なんてどこで手に入れられるのか、さっぱりわからない。
 
 家へ帰る道すがら、私はコンビニで肉という肉を買って帰った。フライドチキン、ビーフジャーキー、生ハム、もつ煮、ウインナー、ロースカツ、サラダチキン、油淋鶏、ハンバーグ……。とにかく、目についた肉を片っ端からカゴにいれた。
 私は香賀美くんを食べたい。本当の意味で、現実に存在する香賀美くんを食べたい。
 これはその代償行為だ。私は香賀美くんに近づくことすらできない。香賀美くんは、とても遠い、とっても遠い、煌きの向こう側へと行ってしまった。そこは神の領域だ。そこに行くには、私も同じように神にならなくてはいけない。
 でも、ただの凡庸である私は神にはなれそうにない。
 それでも私は香賀美くんを欲する。切実に。フライドチキンを噛みちぎる。口の中で油がベタベタとウザったい。これは香賀美くんではない。香賀美くんの肉体はもっと洗練されていて、それは脂肪のかけらも感じさせない。わかってる。ビーフジャーキーを口内へ放り込む、生ハムとサラダチキンをぐちゃぐちゃにかき混ぜて咀嚼する。ハンバーグにもつ煮を乗せて飲み込む。肉を肉として消化しようとする。飲み込んでいく。私の中で私だけの香賀美くんが溶けて、一つになっていく。イメージする。お腹がキリキリと痛む。気にしない。ロースカツを噛みちぎり、ウインナーを頬に詰め込む。頭がチカチカする。口の端からよだれと肉汁が混ざった、汚れた液体が垂れる。気にしない。私はサイリウムも振らない。私はそこには入っていけない。私は一人で祈りたい。私は香賀美くんだけがいればそれでいい。私は香賀美くんの歌声に混ざるカスな歓声を耳に入れたくない。ここは寒いけど仕方ない。汗が額を伝う。香賀美くんが、誰のために、何のためにプリズムショーをするのか、私はわかっているつもりだ。喉が激しく焼ける。身体の奥が何かを訴える。気にせず、ただ、肉を食べ続ける。だから、これは私のエゴなのだ。そして、愛なのだ。
 私の中にいる香賀美くんは今、何をしているだろうか?何をしていてほしいだろうか?何をしていてほしいと私は欲しているのだろうか?
 すべてわかっている。
 
 目覚めると胃がムカムカしていて、トイレの中で何度か吐いた。私の中で消化しきれなかった香賀美くんたち。水に流れていく香賀美くんたち。
 汗やよだれやゲロやで汚れた私の肉体を俺はシャワーで洗い流す。俺は歯を磨き、私の歯に挟まった肉のかすを残さず綺麗にこすり落とす。俺はまだ寝ている。エーデルローズ寮の、自分の部屋で。昨日の疲れがまだ取れない。私は服を着替える。私は強烈な空腹を感じる。昨日食べた肉の一部は私の栄養として消化され、一部はトイレに流れていった。私の肉体は新たな栄養を欲求している。
 台所に立つ。昨日のフライドチキンがまだ少しだけ残っている。
 俺は手を合わせて「いただきます」と呟いた。

いとうくんのお洋服代になります。