みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
すべてのことは一転してしまった。家に居ることこそ凄い尊い行いであり、外に遊びに出るなんてのは自制心がなく自分勝手な振る舞いという評価が世に蔓延してしまったせいで、僕のような人間は逆に家にいることに、妙な居心地の悪さというか、喉の奥がムカムカするような感覚を覚えるようになった。大人になりたかった、わけじゃないんだ。ずっと、外に遊びに行く人間はアホ、ライブハウスやクラブに行く人間はカス、買い物をインターネットで済まさない人間はゴミだと思っていた。だけど、今、僕の認識は僕だけのものではなくなってしまった。一夜にして沢山の人間が僕のいた場所に駆け寄ってきて、押し出され、振り返るとそこにはもう僕の座れるだけの空間はなかった。僕は追い出されてしまったのだ。
唯一の居場所を奪われた僕は、仕方がないので誰もいない夜の街をとぼとぼと一人で歩いている。自分の家に入りたくても鍵がない。大阪に帰りたくても新幹線が走っていない。古本屋に行きたくても営業している店はもうないし、本屋で新品の本を買うお金もない。まだ少し夜風は冷たい。誰かに連絡しようにも友達がいない。僕も誰かに心配されてみたかった。だけど、僕より悲惨な人間はきっと本当にたくさんいて、みんな彼らのために署名するのに手一杯で僕のことなどは視界に入ってすらいないのだろう。誰かを振り向かせられるほど悲惨ではないことが常に僕を一人にさせてきた。今までも、そして、きっとこれからも。どこかで子犬が鳴いて、誰かがそれを叱る声を聞く。僕はいつの時代だって自分がいちばん可哀想なのだが、どうもこの感覚は世間から見ればただのワンワンちゃんの思考で、みんなはそういう気持ちはより良い社会のために固く押し込め、ソーシャルディスタンスを心がけながら離れていても手を取り合う方法を模索しているらしい。ソーシャルディスタンスの意味が本当によくわかっていないのは僕だけだ。英語なのか?なんとなく文脈から距離を取りましょうみたいな意味だと解釈しているけどきちんと調べたわけではないので自信はない。教養もなければ、そんなことを気軽に質問できる知人もいない。僕は弱い。よわよわで、寄りかかりどころもないので倒れてしまわないよう必死に自分で自分を抱きしめている。パンダが云う。「キショ」。パンダはこの前パチンコ屋に並ぶ人間を全員捻り殺して国民栄誉賞を貰っていた。感染を拡大させる恐れのある人間をあらかじめ排除することを社会は認めた。シャッターの降りた餃子の王将の前に座り込み、パンダに見つかるまでの少しの猶予を、目を閉じて噛み締めようとしたけどコロナについて書くのも既に飽きてしまっていたのでもう辞めることにする。あと少しで楽しいゴールデンウィークなのだ。
いとうくんのお洋服代になります。