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『シノアリスだったナニカ』へ

 スクエアエニックス×ポケラボ
 2017.6/6からサービス開始された【SINoALICE】(シノアリス)がサービスを終了する。2024/1/15 11:59だ。
 このnoteは、シノアリスをプレイし、ギルドバトルの難しさを味わい、悲喜交々の交流をし、キャラクターズを愛し、愛された、一人のシノアリスプレイヤーの感想と、ゲームとしての最後の考察である。

 私はこのゲームを2017.6/6からプレイし、残念ながら2021年5月頃に一度プレイを終えていた。理由は、新しい追加要素が多く実装され、ついていけないと引退する者がギルドで多くなり、15名のフルメンバーを補充するのが困難になり、ギルドは休眠と言う形を取ったからだ。シノアリスはギルドVSギルドが中心のゲームで、それは致命的だった。もちろん、それまでの期間およそ4年近くは毎日アプリを起動し、少なくない時間を費やし、自分のキャラクターを育て続けていた。その後も、ログインはしようと思っていた。しかしそれ以降……シノアリスの後半、およそ2年半のことはほとんど知らない。
 それでも、サービス開始シノアリスについて語る一人のプレイヤーとして許して欲しい。このゲームを悼む心は、皆と同じだと思いたい。

© 2017-2023 Pokelabo Inc./SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

まず、このゲームの「何が面白かったのか」

「他のアプリゲームと何が違うのか?」
それを語るのは難しい。
・育てれば育てるだけ、ギルドの戦いに貢献できること。
・ゲームの仕様を理解し、格上に勝利する喜びを覚えてしまったこと。
・何より、他のギルドが育っていく中で手を抜けないこと。
…それによって、焦燥感が常に付きまとうこと。
……無料配布石やプレイで獲得する石でガチャの射幸感を煽られたこと。
………そうだ、これがシノアリスだ。楽しい思い出を蘇らせると同時に、このゲームは闇の側面もすぐに引きずり出されてくる。
 アプリゲームの持つ闇”ガチャ”は、常に付きまとうのがシノアリスだった。現実の金銭や、無料石の減る喉の渇きのような衝動。あるいは、どうしようもない”ガチャ運”だけで差が付いてしまう部分は、”競うゲーム”に置いて醜悪な感情を沸き起こすには十分な要素だった。

 しかし、ゆるぎなく皆が好んだ部分だってある。
・ゲーム全体を形作っていたデザインと、メインイラストレーターJINOが描き出す魅力的なキャラクターたち。
・”ヨコオゲー”が織りなす考察しがいのある世界観。果てが無いとも言う。
・ヨコオゲーと言えば、世界を彩る最強の音楽。
・メタ発言を繰り返す運営側の「ギシン」と「アンキ」が、常にプレイヤーに向けて話しかけて来ること……。
・何より、それら全てを通じて同じ空間にいるギルドメンバーとの絆。
 この、闇と光が折り重なりシノアリスの思い出は形作られる。

「現実偏」 © 2017-2023 Pokelabo Inc./SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

▼『シノアリスだったナニカ』

 まず、シノアリスがサービス終了するに合わせ、他のアプリゲームと一番の違いはコレだ。ゲームの最終章をギルドメンバーと終わらせた時、端末に残るのは『シノアリスだったナニカ』と言うアプリだ。これは、シノアリスのユーザーの記録を元に、ゲームのデータ部分を一括して保存したアプリだ。そして、シノアリスを終わらせ、”シノアリスユーザー”として死んだ自身の墓標となっている。
 まさしく、タイトル画面は墓となる。

『シノアリスだったナニカ』ログイン画面
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 墓標を開くと、長年親しんだUIが朽ちた形でそこに表示された。”キャラクターズ”と言われたプレイキャラクター達の遺品が転がり、背景からは色が失われている。
 ホーム画面には、運営からあったお知らせバナーは消え、あれほど主張していたモノガタリへ繋がるアイコンも、コロシアムのカウントダウンも姿を消している。ストーリーがあった場所は「ミュージアム」となっている。メインストーリーを一覧できる機能だけが残り、もう新しくモノガタリに繋がることはできない。ナイトメアを屠ることも、必死になって集めた武器を振るうことも、総合値に一喜一憂することも無ければ、討伐クエストで共闘に走ることもない。『シノアリス』は全て終わった世界に変貌し、そこは”ライブラリ”……ただ記録だけが閲覧できるアプリ『シノアリスだったナニカ』となった。 

 だが、これは希望だ。

 アプリゲーム、ソーシャルゲーム……呼び方は様々だが、かれこれ携帯電話が普及したゲーム形態になっている。スマートフォンになり、そのゲーム体験もより複雑に、豊かになってきたと思う。しかし、それらは共通して「サービス終了と共に消える世界」である。それが世の中に浸透した。アプリゲームが普及すればするほど、サービスを終了するゲームも無数に現れる。遊んだデータが水泡に帰してしまう経験を、多くの人が体験するようになる。その悲しさは言うまでもない。
 アプリゲームのサービス終了は、ゲームをプレイしていた人にとって、実際の死よりも悲しいことなのかもしれない。その思い出を語る場所は無くなり、覚えている人も、知る人もおらず、世の中に痕跡すら残らない。

 そんなアプリゲームのサービス終了だからこそ、『シノアリスだったナニカ』は希望なのだ。


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 ゲームの最終章。全てのキャラクター達が、プレイヤーの私達に別れの言葉を掛けてくる。
 私と、そして共に戦った妻。そしてゲーム仲間と共に、ボイスチャットの前で思い思いに嗚咽を漏らしたのは言うまでもない。私達は私達の手で彼らを終わらせて、立ったばかりの墓の前でしばらく思い出を語らった。
 それはまさしく”お通夜”であり、”彼ら”が”私たち”を、”私たち”が”彼ら”を弔う葬式だった。

 ゲーム仲間が吐き出す。
「そういえば、四周年で”生前葬”をしたけれど、それ自体すでにサ終決定へ向けての準備だったんですね……シノアリスったら。シノアリスなんだから」
 確かに、と思う。
 シノアリスは「ギシン」と「アンキ」と言うナビゲーションキャラクターを使って、とてもコミカルにメタ発言を投げかけて来るゲームだった。しかし、それに対して”世界観を壊す”などと言うユーザーはいない。それどころか、彼らのメタ発言がコミカルであるほど、我々はゲームのキャラクター側に心を寄り添い、ゲームのシステムであるギシンとアンキを自分たちと同等に扱っていた。
 一周年の黄金期では、
「儲かったので、金のプロデューサー像を作ってプレゼントするのです」
と煽りかけ、コンサートまで開催してしまった。
 一方で五周年では、お金が尽きたとあけっぴろげに言い、
「お金が無いのでコスト削減、コスト削減」
としたり顔で言い、プロデューサー自らが車で日本を出張して回る事態。
 彼らから出る言葉は、本気なのか嘘なのかが結局読み取れず、本当にコミカルで、ユーザーと不思議な関係性を作った。

 まるでそれは、余命宣告を受けた者が、誰に伝えることも無く、知り合いに後腐れない心の準備をさせた上で旅立ったかのような、そんな様相だった。この死を、格好いいと思ってしまう私はおかしいのだろうか。

 『シノアリスだったナニカ』は、もう動き出すことのない時を刻み、これからずっと過去のものとして、私の端末に残る。


 ――なんて綺麗な物語だろう。

 シノアリスのモチーフは「昔話」
 不思議の国のアリス、白雪姫、シンデレラ、ピノキオ、赤ずきん、かぐや姫……。
 一方で、現代には多くの作品が世の中に溢れている。小説、映画、舞台、漫画、音楽……ゲーム。無数にあるこれら。そのどれかはあなたの人生を変え、誰かの人生を支えている。きっと”物語に救われた”人はたくさんいるだろう。救われた物語一つ一つは、人によって違う。だが、その人にとってその物語は唯一無二の物だ。
 ”救われた人”は知っているはずだ。心の傍にそっと寄り添ってくれる物語の影を。読んでいる最中は無我夢中となり、時間を忘れてその世界に耽溺したものの、読み終わった後は身に着ける訳でもなく、毎日読み返す訳ではない。けれども、本棚の一番良い場所にそっと置いてあったり、引越しの時や、大掃除の時に書影を確認して、ふと思い出すことを。「ああ、君に救われたのだ」と。

 言うまでもない。
『シノアリスだったナニカ』はアプリゲームとして、ほぼ唯一、そういった存在になったのだ。
 端末に残った『シノアリスだったナニカ』は、私の日常の影に潜み、ハッと見つけた時に思い出すのだ。「良いゲームだったな」と。


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”ヨコオゲー”の妙。

 私がサービス開始直後から始めた理由は、ヨコオタロウ氏が原案を担っていたからだ。2017年当時、まさしくニーアオートマタが全世界で空前の大ヒットを飛ばした直後で、その原作者であるヨコオタロウ氏の次作品はゲーム好きに注目されていたのだ。
 私も多分に漏れず、ニーアオートマタの真ENDにド肝を抜かれ、未プレイだったニーアレプリカントを調べ、幼い頃に気付かずプレイしていたドラッグオンドラグーンまで遡ったゲーマーだ。しかも、シノアリスの最初のコラボは「ニーアオートマタ」。初日にアクセス集中でサーバーダウンするのも頷ける。

 そのため、私はアプリゲームを普段プレイしないにも関わらず興味を持ったのは、その「ラスト」だった。とてつもないネタバレになるので、知りたくない人はこの時点で閉じて欲しい。
 ニーアレプリカント、ニーアオートマタに共通して、衝撃のラストの一つは、システム部分である「セーブデータ」その消去に、物語的な大きな理由が関わっている点にあった。消さないという選択肢もあるにはある。しかし、その選択肢は真のENDINGではない。だからこそ、”ヨコオゲー”などと揶揄されていた。
 実際、RPGゲームと言うのは、架空の世界での冒険であり、主人公の成長を見守り、激しい戦闘などを乗り越えて共に強くなった気分を味わう快感を伴う。ニーアシリーズもその要素がある。アクションゲームとして順当にキャラクターが成長を行っていくゲームなのだから、セーブデータの消去と言うのは、自分のプレイした時間を打ち捨ててしまうことになる。しかし、”物語”が消去する意味を持たせているのだから、我々は自分のプレイした時間を投げ打って、物語のキャラクターたちへ還元せざるを得ない。

 そういった衝撃を知ってしまっている以上。”ヨコオゲー”ではどうなるのか、多くの人が「ラスト」を推察せざるを得なかった。当然、自分の手で消去する結末を考える人も多かった。

 しかし、私は初めからこのような形で「残る」ことを想像していた。(終わった時に言うのは強がりのようだが、当時から言っていたので、臆することなく主張させてもらおう)
 それは当然、アプリゲームが元より「消える存在」だったからだ。
 「消えることのないセーブデータを消す」のだから、
 「消えるはずだったセーブデータを残す」のはヨコオゲーらしいだろう。
そう思っていた。
 その思惑が当たっていたことに嬉しく思いつつ、ヨコオタロウ氏の次回作はどのようになるかが今後も楽しみにしたいと思う。(シノアリスの後にはニーアリィンカーネーションVoice of Cards ドラゴンの島404 GAME RE:SETなど精力的に関連作品が出ていますが、それらを含めて)

 このあたりで、筆を置こうと思います。
 ここまで読んでくれて、ありがとう。



#シノアリス
#シノアリスだったナニカ
#ありがとう



「シノアリスの最後」© 2017-2023 Pokelabo Inc./SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

 



 

 

 

 

 

 

 


シノアリス考察:残滓

 「キャラクターズ」「武器」「大罪シリーズ」「聖シリーズ」「神魔」など、解釈が数通りできる存在について考察をして、このnoteを締めたいと思います。

「キャラクターズ」

 シノアリスのメインストーリーは衝動編、憎悪編、現実編、融合編、淘汰編前編、淘汰編後編、作者編、シノアリス編、ヨクボウ編の全9編で織りなされた。キャラクターが16人に絞られ、それぞれの編で繰り返し登場する。これらが同じ存在なのかどうかはカギとなっていた。
 キャラクターズ達は似て非なる世界を繰り返しているものだった。それは、キャラクターズ同士が”コロシアウ”世界だった。
 衝動編、憎悪偏の違いも、”続き”や”第一話と第二話”などと言う関係性ではない。もちろん、パラレルと言う関係性でもない。あくまでも似た存在同士の”X回戦目のトーナメント”や”Y回戦目のトーナメント”だったということが分かる。それが、現実偏で可視化され、融合偏~淘汰後編までで具体的に描かれた。作者編ではシノアリスシステムにおけるキャラクターの死を描き、シノアリス編~ヨクボウ編で、シノアリスシステムの終わりを描いたのだと考える。
 結局のところ、キャラクターズが争い、淘汰され、勝者が望みを叶える。これを繰り返す。
 その背景は「ギシン」と「アンキ」が「ヨクボウ」を集め続けるためだった。そういうことだった。事実、エンディングにおいて「探求」のドロシーが「ヨクボウ=ガチャであり、ヨクボウの産物=キャラクターズ」と明言された。

総合して、
・ガチャを回してもらうこと=ギシンとアンキ=運営
・キャラクターが人気を得る=別アレンジが出る=たくさんのイベントができる
などなど。
 まさしく、”ガチャゲーム”と言う文化に、物語を持たせた。それがシノアリスであった。


「老害」

 「老害」と言う称号でキャラクターズとして忍び込んでいた「くるみ割り人形」は、その周回に関わらない存在として、全ての世界の記憶を継承している存在と明言された。システム的に、ガチャでは獲得できず、かならずイベントや記念など運営からの配布で獲得するキャラクターズ。運営の駒であり、かつユーザー側に立つ存在だった。だからこそ、一目で見て人形と分かるギシンとアンキと同様に、人形として描かれた。
 それはヨクボウ編において語り手として、サービス終了の花道を導く存在だったからだ。

 また全ての世界の記憶が継承されており、世界は47…いや49回繰り返しているか?などの発言もあったが、それはメインストーリーの〇〇編の企画段階の姿や、あるいはイベントやジョブの数を含んでの数字だったのか、なども邪推ができる。


「武器」

 メイン武器20個を1デッキとし、セットを作ることでバトルを行うのがシノアリスだった。武器はガチャで排出され、「本」の形で登場する。
 これは、武器=一つのモノガタリであることを示唆する。そして、武器そのものが本体だった説を私は最後までここに記したい。

・シノアリス編の最後、表題キャラでもある「アリス」が最後に自身の姿を本にして閉じたこと。
・ガチャにおいてジョブ開放=該当武器の獲得であること。
・装備欄のアイコンが無地の操り人形であること。
・くるみ割り人形が武器を手に持ちながら、振るわないこと。(結局、本体が噛みつく)
・殻の武器シリーズのウェポンストーリー。
・”キャラクターズはヨクボウの産物”であること。

などなど。根拠を挙げていけば数知れず、否定する理由もほとんどないので、武器が本体であることは間違いないと思う。

 ただ、エンディング後のいま、私には少しだけ違って見える。
 私たちにとっても、世の中には無数に物語がある。日々、たくさんの物語を得て、日々自分の人格を形作り、生きている。あるいは、家庭の味を母から学び、学ぶ意義を父から学び、世代の話題を友に学び、日々の喜びを妻と分かつ。現実に出会った人々との思い出も、全て物語であり、自身の糧であることを。そうして、私たちは日常を戦い抜いていることを。


「大罪シリーズ・聖シリーズ・神魔シリーズ」

 キャラクターズには8種類の武器種類を象徴したジョブの他に、レイドの根幹となった7つの大罪が混じったシリーズや、サポートジョブ機能を伴って始まった聖シリーズ、そしてサービス終了に向けて最終二年に現れた最後の神魔シリーズなど、特殊なジョブが追加されていった。これらの世界設定的な意味合いはどこまで推察できるだろうか?

「大罪シリーズ」
 特に大罪は1周年~3周年のイベントでピックアップされており、コロシアイのシステムからまた別の争いに身をゆだねていくキャラクターズが描かれていた。
 傲慢や嫉妬など、7つの大罪と言うワードは様々な作品で描かれるが、これはレイドバトルの実装などに繋がっていたため、まさしく「新しい戦い」に身をやつす為の伏線だったと捉えることはできる。
 実際、属性と武器種類に特化したジョブとして扱われ、レイドや高難易度クエストで活躍した。

「聖シリーズ」
 サポートジョブと言う新機能実装に伴い登場した聖は、その冠に「剛」や「耐」などの7つの美徳を冠していると言われている。大罪シリーズの対となるであろうことは容易に想像できるが、その”美徳”が、サポートジョブと言う機能の内容(コロシアムにおいて必須のステータスなど)を考えると、シノアリスにとっての”美徳”=ヨクボウを集める=ガチャを集めることと繋がるのは容易である。

「神魔シリーズ」
 またジョブ覚醒と共に実装された「神魔」は、ずっとコロシアムに登場していた謎の存在「神魔」とキャラクターが融合したジョブであり、そのステータスへの影響からGvGをするにおいて必須のジョブだった。これも聖シリーズと同様の背景を持っていることは想像に難くない。

 だが、”ガチャを推進する為の存在”として化けの皮を剥がした所で、【シノアリス】と言うゲームの解釈に大きな意味がもたらされる訳ではない。

 上記を全て踏まえた上で考えると、

 大罪シリーズは”コロシアイ”をするために作られた”バトルシステム”そのもの(武器種や属性などの敵と有利に戦うシステム)から生まれ落ちた存在で、戦闘システムがキャラクターズに干渉を始めたと言う捉え方ができるかもしれない。コロシアイそのものではなく、バトルそのものを拡張しようとしたのだろう。
 そして、聖シリーズはバトルシステムによって、キャラクターズの戦いが激化するのを好機と捉えた存在と言えよう。全く世界観は触れられなかったが、そのウェポンストーリーは不遜な物言いの”神格”がいたように思う。天使の皮を被った悪魔のような存在がそこには待っていたかもしれない。サポートジョブの役割は、”シノアリスシステム”の維持、ガチャを引く理由としてあまりにも大きかった……。
 最後に、初めからコロシアイの場にいた神魔は、サービス開始からキャラクターズたちのコロシアイに大きく影響を与えてきた存在だ。8種類の武器種を複数個司っており、例えば剣と槍と楽器など。その技エフェクトから属性も兼ね備えているように見えた。一体、何者だったのだろうか。
 ”複数の武器種類を司る”
 ……ん? 何か、そんな存在があったような。
 ……もしかして、ドロシー工房……
 ……その最終系……?
 「探求」のドロシーは、キャラクターズの中でも異端であり、物語の真相に辿り着くと言われているキャラクターだった。ゆえに、どこかのタイミングでコロシアイに特化した彼女がいたならば、コロシアムのシステムだって……おや、待て。エンディングで乗って来たギルドシップ直したのは彼女だったか。そもそも、どうして我々はギルドシップに乗れていたのか。この世界は、何度も形を変え似て非なる世界を繰り返して――――。


 ヨコオゲーの怖いところは、こうして答えが無い空白を残し、考察をさせるところ。


 無限に広がる空間に我々の思い出を積めて、この本noteを閉じたいと思います。

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