腹鳴恐怖症だった私と恐怖症の娘NO.137 今日は50歳最後の日!
私にとって、今日は50歳最後の日。
明日からは51歳になります。
子供たちの誕生日には、noteに載せてみましたが、自分の誕生日には、さすがに抵抗があるので、前の日にと思い、誕生日にちなんで考えたいと思います。
50年の人生を振り返ってみました。
10歳で、大好きだった母が他界。
15歳で長崎から、愛知県に飛び、紡績で働きながら定時制高校、住み込みアルバイトをしながら調理師専門学校を親のお金は一切頼らず卒業。
19歳から23歳までは、主に、調理関係の仕事を転々とし、地元長崎に帰って、24歳で結婚。
と言っても、その時代、割と流行っていた、地味婚でしたが。
子供の出産で、社員や、パートに出て働いたり、辞めたり、その時のタイミングで、色々な仕事はやってきた方だと思います。
うちの夫はどうにか、結婚前からの仕事を今も続けてくれています。
長男が高校に入った頃、仕事を辞めたいと言っていたり、他のタイミングでも、数回そんなことはあったのですが、毎日、朝早くから夜遅くまで、働いてくれている夫に最近は特に感謝するようになりました。
夫は、それでも、休みの日は、玄関を履いたり、庭を履いたり、家の周りの管理をしたり、ゴミ捨てをしてくれたり、家の中をコロコロしてくれたりと、よく動いてくれるので、若い時は、色々思った時期もありましたが、今は、元気でいてくれるだけで良いと思う自分がいます。
若い時は夫も私も、地区の行事なども、行きたくないという思いがあったし、ぶつくたと、文句も言っていたと思います。20代ごろは・・・
この歳になれば、諦めもついて普通になりました。
自分が50歳ということにも、びっくりというか、未だに信じられないわ、と思ったりします。
私は、20歳頃、妙な頭の痛さがあり、脳外科だったか行ったことがあり、自分は長く生きれないと、その当時、真剣に思いました。
結局のところ、何もなかったのですが、疲れと神経がピリピリしていたのだと思います。
しかし、50年も生きてきた、ということは、毎日毎日、食べ繋いできたということだし、自分はここまで、よく頑張ったと、今日、50歳最後の自分にもありがとう。
と思います。
しかし、今振り返っても、苦労の連続だったと思っていましたが、昨年まではです。
考えてみても、コロナ禍であっても、色々なことがあっても、今が1番幸せだと思っています。
学生時代から、今でも親交のある、親友がいます。
その頃、学校を辞めたいと思っていた時に、喝を入れてくれたことに、とても感謝しています。
私が、県外から地元長崎に帰ってくる前に、一人暮らしをしていました。
その時にも、その当時、色々と親切にしてくださった、Sらーくのオープンを一緒に頑張ったお世話になった方がいて、車や電話、食器などもいただいたりと、その方や親友なくして、今の私は存在しません。
姉のところにもしばらくお金を貯めるまでと、居候していた時もあり、その節は本当にお世話になりました。
その時無くして今の自分もありません。
心より、ありがとう。
50年間、1日1日が、本当はとても大切な時間だったと今なら、よくわかります。
色んな方と出会ってもきたし、大きな人生の分かれ道を選ぶということもありました。
右に行くか左に行くか、かなり迷ったこともありました。
おそらく、今思っても、どちらが正解というのはな
いし、私が選んだ道を正解にしていく。
ということも今ではわかります。
色んな意味で正解でしたし、後悔はひとつもありません。
しかし、それがあって、今の家族とも出会うことができ、私の生き方を変えるきっかけになった先生とも出会うことができました。
人生には何一つ無駄はなかったと思います。
誕生日と言えば、子供の頃、何一つお祝いなんてしてもらったこともありませんでした。
そんな、楽しくない幼少時代。
その気持ちもあったので、子供たちの誕生日には、娘が産まれるまでは、ケーキは必ず手作りしていました。
上の息子二人の部活の関係で、だんだんと、ケーキも買うようになったり、お寿司を食べに行ったり、そんな誕生日のお祝いになっていきました。
子供には、大人になったとき、誕生日のお祝いしてもらったと、記憶に残ればという思いがあったのです。
この歳にもなるとというか、今年に限っては、特に食べたいものもなく、娘の誕生日にお寿司を買って食べたので、特に何も望まないというのか、昔としたら、日頃食べたいものを食べているので何もいらないと思うのですが、娘が許しません・・・(⌒-⌒; )
ケーキもいらないと言うと、マジでキレられます!!
ハッキリしたことは言えないですが、お母さん、遠慮しなさんなと言う思いなのでしょうね。
決して遠慮で言っているのではないのですが・・・
素直にケーキも食べたいのだと思います。
なので、困った私は言いました。
『お母さんの誕生日、〇〇(娘の名前)は、何食べたい?』
娘は空かさず、『寿司!!〇〇の誕生日も食べてまた?と言うやろけど』と言いつつ、お寿司をたべたいようで、ケーキも買いに行くのですよね、おそらく明日・・・
お誕生日は、この歳になると、何もいらないとなるのだけど、誕生日に、ひとつ歳を取る、このことがなければ、生き続ける事はできないのです。
生き続けると言う事は、歳をひとつづつとっていくということ。
よく、歳はとりたくないわ、と言うのと矛盾してますよね。
50年前、実母が私を生んでいなければ今はないので、もう亡くなってこの世にはいないのですが、実母にはとても感謝しています。
お母さん、私を産んでくれて本当にありがとう。
今私はとっても幸せです。
欲を言えば、今でも元気に生きていてくれたら、親子で買い物なんてできたんだろな、でも考えてみたら、もう、高齢ですね。
ということで、誕生日前日、誕生日について考えてみました。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました^ ^
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