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水のなかを歩く   39

ずいぶんnoteを放っていたが、たまにスキしてくれる人がいるおかげで、時折覗いてはいた。言葉にしたい何かはあるけど、書き残したい気持ちが何なのかよく分からずにいた。いい映画を観たり、いい小説に出会ったおかげで、曖昧な自分であれ、確認の意味でここらで何か言葉にするべきだと思うGW。

水のなかを歩く以外に、ここ数ヶ月で始めたこと。友人に勧められ、ひそかに御朱印巡り。神社や寺に隙間で立ち寄り、仕事や健康、家族のことを願う。書棚の整理目的でメルカリで本屋。何年も開いてない本や雑誌を簡単に処分するのでなく、興味がある人に購入して頂き、プチプチに綺麗に包みコンビニから発送する。大きくはこの二つ、それぞれになかなか面白い。

3月は久々に海外ロケへ行った。インドネシアに丸一週間。毎日数時間ハイエースに揺られ、あちこちでインドネシアのリアルな光景や若者たちを撮影した。日本で働くため、そしてゆくゆくは母国に帰国してより良い仕事を得るために、日本語を一生懸命勉強し、介護や技術などの実習をする集団生活の様子。当たり前だけど、みんな普通の若者たち(らしさと言う意味で)だったから安心した。

日本(人)には「不安感情」があるのではないか?と昨日読んだ本にあった。息苦しさや不寛容はそれが原因なのではと。「同調志向」も然り。スマホやSNSが日常の中心になり、他人のこと(意見や生活)が随分気になる世の中になってしまったと思う。

知らない人と共感し合える世界は素晴らしい。しかし、目の前にいる家族や友人、仕事仲間とはその数百倍の共感(安心とか本音かも)を得られないと幸せにはなれないのではないか。そこが難しい社会にならないよう、そこに冷たい人に見えないように、もっと顔を上げて生きていかなくちゃいけない。今日は高円寺で大道芸フェスを見てきた。パフォーマンスを見守る観客たち(僕ら)は、みんな笑顔でほのぼのしていた。誰も難しい顔をしていなかった。断片ではなく、同じ時を共有できる「物語」とか「場」が必要なんだと思う。絶対そうだよ。



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