四年半付き合った彼と別れた25歳OLの話

久しぶりにnoteを開きました。

人の別れ話なんてそんなに面白いものでもないと思うのですが、最近とても大好きでお似合いだった後輩カップルが破局したと聞いたので、彼らの慰めにでもなればと、ひとつのカップルの終わりについて書いていきたいと思います。

私と元彼はそれぞれ大学2年と1年の終わりに付き合いました。もともとはサークルの先輩後輩として大した距離感でもないところから始まった二人でしたが、夏合宿でお互いを個別認識し、秋冬とかけて仲良くなり春が来る前に男女として付き合うことにしたわけです。
最初こそ不慣れな二人でしたが自由な学生生活の中で旅行に行ったり、就職活動やサークル活動をそれぞれ頑張り少しずつ大人に向けて進んでいって、一緒にいろんな段階を乗り越えてきました。

私が先に社会人になり、すれ違う時期ももちろんありましたが彼が年下なりにたくさん我慢して譲ってくれてなんとか続いているようなふたりだったと思います。
もともと愚痴や悪口の多い私だったのできっと全部聞いてくれていた彼は嫌な気持ちにもなったことでしょう。
今更ながらにかわいそうなことをしたな、君は大変面倒な女とこんなに若くていい時期を過ごしてよかったのかい?と思ったりもします。

当時はちっとも思いませんでしたが。

卒業して三年、実家を出て自立した私とその近所に引っ越してきた彼。神奈川県の再開発住宅地に部屋を借りて、大きな川の近くで暮らすことになりました。
最初こそ近くにいる嬉しさ、いつでも一緒に居られる安心感がお互いにありましたが半年もしないうちに、このままこの人と一緒にいられないと思われてしまったようでした。
物理的距離が近すぎると、今まで我慢できていたことも許容量を超えてしまうんだろうと今はわかります。
超えてしまったことにもっと早く気付いていれば、いま私は東京都に住んでいないでしょう。

付き合ってから四年半を超えた秋の夜に、散歩に行こうと誘い出された私はまぬけにも甘栗を食べたり、スーパーに立ち寄ったりしながら彼と歩いていました。
もういいかな、散歩といえど気は済んだろうと帰りをなんども促しましたが帰ろうとしない彼。

仕方ないので川辺でゆっくりすることを提案すると彼はついてきました。そこから2時間。橋の上のロマンスカーを眺めながらじっとした彼を私は(仕事でなにかあったかな、しんどい時は誰かと居たかったりもするよね)などと呑気に眺めていました。

いまでもちっとも忘れません。
「冷えるしもう帰ろう」と立ち上がった私に彼は私の合鍵を渡しました。
秋の夜の川辺ってとても寒いんです。
でもずっと握って、いつ切り出そうか迷っていたのでしょう。渡された合鍵は少し温かみを帯びていました。

「別れてほしい」
涙目でそう告げられて頭が真っ白になりました。
いまなんて言ったんだろう、何がそんなに彼を追い詰めてしまったんだろう。

まさかそれが自分だとは考えもせず、理由を訊くために隣に座り直した私に、彼はそこそこ時間をかけて説明しました。
振られる側としてはとてもきついお仕置きでしたが、すべて話し終わった彼に、
「すっきりした?」
と尋ねると疲れた顔でうん、と言っていたのであれでよかったのでしょう。

帰宅してからわんわん泣き、深夜にもかかわらず友人に電話をし、元彼のSNSをブロックし、写真を消し、もらったものや写真や手紙をすべて捨て、飲み会の予定をバンバン入れて荷物を取りに行って。
すべてはそれなりに綺麗に終わろうとしていました。

私が元彼をブロックし、見えなくした状態のSNSでどんなに傷ついたか、どんなに好きだったか、どこが許せなかったか書き連ねなければいまもう少し彼と仲良くできていたかもしれません。
やらなければよかったとは思っていません。
いま少なからず彼にダメージがあると、風の噂で聞いて少しいい気分になったりもします。

ただ気持ちのどこかで思うのです。
あんなに素敵な友人をひとり失ったことは、恋人として別れたことよりうんと寂しく、残念なことだったなと。
そしていったん恋人になってしまったら、友人には戻れない価値観の私は、よき友人を恋人にしてはいけないなと、その点については深い反省をしていて、学びを得たと感じています。

この記事を読むこともないでしょうし、もし会っても話すことはなにもありませんが、よき友人として四年半本当にありがとう。
そして永遠にさようなら。
楽しかったことより、傷ついたことだけたくさん思い出すような後味の悪い関係性になってしまったこと、本当に申し訳なく思っています。

でも私が傷ついた分、君にも傷ついて欲しい。
それ以上に願うことはなにもないです。



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