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父について

2月に父が亡くなりました。

四十九日法要が無事終わりましたので、ちょっと整理するためのメモです。
長くてつまらない話ですので、悪しからず。

まず入院中という事から寝耳に水でした。
時系列を整理すると2年前の胃がんの手術後、結構早く回復し退院後は散歩しまくり、1ヶ月後には仕事に復帰していました。
年金生活なのでバイトですけど。

食は細くなりお酒もやめましたが、すっかり元気になった印象でしたし周りの誰もがそう思っていました。
ところが、亡くなる1週間前に倒れて救急車で運ばれました。母には、入院してる事を誰にも言うなと口止めしていたらしいです。

思えば、今年のお正月の帰省の電話をした時
「しんどいから家には来るな」と言われ、母とだけ外で食事して帰ったんです。
暮れに熱が出たと聞いていたので、さすがの父も回復遅くなったのかなぐらいに思っていました。

この年末年始に調子が悪かった時、病院によると胃がんは再発していないという見解だったらしいですが、倒れた時の状態は腹水が溜まって臓器が圧迫され食事が取れなくなったための低体温症でした。

母曰く、ギリギリまで我慢していたんだろう、と。
あんまり痛いとか苦しいとか言わない人でした。

危ないかも、と報せを受けた朝、美容院の予約を入れていた上にあと少しで家を出ないといけない時間でした。
キャンセルも出来ない時間でそのまま行きましたが、動揺から道が分からなくなり悩みながらずっと前に通っていた美容院の道を行ってしまい、やっぱり違うと引き返して時間ギリギリにやっと到着。

着いてからも、間に合うといいな…と思いながら、やっぱりキャンセルして病院へ向かえば良かったと後悔しながら泣けてきたり。
さすがに親が死にそうだったらキャンセルしても良かったよね。あの時は仕事に穴を開けてしまうのは申し訳ない、というのでいっぱいだった。

しばらくしたら、不思議なんですが急にフっと心が軽くなって。体から力が抜けた感覚がしました。
それで、旅立ったかも知れない…と思いました。

施術が終わって会計前に病院にいる母から電話。もういよいよダメかも…という連絡でした。
新春イベントのガラガラ回すクジを引いたら黒い玉が出ました。結構良いものが当たって、スタッフさんが「当たりです!」と興奮していたけど私は内心(黒…お葬式…)と連想していました。
今思うと父が当ててくれたのかも知れません。

急いで帰宅し、出かける準備をしていたら母からまた連絡が。亡くなったという報せでした。

正直、父が亡くなったと聞いて驚きはあったものの真っ先に考えたのは母は大丈夫だろうかと云う事でした。
父子なんてそんなものかも知れません。

小さい頃色んな所へ遊びに連れて行ってもらったし、思い出はたくさんあります。しかし結婚が早かったのもあって、大人になってから…特にここ数年は交流らしいものもなく。
うちの子もいっぱい遊んでもらったし、おじいちゃんの事大好きでした。

子どもらを通しての関わりはあったけれど、直接というのはあったかな。
2年前の入院と退院の時に車出して送迎したぐらい?個人対個人で、何か深い話をした事がなかった。
無意識に話をするのを避けていた所もあったかも知れない。

こんな心境だったので、とにかく滞りなく通夜と葬式が済みますようにと、それだけだった。
お通夜の時、思いがけず仕事関係の方から父の仕事ぶりを聞けたのは嬉しかった。

曰く、人から仕事を頼まれたら、快諾してすぐ取りかかっていた事。手先が器用で父にしか作れない部品があり、頼りにされていた事。

私はというと、頼まれてすぐやる時もあればやらない時も…。手先器用だけど、一企業から頼りにされるまでの腕はないなぁ〜。と、反省しきり。

そして、どこでどうなったのか私なりの供養の形として、ポスターとフォトブックを作成する事にしたのでした。

ここで改めて父と向き合えた気がします。
特に、「最後のページにお父さんへのメッセージ入れてよ」と母から提案があり困りました。前述の通り父との関係が希薄だったので。

父親と関係の濃い人すごいですよね。
少々話が逸れますが、父が亡くなったちょうど2週間後に大叔父も亡くなりまして。通夜の時に、その娘さんと息子さんからの言葉がすごくて。娘さんからのメッセージは香典返しの中にも印刷されたものが入ってました。そんなにすぐ話す事出てくるんだ?!と驚きました。

ともあれ、父のしてくれた事を改めて思い返すと、うちの長女が産まれた後は大好きな釣りに行かず毎週のように実家へ行くのに送迎してくれたし、子どもらが小学生の間は習い事の送迎も。目を悪くするまでは限界まで色々やってくれてたな、と。
言葉より行動の人だったなと思いました。

あと痛みに強くてものすごく我慢強いのも、心配をかけまいという気持ちからだったんだろうなぁと。葬儀の間はしっかりしなきゃというのが強くて泣けなかったけど、編集しながら泣いてました。

制作物を通して、父の想いをやっと受け取れた気がします。
これをちゃんと受け継いでいかないとね。

そういえば、ポスターは四十九日に来てくれた人と記念写真でも撮ってほしかったんだけど、バタバタしててすっかり忘れてました。
まぁ、それもまた良し、かな。

フォトブックはちゃんと配布しました。

無料配布ですw


いまごろ焼酎飲んで心ゆくまで釣りしてるのかな。


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