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認め

まさか、自分がここまで『書く』に潜るとは思わなかった。
これまでの道のりで、思わず足を取られぐぷぐぷと埋もれた泥溜まりはいくつあっただろう。
英語、音楽、旅。この3箇所だけだった、と思い返す。
英語は子供の頃から。英語の先に見えるどこか遠くの町並みを見ていた気がする。中学で海外派遣生としてカナダへ、高校で交換留学生としてアメリカへ、大学では英文学科へ進んだ。
音楽は大学在学中に。自分を表現する何かを探していたんだと思う。それは絵でもカメラでも手芸でもスポーツでも料理でもなんでも良かったのかもしれないが、メロディーに声と言葉を載せるなんて心臓を直球で刺すような表現方法が私を一番に揺さぶった。
そして、旅。持ち前の性質がついにはち切れた。23歳、限界だったのだと思う。日本を出たかった。いや、飛び出してしまいたかった。なんにも要らなかった。バックパックの中にはパスポートと着替えとお金だけ。その身軽さが心地よかった。電車に乗るように飛行機を乗り継いだ。騙されたり狙われたり拒絶されたり。まるでサバイバルで心地よかった。安宿の屋上で独り夜風に吹かれるのも、見知らぬローカルのバイクに跨り排ガスを振り切るように走るのもよかった。旅は今でも好きだ。

そんな十代、二十代を過ごした私が、まさか三十半ばにして新しい泥溜まりに足を突っ込むことになるなんて思ってもいなかった。
今ではもう、腰の辺りまでがっちりとぬかるみに押さえ込まれている。
文章を書き始め、楽しくて楽しくて、はやるようにしばらく書き続けたあと、「書く力」というものに付いて考えるようになった。とんでもない文章を書く人がごろごろ居た。たくさんの書物を読んできた人たちや、学校や講座などで文章を学んできた人たちを羨ましく思うようになった。今からでも遅くはない、そう思っても、時間や予算の面では難しく踏み切れずにいた。
その頃ちょうど、占いで「いい先生に恵まれますよ」と言われた。私はますます探した。どこか、私の通える学校を。しかしなかなか見つけられなかった。
熱が内側を焼いていくのを感じながら、懸命に気づかぬふりをしてやり過ごして、生まれ変われもせず羽ばたけもしない文章を書き続けた。

この春、私は意を決してある講座の門を叩いた。金を払い、時間を削り、労力を捧げるその先――そこにいる自分を見据えながら。

プロットにダメ出しをされ、書き直しても却下され、打ち直しても否定された。しばらく捏ねくり回し続けたが、私は遂にそのプロットを捨てた。まっさらになって新たなプロット、新たな人物、新たなストーリーを産んだ。
その人は言った。
「これで良さそうです。実作に踏み切ってください」
とりあえず数枚進めてみようとして、一枚書いたところで不安に駆られた。短い小説をいくつか書いてきたつもりだった。書けていたつもりだった。なのに私が書いているこれは一体なんだろうか。あまりに無知な自分を恥じる。段落変えのタイミング、漢字の合わせ方、会話「」の使い方、その他諸々全てにおいて私はどこまでも無知だった。文章の勉強どころか、読書すらせずに生きてきた無知な自分を恥じた。
添削で真っ赤に染まった文章の下に書き添えられた一文を忘れない。

「文章力はあるが、予選突破するための知識が欠落」

無知な自分を認めよう。これまでの怠慢を認めよう。遠回りしてきた道のりを認めよう。
認めた先が、やっと一歩。やっと今、一歩踏み出そうとしている。



今日の花は、なにか鮮やかで前向きになれるような色をしているといいなと思っていた。
届いたのはピンクに紫に黄色。
一瞬で笑みがこぼれた。


#お花の定期便 (毎週木曜更新)とは、湖嶋家に届くサブスクの花束を眺めながら、取り留めようもない独り言を垂れ流すだけのエッセイです〜






ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!